菜食主義と生命力

 生命力ついでに、フルフォード博士の著作の中に菜食主義者に関する記述があるので紹介したい。「いま、いちばん治しにくいのがベジタリアンなのだ。ベジタリアンのからだには非菜食主義者のからだほど生命力がなくなっている。菜食主義という思想がいけないのではなく、今の野菜がいけないのだ~後略」


 私は過去、二人ほど完全なベジタリアンに施術を教えたことがある。一人は信仰上の理由、もう一人は理由不明(笑)ながらも自分の生き方には、それが絶対に必要だと確信している風の菜食であった。いずれも、まさに思想、生き方の問題であるから、是非について述べる立場ではない。


 ところで、ベジタリアンは意外にも米国に多いらしい。そこで、それぞれ菜食主義の深さ(度合い)によって、ガイドラインが定めてられているという。そのガイドラインに従えば、栄養素の不足に陥らずに済むという寸法である。


 ところが、ベジタリアンの中でも最も度合いの強い「ヴィーガン」というクラスの人がいて、この人達だけはどういう食事の組み合わせでもビタミンB12が不足してしまうらしい。そこでヴィーガンにだけはサプリメントの服用が薦められているというか、絶対要件のようだ。

※ヴィーガン=完全菜食主義者。つまり、獣肉、家禽類だけではなく乳製品も卵も魚も食さず、厳格に動物性食物品を避ける人々。


 因みに興味のない人にとってはどうでも良いトリビアを一つ。


 ベジタリアンの深さランキング
①ヴィーガン=既述
②ラクト・ベジタリアン=乳、乳製品は摂る
③オボ・ベジタリアン=卵は摂る
④ラクトオボ・ベジタリアン=乳、乳製品、卵は摂る
⑤ベスコ・ベジタリアン=魚介類は摂る
⑥ポウヨウ・ベジタリアン=家禽類の肉は摂る

 

 インドにはバラモンという階級があるが、この階級のトップ(領主)ともなるとこのヴィーガンのさらに上をいき、野菜であっても根菜類はダメ、さらに精が付きそうな香りのする野菜もダメ(多分ニラ系とかパクチー系とか)、結局、食べられる野菜は十種類にも満たないのだそうな。
 そうするとどうなるか?
 聖人(?)になるらしい。


 具体的には生殖能力はなくなり、いつもぼーっとしていて、何の判断もできない(それで付き人がたくさん必要になるのだが、付き人のトップが実質の支配者だという-なるほど、どっかでよく聞く話だ)
 そして平均的な寿命は50歳を超えることはないという。

 

 生殖能力がないので跡継ぎができないから、どこかの養護施設から子供を貰ってきて幼いころよりその食事をさせる。そして、後を継がせるというパターンでその当主の座は連綿と引き継上がれてきた。血縁的には何の繋がりもなくその家が続くのである・・・これを考察していくと面白いが、キリがないので止める。
(領主と言ってもインドの場合はケタ外れで、その領地面積は日本の本州に匹敵する-ほとんど国に近いではないか)


 セックスもしないし、邪心も抱かない・・・・一見聖人っぽいが正常な判断力がなくなって、果たして本当の意味で聖人と言えるのか?それが人のあるべき究極の姿なのか?ツッコミ処満載であろう。


 しかし、このことから分かるのは食事はその人の人格まで影響を及ぼす極めて重要な要素であるということだ。だからこそ、生き方としてのベジタリアンがいて一向に構わないと思うのである。

 

 以上の基礎知識くらいはあった中で、最近、非常に興味深い手記を読んだ。FBで公開されていたのだが、思わず唸るくらい面白いのである。その人は、ヴィーガンになって9年。そして、それを止めるに至った経緯を書き留めた手記である。


 要約すると、
 ヴィーガンになって5年目くらいに本格的に体調不良が現れる。発疹、痒み、そして強い体臭。本人も言っているが、完全菜食主義で体臭が強くなるというのは少し意外だ。


 さらにイライラして怒りっぽくなり、何事にも根気がなく、やる気が出ない。それでもある種の毒出し過程であると納得させ、さらに4年ヴィーガンを継続した。

 

 ところが一向に治まる気配はない、どころか悪化の一途を辿る・・・ついに彼は菜食主義と決別し普通の食事に戻した。するとあれほど自分を悩ませていた症状があれよあれよという間に治まり、非常に元気になったという。


 その元気になった時の描写が面白い。足が軽くなって、思わず目標地点を行き過ぎてしまうくらいだと。どれだけ身体が軽くなったかを現すのにこれほどイメージできる表現には滅多にお目にかかれない。中々文才のある人だ。


 食に関して色んなことをいう人がいるが、この人は自分の身体で9年間実践した体験を語っているので説得力があって、面白いのだ。

 

