トリガーポイント理論の骨子はアメリカのDr travellとDr Simonsの共著「トリガーポイント マニュアル」によってその全貌が明らかにされました。
ワークする治療技術では人類史に残る最高、最大の発見かもしれません。
事実、私はこじらせて最悪状態に陥った五十肩と執拗なまでに苦しめられた狭心症の発作をこのトリガーポイントを使って自分の手で治すことができたのです。
また臨床家として一見奇跡に見えるような治療実績も挙げてきましたが、これらもトリガーポイント理論の応用に過ぎません。このトリガーポイント理論、日本に紹介されてもう30年近く経ちますので、施術家なら誰でも名称くらいは知っているはず。しかし真の威力を知っている人は少ないのです。運用次第では驚嘆すべき治癒力を発揮します。
Dr Travell(ジャネット トラベル博士)
1901年12月17日生~1997年8月1日没 享年96歳
Dr Simons(デビット サイモン博士)
1922年6月7日生~2010年4月5日没 享年88歳
トラベル博士はかのジョン・F・ケネディの主治医として有名でした。故ケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディが「兄の生涯の半分は肉体的苦痛との戦いであった」と述懐しているように故ケネディ大統領は日常生活もままならぬほどの腰痛と背中の痛みに苦しめられていたと言われています。
しかし、Dr travellとの出会いにより回復へ向かい政治活動を再開できたお陰で、大統領にまで登り詰めることができました。故ケネディは大統領になってからもDr Travellを深く信頼し、私設の主治医としてホワイト・ハウスへ招き入れて、様々な健康上のアドバイスを受けていたそうです。
歴史にモシ、タラ、レバはないのですが、あえて言えば、もしケネディがDr Travellと邂逅し得ていなければ政治活動を断念し、大統領になることはなかったでしょう。もしそうなら現代史は大きく変わっていたに違いありません。Dr Travellは間接的にではありますが、米国の現代史を形作った立役者とも申せましょう。
一方、Dr Simonsは空軍の医官としてキャリアのスタートを切っています。旧ソ連との宇宙開発競争時代、彼の能力は高く評価され、また期待を裏切ることなく多くの実績を挙げたと記録されています。
この二人が出会ったのは運命的なものを感じます。神の意思かはたまた宿命的なものなのか・・・少なくとも単なる偶然とは思えません。
早くから筋筋膜痛の研究に着手し、自らトリガーポイントの名付け親にもなったDr Travellですが、彼女は基本的に臨床医でした。その膨大なデータのほとんどは彼女に頭脳の中にしまわれていたのです。
そのデータを引っ張りだし、比較検証しながら、曖昧なものを排除し、信頼のおける資料として整理していったのがDr Simonsでした。
つまり、臨床医として蓄積していった膨大な症例を持つDr Travellと冷徹な科学者の視点を持ち、データをまとめ上げる能力に秀でていたDr Simonnsの二人がいてはじめて・・・つまりどちらかが欠けていても、「トリガーポイント・マニュアル」は世に出てはいなかったのです。
また、二人に約20歳の年齢差があり、かつ二人とも長命であったこともこの研究が完成した要因の一つです。
一人では無理なのは述べたとおりですが、二人であってもどちらかが短命であったなら、完成しておりません。
なにせ、「トリガーポイント・マニュアル」の最初の刊行が1983年-Travellが82歳、Simonsが62歳のときだったのですから。
それ以降も絶え間なく研究され、より完成度の高いものになっていったのは言うまでもありません。Travell亡き後もSimonsが研究を継続し、現在に知られる完成度の高いマニュアルになっていったわけです。
出会い、年齢差、寿命、このどの要素が欠けてもトリガーポイント療法が存在することはなかったでしょう。
まるで約束事であったかのように・・・・完成したのです。