「トラウマ」はご承知のとおり、心理療法や精神分析でよく使われる専門用語である。最近は一般にも浸透し、頻繁に耳にするようになった。虐待の潜在的記憶などはまさにトラウマとなって、以後の人格形成や性癖などに影響するという事実を知らない人はいまい。このように広く周知された背景には映画やドラマの影響が大きいのかもしれない。
もちろん、トラウマは虐待の潜在的記憶ばかりではないので、トラウマを論ずるにあたり、ここで一応の定義をしておきたい。
「ある種の肉体的もしくは精神的ショックが神経系に刷り込まれ、固着することによって、固有の病、あるいは症状となって現れることの原因となるもの」であると。
今、フルフォード博士の見解に沿って定義したわけだが、ここで注目すべきは精神的なもののみならず、肉体的なショックもトラウマの範疇に入るということだ。さらにいえば、「ショック」というのは極めて短期間に起きる"衝撃"だけではなく、長期的な"習慣"や"姿勢"なども含まれる。そしてそれが肉体に刷り込まれ、固有の歪みのパターンを生み出す。
こうなると、ほとんどの病はなんらかの「トラウマ」が原因と考えられるわけだから、特別な体験ではないことが分かると思う。
実は、東洋医学には"証"という概念があって、この概念こそがまさにトラウマの概念そのものなのである。
"証"とはその人の持つ特有の歪みのパターンでもあり、治療法そのものとも言える。そこで、私はかつて足からその"証"を明らかにし、足からアプローチしていく方法として足証整体と名乗ったものである。言葉を変えれば「足部トラウマ療法」とでも言えたのかもしれない。
後年、足には拘らなくなって「リフレパシー整体」に呼称を統一したが、証の概念そのものは現在も継承されているし、その結果、数多くの実績を出すに至っている。
ともあれ、肉体的、精神的なトラウマをフィジカルな面からアプローチして、それを解消、もしくは解放していくことこそ、手技療法に課せられた使命ではないかと思う。
肉体的なトラウマならいざ知らず「精神的トラウマまで解放する」と大口叩くのはいくらなんでも僭越ではないかという意見があるのは知っている。
しかし、それは本物の手技療法を知らない人たちの言である。
急所をピタリと押さえ、深くどこまでも深く按じていくと、もはや肉体レベルを超え、精神の領域にまで踏み込んでいく。そして、潜在意識層のsameone or somethingに触れるのだ。嘘だと思うなら、本物の手技治療を受けてみれば良い。敏感な人や病で苦しんでいる人ならば、その圧倒的な違い、someoneとしか言いようのない何かを感じるはずである。心が解放されていく一種のカタルシスさえ感じるはずだ。
さて、東洋医学は身心一元論を建前として、そもそも心と身体を分離して捉えてはいない。故に「思えば脾を病み、怒りは肝を傷る・・・云々」と感情(心)と内臓の関係を関連付けきた歴史がある。西洋医学が精神と身体を切り離し、身心二元論として探求してきた歴史とは全く逆なのだ。
東洋医学に精神療法という分野も、心理療法という分野もないのは、未開、未熟だからではなく、心と身体と切り離していないのだから、精神、心理だけを取り上げる必要性がなかったからである。
患者に相対し、望・聞・問・切の診断と現実の治療の中に精神と心理的トラウマの解放が行われてきたが故に、である。
特に手技療法は「手当て」という最も原初的で本能的な治療手段であり、望聞問切の中では切診に相当する。深くくい入れるから切診なのであって、触診とは言わないところに注目していただきたい。触診は肉体にとどまるが、切診は心に届く。例えば″親切″は親しく接する、すなわち「親接」とは書かないではないか。
切々たる情を持つが故に″親切″なのである。そうした心をもって身体に触れ、診断してきたからこそ切診というのだ。そのこと自体が個を超え、彼我一体となって病と孤独を癒してきた事実にこそ東洋医学の真骨頂がある。
そして手技療法は「貴きを待ちて、日暮るるを知らず」の態度で行うのが本来の姿とされている。つまり、我が身を惜しまず、利他の精神、博愛の精神がもっとも具現化された治療手段なのである。これに相手の心が感応しないはずはない。
分厚く硬い殻に閉ざされた心も、痒いところに手が届くような手技によって、開いていく。静かに深く圧が浸透し、妙所に達する。この時である。この瞬間に心のトラウマは解放されていくのである。
さて、他人の心と身体を癒やしたいと願う心優しき人々がこの業界に入ってくるに違いない。人と争うことを好まず、人の役に立ちたいと願う一群の人々である。
このような心を持ってせっかくこの業界に入ってきたのに、施す術がレベルに達しておらず、つまり、気持ちと技術に大きな乖離があって、心ならずも、トラウマを解放するに至らないで終わってしまう術者を多く見てきた。
見てきたというよりもまず自分自身がそうであった。
そして、切実に、もっと上手くなりたいと願い、真に人の身心を癒やしたいと願い続けてきた。その願いは止むことを知らず、ただそれだけが支えで、いついかなるときも研鑽してきたつもりである。
成し遂げたかどうかは分からないが、少なくとも、それに少しずつでも近づいてきたという自負はある。
後世、志を継ぎ、さらに完成度の高い手技を行う者の出現を切に願う次第である。