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整体施術というのは、その結果がメンケン的な悪化様の現象として現れようと、あるいは改善感として現れようと、必ずしも施術したタイミングでの即時的な結果で示されるものではありません。(もちろん、例外はありますが)
経験からいうと、平均24時間くらいのスパンで現れやすいですね。場合によっては、30時間を超えて、あるいは丸2日を超えることさえあります。
施術した結果のフィードバックにこのようなタイムラグがあるということは、経験者(ベテラン)なら周知の事実でしょう。ですから、ことさら採り上げるトピックではないと思いますが、これから本格的に勉強、研鑽を進めようとする者にとっては資することもあるだろうと、あえて論考することにしました。
さて、どうしてこのようにタイムラグが発生して結果が示されるのか?
正直言って明確な理屈で説明することはできません。
しかし理屈以前に、常識として、あるいは感覚的に理解できるのではないでしょうか。
例えば、風邪を引いてもそれが軽症なものでさえ、完全に復調するには数日のスパンが必要であることが常識であるように。
ましてや整体を受療しようとするクライアントが抱える症候というのは、長年の歪みの蓄積のとして現れている場合が多いものです。これを即時的に寛解、もしくは改善することのほうがむしろ道理に適ってはいないと思うのですが、如何でしょう?
(もちろん、即時的一発改善という現象もあるにはありますよ)
整体施術によって、ある種のエネルギーブロック(組織拘束)が解消されます。その解消にはおそらく、血流、リンパ流、神経伝達の正常化が関与していて、それらの正常化によって、組織拘束が除去されるのか、組織拘束が除去されたことによって、それらが正常化されるのかについては決めつけることが出来きません。どちらが先かは鶏と卵の先後命題を議論するのと同じく不毛ですから。
どのみち整体施術はこのどちらにでも働きかけます。
例えば、反射療法に代表されるように、神経的な反射によって、交感、副交感の働きを正常化し、それによって血流、リンパ流が改善され、結果、組織拘束が除去されていくこともあるでしょうし、あるいはトリガーポイント療法のように直接、組織拘束(TP)に働きかけ、その結果として血流、リンパ流、神経伝達が正常化されることもあるわけです。
したがって、整体施術の治癒機序というのはそれ自体が複合的な原理によって働きかけるため尚決めつけることが出来ないのです。
ともあれ、どちらが先にせよ、結果として(組織拘束も除去され、血流、リンパ流、神経伝達も正常化される)改善され、治癒していくもので、これをホメオスタシスと名付けられています。
※ホメオスタシス=恒常的維持機能と訳され、正常な状態を保とうするもともとヒトに備わっている機能
言わずもがなですが、別名、自然治癒力と呼ばれることもあって、如何にこの力を引っ張り出すかが、我々の腕前といえば腕前なのです。そしてその値が最大になるように日々研鑽を積んでいるわけです。
その人の持つ治癒力が発動し、それが全身をカバーし、影響を与えるのにタイムラグがあるのは当然のことです。
そして、そのスパンが経験からいうと平均で24時間くらいかなと・・・大変大雑把な括りで申し訳ないのですが、そういうものだと思って頂ければ幸いです。
ですから、私の術後カウセリングでは「施術直後よりも、術後24時間くらいのほうがなんらかの変化を感ずることが多いので、今日の晩から明日以降、自分の身体の状態に注意を払ってみてください」と述べることが多いのです。
もちろん、個人差があるということと、変化というのは改善感ばかりではなくてメンケン反応といって一時的に悪化するかのような現象も含まる旨のことは述べます。
そのようなアドバイスをしておくと、几帳面なクライアントさんはちゃんと記憶していて、次回の施術機会のとき、詳細に報告してくれることもあって、とても参考になることがあります。
こんな例がありました。
65歳男性。
主訴 腰から股関節にかけての痛み(両側)
既往歴 ギックリ腰を過去15~6回したことある。
ギックリ腰の既往歴がこれだけ多いのによく慢性腰痛症に移行していないものだなぁ、と逆に感心したのですが、今回の症状はかなりキツイようでした。(ギックリ腰まではいっていないのですが)
例によって狙いどころは大体分かりますので、これらの主訴が解消されるような部位をピックアップし重点的に施術を行いました。そして前述のようなカウンセリングを行い、次回は一週間後。
そして一週間が経ち、来院したクライアントさん曰く「先生は24時間と言ったけれども、31時間後に楽になったね。前回、終わったのが午前10時半でしょ。で、翌日の夕方の5時半くらいだな、すごく楽になったよ。全然気にならなくなったので、もう大丈夫かと思ったけれども、念のため来たというわけ」
(予約入れているのだから来るのは当たり前でしょうが!と言いたくなるところですが)