 ミネラルやアミノ酸が不足しても、健常者ならばすぐには影響は現れない。身体の中で節約し使い回ししていく。しかし、いつまでも使い回しで足りるわけもなく、どんなに健康でも、だいたい5年で限度が来る。彼が5年目くらいで体調不良が顕著になったという手記の記述と一致する。よって明らかにビタミン、ミネラル、そして必須アミノ酸不足だということが分かる症状だ。サプリで補充すれば、そこまでの体調不良は出なかったとは思う。


 しかし、疑問は残る・・・
 玄米を中心とする菜食主義に変えて、難病が軽快していったという話はよく聞く処ではないか。


 おそらく、ある種の病気に対しては、ある時期の一定期間、デトックス効果の実利のほうが大きいからだろう。特に玄米は有害ミネラルを体外に排出させる効果は抜群であるというし・・・(ただし過度の玄米食は必須ミネラルまで排出しまうと警告されている)


 ミネラルやビタミン、そしてアミノ酸などの必須栄養素が生命力の正体とまでは言わないが、構成要素の一部分であって、それを全うすることが年相応の生命力を維持する秘訣なんだなと。手記を読みながら、つらつらとそんなことを考えていた。

 

 良好なる生命力が保持されていないと、フルフォード博士が指摘しているように、非常に治しにくい身体になる。手技には世間の一般概念では想像できぬほど威力があるにも関わらずである。逆によき食事によって得られた良好なる生命力との相乗効果はときとして奇跡的な効果が得られる。


 食養と手技療法は同じ自然療法であるから、もう少し接点を持っても良いのかもしれない。しかし食養は即時的な効果が現れづらい。薬ではないだから当然なのだが、その効果の現れづらいという特徴によって、しばしば指導家のよく言えばカリスマ性、悪くいえば独善的な見識が間違った方向に導くように思う。食養指導家と接点を持とうにも、その独善的な態度に辟易してしまうのである。


 手技療法の世界もあまり他の業界のことを言えた義理ではないが、もう少し柔軟性のある人物が食養指導家になってもらいたいものだ。(そうするとカリスマ性が薄れ、世に浸透していかないかもしれないから、難しいところではあるけれども)


 いずれにしても食養は毎日のイベントでもあるし、その結果として身体が作られていくわけだから、最重要と位置づけて良いのではないだろうか。まだまだ発展途上の科学(医学)ではあるが、少なくとも、現在真理とされている科学的事実と矛盾しない方法論が良いと思われる。流行歌のように一世を風靡して、そしていつの間にか忘れされるようなよく分からないものは極力避けて通るのが知恵というものであろう。

 

 因みに私はビタミンC、B群、Eなど補酵素の役割だけでなく、活性酸素の除去効果も高いと言われているものはサプリで補っている。日常的に有酸素運動を行っている人には必須だと思う。


 SOD(活性酸素除去酵素)が激減する30歳を過ぎての、心臓バクバク、汗ダラダラの激しい運動は、活性酸素によって組織を損耗させ、老化を促す。故に昔のスポーツ選手は総じて選手寿命が短かった。しかし、今どきのスポーツ選手はビックリするくらい長い現役生活を送る者もいる。この違いはトレーニング法の進化のみならず、食事面やサプリなどで組織損耗を遅らせる知識が浸透し、意識も高まり、キチッと管理しているが故のことだろう。

 

 最近、炭水化物が酷い言われようというか、まるで悪者扱いだが、これもバランスの問題であって、エネルギー源としては副産物を産まず、実にクリーンな栄養源だと思う。(最終的には水と二酸化炭素に分解されるだけ)

 

 世には炭水化物を摂るべきではないという極論まであるが、脂質とタンパク質だけをエネルギー源にした場合、老廃物生成とその解毒に肝臓が忙しい思いをする。その上、酒を飲む習慣があれば、もはや短命の運命だろう。

 

 確かに炭水化物は血糖値を上昇させ、膵臓に負担をかけるかもしれない。だからといって肝臓に負担をかけて良いものだろうか・・・食べ物というのはそういう単純な選択肢の問題ではなく、バランスの問題だと思うのである。従来考えられているよりも少なく済むという議論ならまだ受け入れられるが、摂るべきではないという論には全く同意できない。


 極論は注目を浴びる。そして一部で熱烈な支持者が出来ると思うが、面白みに欠ける一見地味な論にこそ真理があるというのが世の習いである。

 

 論旨が少しズレてしまったが、要するに言いたいのは、菜食主義は構わないが、それを貫くのであれば、補うべきものは補うという柔軟な姿勢が必要であって、それは一部サプリに頼っても別に恥ではないし、またそうすべきであると。でなければ、あらゆる治療手段の有効性が失われるところまで生命力が減衰する可能性さえあるということである。

 

 手技法家の立場から一言、言わせてもらったが、あるいは見当違いのことを述べているかもしれない。

 

 しかし畑違いとは言え、実際に自分の手で人の身体に触れ続けてきた実感として述べている。幾分なりかの真理が含まれているかと自認しているが、それが自惚れでないかどうかは自分では判断できない。ご一考頂ければ幸いである。


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