一時期の小保方晴子氏へのバッシングは、今考えてみれば常軌を逸しているとしか言いようのないものであったと思う。中には、枕営業をほのめかすような記事まであって、ここまで来ると悪意としか言いようがない。上司で論文を手直した笹井博士などは、NHKスペシャル放送後に自殺してしまった。なんという悲劇だろうか。
もともと、私は科学には門外漢で、それを論評する立場にはないのだが、「人工的な外的刺激で体細胞が初期化するのではないか」という小保方氏のアイデアにはいたく感銘を受けたものである。
※初期化というのは多能化、つまり万能細胞化するという意味となる。
なぜかというと私は手技療法家の立場で、経絡反応という一種の細胞間情報伝達を前提にして、日常的に施術しているからである。つまり日常的に体細胞に対して外的刺激を行い、治癒に導き、それを生業としているからである。当然ながら、この外的刺激がそのまま細胞を初期化しているとは思わないけれども、外的刺激の可能性というものを深化させてくれる夢のあるアイデアとして受け止めたのであった。
もちろん、科学というのは最初は多くの誤謬を含み、発表された後、それは間違いであったと訂正されることも数多い。だから、そのままそれが真実だということにはならない。大概はそれが証明されるのに時間がかかるものだ。
ところが、発表してまもなく、小保方氏の論文は否定されることとなった。あろうことか、小保方氏が所属していた理研が「スタップ現象という事実はない」とか「ES細胞が混入したものである」とか完全否定宣言をしてしまったのでる。
大手のマスコミも捏造だとはやし立て、小保方氏をして捏造の科学者だと断じた本はベストセラーになり、さらにはその著者には大宅壮一賞という賞まで贈られた。
※大宅壮一賞=小説ならさしずめ芥川賞とか直木賞に匹敵するようなノンフィクション作品に与えられる権威ある賞だそうな。
さて、ここに至っては、不覚にも私は、すっかりマスコミの報道を信じてしまった。小保方はとんでもないな。捏造したんだ。爺ィキラー?巨乳で誘惑?さもありなん。
しかし、ここ半年くらいで徐々に真相が明らかになっていった。憶測が入るので詳述はしないけれども、一部の人間があやしく動き、小保方氏をハメたことは間違いないようである。ハメたというのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも不可解で理解に苦しみ、説明不能の行動をしていたことが分かっている。
さらに、アメリカの学者がスタップ現象の追試に成功したというニュースが流れた。ドイツではハイデルベルグ大学という世界的にも一流の大学の研究機関がスタップ現象を確認した。そしてそれからまもなくハーバード大学がスタップ現象の特許を先進主要国において申請したというニュースまで流れたのである。特許申請費用だけで1千万円もかかるというから、冗談や酔狂で申請したものではないだろう。しかもあのハーバードが、である。
どうやらスタップ現象は「存在する」というのが常識になりつつあるようである。百歩譲って、スタップ現象が誤解であったとしても、ウソや捏造ででっち上げたものではないことは確かなこととなったのである。
私は怒り心頭である。誰に対してか?もちろん自分に対してだ。他人の意見に付和雷同しないことを旨として、生きてきたが、今回ばかりは完全にマスコミに騙された。そして、仕事柄、その研究に感銘を受けた前途有望な若い科学者を一瞬でも魔性の女のように思ってしまった自分をこの上なく恥じている。もう金輪際、マスコミの報道を鵜呑みにはしないぞ!と。特になんの権力も持たない市井の人に対するバッシングには絶対に与しないと誓うこととなった事件ではあった。強烈な教訓である。そういえば、大手のA新聞は、戦前は開戦を煽りに煽り、戦中では大本営発表のウソを垂れ流し、戦後は慰安婦問題の記事をそれこそ、捏造し、国民をミスリードし続けてきたではないか。その一点でマスコミなど信用に足るものではなかったのであるが・・・世間の空気に流された自分が情けない。
個人的な反省はこれくらいにして、話を戻そう。
どうやら「外的刺激による体細胞の初期化」という小保方氏のアイデアは正しそうである。これが正しければ、バッシングの対象どころかノーベル賞ものだ。iPS細胞はがん化という問題を避けて通れないが、スタップはその問題もない。夢の再生医療が実現するかもしれないではないか。
そのことについては専門外だが、外的刺激による細胞の再生というテーマは我々、手技療法家の立場からにも実に興味深く関心のあるところである。前述の通りである。
圧を加えるのは外的刺激の一つであり、ある種のストレスを与えていることになる。ある種のストレスを加えると、かえって元気が出て、よく成育することは植物の世界では常識となっている。生物というのは逆境(ストレス)をバネにして、飛躍するシステムが組み込まれているのだろう。
実はそれを治病という観点から利用してきたのが東洋医学の手技であり、鍼灸なのだと思う。
しかし、刺激の量が非常に重要で、多すぎても少なすぎても期待値には達しない。スタップもまた、極めて繊細な刺激量が求められ、その刺激の種類、量の多寡によっては再現されないようだ。再現化の難しいところだが、新しい発見は得てしてそういうものらしい。
手技法とスタップ・・・全く違うものであるけれども、刺激量の繊細さという意味では生体で起きる出来事であるが故に共通項があるような気がするのである。
2000年前からあって、現代では色あせたかに見える経絡現象というものを頼りに施術法の柱に据え、幾歳月を施術家として過ごしてきたが、刺激量さえ間違わなければ、間違いなく、治癒機序が働き、良好な結果が得られることを実感してきた。
その機序の実体とはなんであるのか?気血の流れといっても現代では分かりづらい。そこに細胞間伝達という概念を提唱した故増永静人師の卓見には瞠目を開かれる思いをしたのである。
元来「手当て」には創傷治癒の促進、細胞壊死の防御、炎症の沈静化、神経再生の促進などの効果があると言われている。
(実験で確認されている)
「手当て」といえども外的刺激であることに変わりはない。しかも繊細な。ならば、その絶妙な刺激によって、細胞の再生化が進むと考えるのが普通であろう。もしかすると、本当に絶妙かつドンピシャな刺激なら、手による刺激によって細胞の初期化が起こり得るのかもしれない・・・などと妄想に近いようなことを夢みるのである。
我々手技法家にとって非常に有意義かつロマンあふれるインスピレーションをもたらした小保方氏のいち早い名誉の回復を願う次第である。