なかなか面白い人ですね。
もちろん、私が24時間と言ったは象徴的な意味合いで言っているのは前述のとおりですが、このクライアントさん、よく聞いてなくて、24時間後!という時間だけが強烈にインプットされたのでしょう。ま、これくらいの行き違いは仕方ありません。言い方には気をつけているつもりですが、こういうクライアントさんもいます。
長年携わっているとこのような経験を無数します。
ですから、直後の施術結果にはあまりこだわらなくなります。
(もちろん、その場で楽になったという直接的な感想がありますと、張り合いはあるんですよ。でも、その場で楽になっても後にメンケン反応が起きたりしますので、そんなことには一喜一憂しなくなるものですーそうなるにはそれなりの実力を伴い、そして経験に裏打ちされた自信がないとダメでしょうけど)
だからこそ、2回目の予約を入れるというのは重要になるのです。それもあまりスパンを空けてはいけません。どうであったか、クライアントさんが忘れてしまっている場合もあるわけですから。
否定的、あるいは悲観的なことばかりいうクライアントさんもいますし、すこし大げさではないかなと思うような改善感を述べるクライアントさんもいます。
それはクライアントさんの個性ですので、言い方を直せというわけにはいきません。しかし、施術家として感じ取るべきことは、言い方の問題ではなく、表現の奥に隠されたもっと本質的なもの、つまりクライアントの身体に起きた”変化”を嗅ぎ取らねばならないわけです。
これを皮膚感覚で感じ取れるようになるということは、取りも直さず己の技量がアップしたというサインでもありますから、自信を深めて良いのではないでしょうか。
ともあれ、クライアントが感じる身体の変化にはある種のタイムラグがあるということ。
今後、研鑽されていく方にはこのことは非常に重要なことですので、脳裏に刻み付けておいたほうが良いかと思います。
※コリ程度が楽になったというレベルの話じゃありませんよ。治療系で扱う症候についてのお話です。
※本論は18)ふくらはぎと関連があります。参考までに。
♪鯛や平目の舞い踊り♪でお馴染みの平目に形がよく似ているということで名付けられたヒラメ筋。
日本には浦島太郎という昔話がありますから、前述のような童謡とともに幼少時から頭に刷り込まれている魚の名前じゃないでしょうか。
それがそっくり筋肉の名前になっていることはあまり知られていない事実ですが、一時期、サロンパスのTVコマーシャルでふくらはぎにサロンパスを並べて2枚貼るやり方を“ヒラメ貼り”としてメーカーが流行らそうとしたことがあります。残念ながら不発に終わったようですが・・・・
さておき
ヒラメ筋は腓腹筋の下層にあるので、直接触れる機会は少ないものの、筋量は多く、それに伴い静脈もリンパ管も豊富で、血液やリンパ液を還流させるのに一役買っている重要な筋肉の一つです。ミルキングアクションという第二の心臓的働きの主役と言っても良いかもしれません。
これだけでも施術の対象筋肉として充分な資格を持っているのですが、この筋の特徴はそれだけにとどまりません。自らの不調を遠くへ飛ばし、まったくもって原因を分からなくしてしまうという言わばフィクサー的な性格も併せ持ちます。
しかしながら、これらの特徴はパターンを持っているため、知識として覚えこんでしまえば、さほど複雑でも難しいことでもありません。
実際、このヒラメ筋は実に面白い症状を引き起こします。
例えば腰に直接痛みを送ることがあります。
そう!腰痛の直接的な原因になり得るのです。
まさか腰の痛みがふくらはぎから送られてきたものだとは、お釈迦様でもなんとやら、ですね。
ところが、リフレクソロジーではこのヒラメ筋にアプローチをかけるのが標準的な処置として構成されておりますから(少なくとも私が最初に教えられたリフレはそうでした)、即効的な効果が現れ、リフレは治病能力が高いという理由の一つでもあったわけです。
ヒラメ筋が原因の腰痛はいくら腰回りを揉んでも押しても緩和しませんから、クライアントは「どこへ行っても良くならなかった腰痛が治った!」と感動し、施術者はその効果に鼻高々、とまあ、足揉み屋さんならば一回や二回の経験はあることでしょう。
現在の足揉み屋さんはあくまでリラクゼーション、もしくはその延長でしかありませんから、ヒラメ筋アプローチは省略されていることが多く、即効的効果の醍醐味を施術者が味わうことが出来ず、気の毒といえばまことに気の毒。
さらに面白いのは咀嚼筋の一つである咬筋に痛みを送り、あたかも顎関節症のような症状を呈することがあるということです。ふくらはぎから直接顎に来るなんて、腰に痛みを送ること以上に考えづらい原因ではありますね。
しかし、現実にこのような現象があるわけです(さすがに頻度は低いのですが)
また、上ばかりではなく下へも痛みを送ることがあって、これは足裏の痛み、特に踵(かかと)の痛みとして感じることが多いでしょう。
「踵が痛い」という症状はあまりないような気がするでしょうが、普通のマッサージハウスや整体院では症例がないだけで、実際は少なくはありません。
足裏の痛みはこのヒラメ筋の他に腓腹筋も関係しますが、この二つを合わせると原因の過半を占めます。
足裏の痛みはふくらはぎからくる!ということを知らないまでも、ふくらはぎの処理を怠らないリフレなどは期せずして痛みを解消していたわけです。腰痛と同じですね。
しかし、期せずしてそれが為されたというのと、知っていて、かつ狙って結果を得たというのとでは、精度が違いますから、やはりリフレクソロジストといえどもふくらはぎ系、特にヒラメ筋が及ぼす影響については是非知って頂きたい知識だと思うのです。(流儀が違うからといって無視していると、治せるものまで治せなくなってしまいますでしょ)
60代前半の男性。
足底筋膜炎で悩まされていました。
痛くてまともに歩けないくらいです。
最初は片足でしたが、来院されたときには両足の裏に痛みがあって、こういっては失礼ですが、歩く姿があまりにも滑稽で、思わず吹き出したくなったほどでした。(ご本人は笑い事じゃありませんよね)
この方、実は知る人ぞ知る(知らない人は誰も知らない)「足つぼ湧泉」のK院長。私のHPにもリンクが貼ってあります。
足つぼ整体院の院長が足裏の痛みに悩まされているなんて、中々おしゃれ、かつ、お茶目だと思うのですが、ご本人はこれくらいの不調など不調のうちに入らないと思っているほど働き者です。
仕事柄、当然の如く、トリガーポイントにも熟知しておりますから「トリガーの関連痛を放っておくと本物の筋膜炎になることもあるんだよね~」と他人ごとのように感想を述べておりました。
「トリガーとはどういうものなのか?それを知りたければ私の身体を施術すれば分かる。ま、私の身体はトリガーの見本市みたいなものかな」などとこれまたお茶目なことをおっしゃる。
そういうだけあって、全身これトリガーポイント。特にふくらはぎはジャンプサインの嵐で主要な部位にはほとんどあります。
そして足底に痛みを送るヒラメ筋第2TP、腓腹筋第1TPは「ウッ」という呻き声とともに身を捩らすほどでした。
(確かに分かりやすい・・・・ホンマに見本市や・・・・)
施術が終わったばかりの時はさほど変化がなさそうでしたが、食事会での歓談中にはすでに普通に歩けるようになっていました。(2時間後くらいか)
私の施術が効いたのか、アルコールで麻痺したのか定かではありませんが、ほぼ即効的な効果が出たのは喜ばしいことです。
このように足裏の痛みはふくらはぎ(特にヒラメ筋)が原因のことが多く、筋膜炎、腱膜炎、踵骨棘等と誤診されていることも度々です。
中々治らない足裏の痛みが全身に広がり、偽性の線維筋痛症のような症状を引き起こしますこともありますから、決して侮ってはいけません。
ときどき♪鯛やヒラメの舞い踊り♪と口ずさみながら、ヒラメ筋ケアタイムのひとときを作るのは無病息災、延命長寿の秘訣の一つだと思うのです。
元祖”痛い施術”は「足揉み」から始まっていると思われる方は多いと思います。事実、台湾系リフレの初期の頃は・・・それはそれは痛いものでした。
そのとてつもない痛い施術に出会って約30年・・・・あっと言う間に過ぎ去ったような気もしますし、それなりに様々なことがあったなと、積み重なってきた年月に圧倒される思いもあります。
個人的な感慨は置くとして”痛い施術”というのは10年置きくらいに再ブームになるような気がしますね。
あまりにも痛過ぎる施術のアンチテーゼとして、気持ち良い施術の仕方が生まれ、しかし、所詮は慰安系の気持ち良さだけではないか、ということになって、また痛い施術に原点回帰する・・・この繰り返しがちょうど10年くらいのサイクルじゃないかと思うわけです。
気持ち良いだけでは飽きられるというか、やはりそれなりの効果を欲している一群の人々がいるということなんでしょう。それがなんらかの形でマスコミなどで取り上げられ、再点火される、と。
話は戻りまして、痛い施術の元祖は「足揉み」ではありません。かなり遡りますが、小山善太郎という指圧家がおりまして、この方の唱えた血液循環療法というものが日本においての痛い施術の元祖のような存在なのです。
そして日本における痛い足揉みの元祖は官有謀氏という台湾の方で、この方もまた血液循環理論を前面に打ち出しておりました。このように少し共通項がありますのでそのことについて述べたいと思います。しばしお付き合いください。
まず小山善太郎氏が活躍した時代ですが、1863年に生まれ、1940年(昭和15年)に没しておりますから、明治、大正、昭和の初期ということになります。キッカケは自身のリューマチをなんとか治したいということで、その方法論について研究した結果生まれたものだということだそうです。
台湾式足揉みの本国における元祖は呉若石氏という台湾に赴任していた宣教師なのですが、彼もまた、最初は自身のリューマチを何とかしたいという動機で台湾式足揉みを創始したようですから、ここにも共通項がありますね。
ともあれ、小山善太郎氏は自身の体験にもとづいて血液循環療法を創始しました。1910年のことです。
そして、彼を一躍有名にしたのは癌の治療でした。普通、手技法家は癌の治療は避けるのですが、彼は積極に行なっていたようです。ところが、癌に効くなどというのは誇大広告ではないか、ということで警察が取り調べることになりました。しかし、当時、床次(とこなみ)内務大臣という方がおりまして、その方がこう言ったのです。
「医者が治せんと言った胃癌を小山が治してくれた。ワシはいつでもどこでも証言するぞ!」
床次内務卿は現在ではあまり有名ではありませんが、当時は総理大臣候補の大物政治家でした。こうした大物政治家の庇護によって大いに名を上げたわけです。
官有謀氏が当時の外務大臣 安倍晋太郎氏(安倍晋三の父親)の知遇を得ることによって日本での足がかりを掴んだのと似た構造ですね。ここでもちょっと共通項があるのですよ。
さて、小山善太郎氏の施術の仕方ですが、とにかくコリを見つけてはそれが溶けるまで、指頭で押して推して圧しまくるというスタイルだったようです。それは傍で見ていると怖いくらいであったという証言もあるくらいです。
官有謀氏もまた、足に溜まった老廃物を揉んで揉んで揉み潰せ!がキャッチフレーズでした。
このデジャブ感はどうでしょう。
同じように血液循環理論を唱え、同じようにシコリを揉み潰す・・・ただ対象は官有謀氏は”足”であり、小山善太郎氏は”全身”であったという違いがあるわけですが、それを述べなければ同じ流派かと錯覚するくらいです。
癌が治るとか、治らないとかについては、残念ながら、当時の医学の水準でちゃんと見極められたかどうかという疑問がありますので、あまり信用できません。
しかし、それ以外の病態でも大いに功を挙げ、「指圧は痛いがよく効く」という一般的な評価につながったようです。
官有謀氏の足揉みもまた「足揉みは痛いがよく効く」というマニア的な評価を得て、こんにちに至っているのですが、よく似ている経過だなと思うのは私一人ではないでしょう。
”痛い施術”が何故効くのかについてはリフレソロジー九大原理の「自律(交感)神経反射」項で既述しておりますから詳しくはそちらを参考にして頂きたいと思います。
それに少し付け足していうならば”津軽三味線弾きの知恵”というものがあり、これを少し説明しましょう。
津軽地方の冬は寒いですよね。昔は現在とは比較ならないくらい家の作りは粗雑で、朝方などは家の中でさえ氷点下の底冷えする日々が続いたと思います(私は昭和34年生まれの北海道出身なのでよく分かります)
さて、そうした中、津軽三味線の弾き手は修行を積まねばなりません。冷え切り、かじかんでしまった手指で三味線など弾けるものでしょうか?
そう、そんな状態では弾くことはできません。
そこで彼らはどうしたか?
お湯で手指を温め・・・と普通は考えるところですが、真逆です。お湯どころか、氷水に手指を突っ込んでしばらく冷やしておいてさっと引き上げました。
すると・・・あら不思議。あれほど冷えて動かない手指がポッポッとほてり、温まっていくではないですか。
サウナ&冷水の愛好家ならこの現象はよく体感され理解できるのではないでしょうか。
そうです、自律神経の働きを利用しているのです。
冷たい水は血管をギュッと収縮させます。この時の血管収縮作用は当然ながら交感緊張によるものですね。非常に強い交感緊張が生まれ、もはや毛細血管は収縮し過ぎて血液が流れなくなります。そして、冷たい水から引き上げると、今度は末端に血液が供給されていない状態は超マズくない?てなノリで思い切り血管が拡張されます。かくして新鮮で温かい血液が指先まで届いて、ポカポカと温まるという寸法です。このときの血管拡張作用は副交感の働きによるものであることは言うまでもありません。
つまり、人為的に交感緊張の極限までもっていって、そのリバウンドを利用し、副交感の働きを高めるということをしているわけです。この場合、皮膚は引き締まったままですから、熱は余計に逃げづらくポカポカ感が続くことになります。まことに経験的に蓄積された知恵というのは素晴らしいものがあると思いませんか。
温めたいと思えば逆に冷やす・・・・
そして、癒したいと思えば、逆に痛めつける・・・・
極限的な交感緊張を生み出し、そのリバウンドを利用するという意味では原理は全く同じなのです。
”痛い施術”は三味線弾きの知恵と同じであったとはお釈迦様でもなんとやらでしょう。
癒し効果だけを狙ったヤワな施術よりもはるかに自律神経に与える影響は大きく、場合によってはそれがキッカケで休眠寸前だった治癒システムが働きだし、目覚しい効果をあげることもあったでしょうし、今も現にあるでしょう。
血液の循環を良くしようと、シコリ(老廃物)を除去する施術が期せずして強い刺激になり、それが自律神経を通して血管拡張作用を生み、当初の狙い通り血流改善につながる・・・・機序的にはワンクッションあってのことですが、結果としては目的を果たしていることになります。
他流儀についてケチをつけるつもりはありませんので、その是非について詳しく論ずるつもりはありません。
ただ、個人的には好みませんし、そのような方法を採らなくとも、血液循環を長期に渡って良好ならしむることは可能です。むしろ、一気に拡張させるとその効果は持続しません。
例えば、血流スコアが10だったのを交感リバウンドを利用し50まで引き上げたとします。しかしその効果が持続するのはせいぜい数時間です。
しかし、別の方法を用いて血流改善を行うと、血流スコアこそ20くらいですが、それが24時間~48時間くらい続き、急速に元に戻るということがありません。
どちらを選ぶかは、施術家の性格が関与しますが、そうした急進的な方法(瀉法)を選択する治療家は性格的にも気性の激しい人が多いようです。
いずれにしても、”痛い施術”は自律神経を激しく動揺させ、その事自体が治癒機序になっているとことを知った上で施術すべきでしょう。
それを知っていれば、自律神経の激しい動揺に耐えられない虚証者や病人に対しては別の方法を採らねばならないということが分かるはずです。そうすれば無用な誤治は避けらます。
しかし、実態は全くの経験論だけで「施術した!治った!この方法が一番!」的な業者が多いように見受けられます。本来プロの世界であるはずなのに、このようなアマチュアが跋扈する奇妙な世界なのです、我々の世界は。(長くこの業界にいるので、慣れてしまいましたけれども)
ところで、小山善太郎氏の血液循環療法の流れをそのまま組む流派はこんにちでもあるらしく、さほど痛みを与えない流儀と昔ながらの強い施術を行う流儀の二派に分かれているようです。
一時期は門弟が数千人規模でいたらしく、施術名称はどうあれ現在でも一定の影響を与え続けていることは間違いないでしょう。というか”痛い施術”のルーツなのですから当然です。現在の施術家は多寡、順逆、有形無形問わず、その影響から逃れられません(多くは小山氏の名前すら知らないでしょうが)
腹部按圧(按腹)を行うに当たって、極めて強い刺激を用いるのは間違いなく小山善太郎氏の流儀の影響を受けておりますし、殿部への強刺激によって腰痛改善を図ろうとする一派もまた小山氏の流れを組んでいます(施術者本人にその自覚がなくとも)
強刺激の治癒機序をバカにしたり否定したりするつもりはありませんが、人の身体はもうちょっと奥深いものであって、心ある施術家によって手技は日々研究され、昔と比べても格段の進化を遂げているということは知っておく必要があると思います。
にも関わらず亡霊のように強刺激施術が蘇ってくるというのは、如何に慰安に堕し効かない施術が多いかということの裏返しでもありますから、進化した手技の恩恵に与る人々の絶対数が足りないということと同じ意味となります。
これは世間に周知させる努力が足りない我々の責任なのですが、なにせ良き施術家の絶対数も不足しておりまして、今しばらくは少数派としての道を歩まざるを得ないのはなんとも歯がゆいところではあります。
ですから、一日も早く仲間になってください(笑)
時としてNHKはその潤沢な予算を使い、民放では逆立ちしても真似ができないような番組を作ることがあります。先日放送されたNスペの「ミラクル・ボディ」などはその典型ではないでしょうか。
そうそうたるオリンピックメダリスト達を五輪前から約1年かけてその身体能力について追跡検証していくわけです。NHK以外にはできませんね。受信料の元を取るという意味でもこういう番組を観ないと損するのではないでしょうか(笑)
もちろん私は観たわけですが、その中でもウサイン・ボルト選手のケースが際立って整体的に興味深かったので、それを例にとって考察したいと思います。
ボルト選手といえば、北京五輪100メートル決勝で9秒69という冗談みたいな世界新記録(当時)で優勝しました。いきなり9秒6台ですからね。本当に驚きました。
その後、ナント!!9秒58!まで記録を伸ばし、もはや今世紀中にこの記録を抜くことはボルト以外、不可能じゃないかと思うくらいです。
そしてロンドンでは北京につづき二度目の金メダル!まるで当然のごとく。しかも世界記録には及ばないまでも9秒63という堂々たるオリンピックレコードです。
結果だけを見ると順風満帆、余裕で五輪連覇のような感じですが、実はその直前まで大スランプに陥っていたそうです。
何故か?
ここが番組の見せ所ですが、読者の全員が観ているわけではないので、かいつまんで話さなければいけませんね。
実はボルト選手、人口の0.1%の割合で発症する真性の脊椎側弯症なんです。
直立して立ちますと、左肩が下がって(というか右肩が上がってというか)、目視でも分かるほど身体が傾いています。ということは左足が短いという見かけ上の脚長差があるわけですよ。
そういう身体特徴ですから、左足で蹴る歩幅と、右足で蹴る歩幅に大きな差が生まれます。具体的に言いますと、左足で踏み切った場合の歩幅は279センチ、右足の場合は259センチ。実に20センチもの違いがあるのです!
これを知ったとき、ボルト選手の走りに感じていた妙な違和感のようなものが分かって逆にすっきりしました。読者の中にも感じていた人がいるかもしれません。ボルト選手の走行フォームは美しくないわけですよ。上下動が激しいのと、何より肩がユサユサとブレながら走っているんですね。
日本人というのは美しいフォームに敏感です。ですからボルト選手の走法には大いなる異質さを感じていたのですが『なるほど、歩幅が左右で20センチも違うのか・・それで納得だわ・・』と。つまり、歩幅の違いを全身、特に上半身を使い補正しながら走っていたわけです。そうしないとトンデモナイ方向に行ってしまいます(左側にズレていきますね。スタートするときは第8コースでもゴールするときは第1コース!なんてことになっては、走行妨害で失格になりますから)
話だけ聞くと大変なハンデですよね。
脊椎側湾症で左足が短いのですよ。およそ短距離(っていうか陸上競技そのもの)に向かない身体じゃないですか。
ところが現実には別次元の記録でトップに君臨している・・・
一体何故?
脚長差というのは一見すると短所中の短所なのですが、実は彼はそれを長所に変えているのです。
どういうことか?というと、側弯症によって骨盤がねじれるようにして上方に上がってしまっているわけですよね(左上方回旋)。それで見かけ上、左足が短かいわけですが、しかしその分、足を接地させるときの落差(落下距離)が大きくなります。つまり、その落差(重力)を使って推進力を得ていたということです。驚き・・・そんな話聞いたことがありません。
なんと名付けましょうか・・・左足推進力走法ということにでもしましょうか。(言葉でいうのは簡単ですが、それを支え、全体のバランスをとる筋力は半端ではありません)
その結果、彼の最大の武器は後半60~70㍍くらで得られるトップスピードで、実に時速45.9キロにも達します(人類最速)
ところが、逆にスタートダッシュが弱い。
骨盤が捻れていますから、スタート時、膝が大きく内側に入り込んでしまいます。つまり下腿部が身体よりもかなり外側に行ってしまうということです。
これだけで、すでに100分の1秒レベルで損をしているのですが、損失はそれだけにとどまらず、なにせスピードに乗っていませんから、脚長差が推進力になるどころか、ガタピシ、ガタピシ、まるで欠けた車輪のついた荷車を引っ張っているような不自然さです。つまりこの時点では効率の悪さが前面に出てしまう身体特徴なのです。
そこで考えるわけです。
もし、このスタート時の効率の悪さを少しでも改善できたら、ダントツ、ぶっちぎり、つまり真の意味で伝説になれるのではないか!と。9秒4台も夢ではなくなるのではないか!と。
そして彼は自分の持つ身体の歪みを矯正すべく努力します。
オリンピック前の一年間はほとんどそのことに時間を費やしたといっても良いでしょう。
その結果どうなったか?
記録はドンドン落ちて行きました。
そして、ジャマイカの代表選手選考会では後輩選手の後塵を拝し、なんと2位でようやくオリンピック出場権を得るという屈辱的な結果になってしまいました。
さらに歪みからくるフォームを補正しようとした結果、ハムスト筋(大腿部裏側)に異常なほど負担がかかり、断裂寸前・・・伝説どころか選手生命の危機にまで陥ったのです。
「ボルトはもう終わり!」「2連覇はないだろう」「普通の選手になった」果ては「今までドーピングやってたんじゃないのか?」みたいな風評まで出る始末。
ま、マスコミ、世間というものは勝手なものです。落ち目とみればトコトン叩く。
人生というのは山があったり谷があったり、いい時もあれば悪い時もある。問題は悪いときの対処法ですよね。人間、とにかく打たれ強くないと人生の荒波を乗り切っていけないですよ。ボルトに限らず・・・ね。
ともあれ、ピンチに陥ったボルトは何をしたか?
原点に戻ったんですよ。
北京でぶっちぎりの金メダルを取ったとき、内側に入る膝を矯正しようと意識したか?
世界記録を更新したとき、フォームを改造しようとしたか?
否!なわけです。
ただ無心に、ただ身体のおもむくまま、ただひたすらゴールに向けて走っていったことを思い出しました。
そして、そこに戻った結果は・・・・ご承知の通り。
見事なる復活劇。彼は自身夢にまで見た伝説の人になったのです。
ここから様々な人生の教訓を学び取ることは可能でしょう。しかし、私は一介の整体師ですから、教訓を垂れるのは柄ではありません。
あくまでも整体的な意味合いでの教訓について述べたいと思います。
①側弯症は治らないということ
ボルトほどの立場にいれば世界中のどんな名医にでも診させることはできるでしょう。
しかし、だれもそれを治すことができなかったという冷厳なる事実を直視せねばなりません。
よく治療系整体の宣伝チラシでビフォー写真が右肩上がり(左肩上がりでも構いませんが)、アフター写真が正常というのを並べて歪みの矯正をアピールしておりますね。
一時的にそう見せるのは可能ですが、簡単に元に戻ってしまいます。
矯正できるケースは筋筋膜の緊張短縮による不整合のみです。
それとて、麻痺による後遺症で起きているものは無理ですし。
それを無理矢理、強制的に治そうとするとどうなるか?
ボルト選手の例で分かるようにどこかに歪みが応力転移して身体の一部に負担をかけることになりかねません。
※真性側弯症でも多少は改善されます。大人になって随分目立たなくなることはあるのですが、それでも完全に治るということはありません。
②姿勢(フォーム)矯正の弊害
また、姿勢が大事だと言いますが、その姿勢を取るには相応の理由があってのことです。
合目的的な理由があるということを一切考慮に入れず、ただ姿勢矯正の指導を謳い文句にしている流派がありますが、ナンセンスの極みです。
繰り返します、ヒトがある姿勢を取るとき、そこには理由があるのです。
その理由があっての歪みのことを代償性パターンといいますが、ボルト選手はその代償性パターンを矯正しようとした結果、大スランプに陥りました。
ましてや我々のように筋肉を鍛えていない一般人が考えもなしに矯正しようとすれば結果は明白です。
矯正せねばならない歪みはそれを意識せずとも正しい施術をすれば自ずと矯正されていくのです。
そして代償的にどうしても必要な歪みは治ることはないのです。身体の知恵を軽視してはいけません。
③長所と短所は紙一重
側弯症からくる脚長差が短距離走において強みになるなどとかつて誰が想像したでしょうか?これほど明白な短所でさえ、それを逆利用して長所にできるのです。
ある手技法のある流派の創始者は親指が反るタイプの人でした。当然ながら彼が行う親指押圧は反った指を生かすべく親指を寝かせるようにして母指腹を使います。そして言いました。「指を立て、母指頭で圧すのは邪道である」と。
しかし、弟子の中には指が反らないタイプの人もいます。彼らはどうしたか?
金槌で親指の関節を叩いて少しでも反るようにしたそうな・・
悲しすぎて笑えない話です。
指が反らなくとも、反っても、いかようにでもやり方はあるじゃないですか。
因みに私は指が反らないタイプです。
かの流派からみれば私の指は短所そのものですが、私の流儀からいえば長所以外のナニモノでもありません。ことほど左様に、長所、短所などは曖昧なものなのです。
身体にどんな特徴があっても、どんな歪みを持っていても、それに適応し、あるときにはそれを強みにさえしてしまえる・・・そう!我々は皆、ミラクルボディの持ち主なのです。
ならばクライアントを信じることができるじゃないですか。どんなに歪んで酷いことになってもいても、そしてそれが矯正されずとも・・・必ず良くなると!
何故なら、等しくミラクルボディなのですから。
前回、教科書、テキストなどで習う症例と実際のクライアントが訴える症状とは微妙な違いあると言いました。或いは、教科書的症例から類推して術者自ら原因を推測して行かねばならないこともあると・・・その代表例として手指のむくみを取り上げたわけです。
むしろ、テキストどおりに出るほうが珍しく、微妙な違いをどのように解釈していくか?というところに施術の醍醐味、面白さがあると思います。そして自分の考えがドンピシャだったときには、なんと申しましょうか・・・・施術以外に仕事は考えられなくなります。
これが天職!であって、転職など考えらない!
てんしょくしてそれをてんしょくにするために手に職なんだなぁ、と。
↑(おっ、中々良いコピーかも)
さておき・・・・(イタッ
教科書と寸分違わない症状をお持ち方が来られることもあります。
思わず吹き出しそうになってしまうくらい典型的、教科書丸写し的な症状です。
こんな方が来られました。
年齡は50歳。女性。
肘の外側が痛むと言います。
(なるほど~テニス肘か・・・ややこしくなっていなければいいけどなぁ) と思った瞬間、『それと・・・どういうわけか、中指と薬指が痛むんですよ・・・』とおっしゃる!
これを聞いたときは思わず吹き出しそうになりました。
(こんな・・こんな教科書的な症状ってあるんだ・・ムフッ・グフッ)
この症状は前腕の指伸筋という筋肉にトリガーポイントが出来たときの痛みのパターンなのです。まさに肘の外側と中指、薬指に痛みを送るんですよ。鮮やかな一本!、てな感じです。
たまにはこういうケースもあるんですね。
指伸筋のトリガーポイントを沈静化させて一発改善。
あまりにも教科書的でかつ、歪みもそれほど深まっていなかったというところから一発改善に至ったわけですが、では逆に、何故、微妙に症状の違いがあるのか?そして、何故、一発改善しないのか?
このことを少し考えてみたいと思います。
トリガー体系を整えたDr Travell & Dr Simonsは科学者ですからもっとも重視するのは再現性です。
膨大な手間暇をかけて、ある筋肉にトリガーポイントが出来た場合、そこに共通する痛みのパターンをあぶり出しました。これはどんなに賛辞を送っても過ぎるということがないほどの偉業、快挙と言っても良いでしょう。なにせ、名人、達人のみが達する境地を体系化してしまったわけですから。
さて、これは再現性があるからこそ信用に足るものです。
しかし、一方で個体差というものも存在します。性別、年齡、先天的な肉体的違い。育った環境。従事している仕事。人はそれぞれが唯一無二な存在なわけです。
しかし、繰り返しますが、個体差を超えた再現性というものがなければそもそも体系化できません。
もう一度原点に戻って、Dr Travell & Dr Simonsは一体何を発見したのか、再考察してみましょう。
簡単にいうと「ある筋肉のある部位にトリガーポイントが発生し、それが活性化した場合の痛みにはパターンを見出すことが出来るということ、そしてそれが単独での仕業なら、万人が万人とも同じパターンを呈する」という発見です。
ここで重要なのはトリガー活性という概念と単独原因である場合についてというシバリ。
逆にいうと、この2つの要件を満たすことによってのみ、万人に共通するパターンが得られるとも言えるのです。
では以下のような場合はどうでしょうか?
①トリガーポイントはあるが活性しておらず、筋短縮作用のみがある場合。
②トリガーポイントは活性しているが単独ではなく複数に及んでいる場合。
①はそもそも不活性状態ですから、関連痛パターンはありません。しかし、トリガーポイントによる筋肉短縮作用があるわけですから、筋短縮、少なくとも筋緊張はあるはずです。そしてこのような筋肉の不均衡状態が関節を拘束したり、歪ませたりして、神経圧迫や体液循環の阻害要因なるわけですね。
これらの現象を一括してトリガーポイントの二次災害と呼ぶわけですが、すでに述べた小胸筋トリガーからくる手指のむくみや、斜角筋短縮による胸郭出口症候群、或いは梨状筋がトリガーによって短縮しておきる坐骨神経痛様症状(梨状筋症候群)、足首拘束からの膝痛などが挙げられます。
しかし、これは明確な関連痛パターンではありません。あくまでもトリガーによる二次災害ですから、その実体は関節拘束や組織拘束といった歪みそのものであり、それが愁訴の原因となっているわけです。したがって、その状態は人によって様々であることが予想され、症状の個人差がごく普通に見られることなります。
痛みの中にそういった二次災害系が混じってくると、その人特有の、あるいは教科書から微妙にズレた症状を呈することは理の当然でしょう。
②については私自身も悪化した五十肩で経験しており、日によって、或いは時間によって刻々と症状が変化していきますので病態把握が難しく、厄介で難治性のトリガー症候群だと思います。
因みに、私の場合、棘下筋に三つ、小円筋に一つ、肩甲下筋に2つ、斜角筋に三つ、その他棘上筋、上腕三頭筋、二頭筋、三角筋にもそれぞれトリガーが形成されていて、なおかつそれが同時に活性化したり、時間差で活性度合いが違ったり、あるトリガーを沈静化したと思ったら別のトリガーが活性して痛む箇所が微妙に違ったり、まるでイタチごっこ、モグラ叩きの様相でした。
そんなことで、じっとしていても脂汗が流れてくるほどの痛みに苛まれ、睡眠も満足に取ることができなかったという苦い経験があります。結局、全部のトリガーが沈静化され、腕は上がらないものの痛みが引いたという状態にもってくるまで6週間ほどかかりました。
これなどは教科書をはるかに超える範囲での痛みでもあり、痛み方のパターン化が難しい例だと思います。
私が経験したのは尋常ではない複数トリガー症候群なのですが、しかし、ここまで酷くはなくとも複数のトリガーが同時活性したり、一方のトリガー活性が優勢であったり劣勢であったりする病態はごく普通にあるわけです。実はこれが教科書で記されている症状とは微妙な差異を生む原因の一つなのです。
そしてさらに、①のケースまで混じってくると、もはや教科書とは相当に違う症状を呈することになるでしょう。
机上だけでトリガーを勉強した者が『トリガーポイントといって もそれが当てはまる例は限られている』と見切りを付けることが多いのですが、教科書というのはあくまでそれが単独原因であることを前提にして提示されていますし、ましてや二次災害系にまで言及していることは稀です。
ですから、ホントはトリガーポイントの応用問題なのに、それを深く思索することなしに別のところに原因を求める愚を犯す・・・・実に勿体無いことです。
当塾では単独原因での関連痛パターンをまずは徹底的に覚えると・・・・このことをトッププライオリティにしているのは間違いではないと確信している次第。何故なら、これがなされて初めて応用が利くのですから。
手指のむくみは深刻なものでは心臓疾患などが考えられるのですが、西洋医学的な検査のよってそれら内臓的な問題は“なし”と判定された症例について考えてみたいと思います。
我々にも一応テキストというものがあって、これを徹底的に勉強します。それはもう自身の血肉になるくらい勉強しかつ実践していくわけです。
ところが、必ずしもそのテキスト通りの徴候が現れているとは限りません。これはどんな分野でも言えるのではないでしょうか。
例えば、漢方の世界でも、机上での勉強のうちは、どんな患者が来ても治せるような気がするそうな(勉強が進んでくると)。
しかし、実践に出てみると(臨床)、どの患者も微妙に教科書に書かれている症状とは違っていて、迷いに迷い、結局、処方できる薬が一つもない・・・と。
そこにその医者の創意工夫、或いは”閃き”、或いは”経験”というものが入ってくる余地があるわけですね。
我々手技法の世界も漢方ほど極端ではありませんが、ある知識を手がかりとして術者自ら解決法を見出していかないねばならない場面が結構あります。
手指のむくみなどはまさに典型な例でしょう。
50代前半の女性。
所謂、コリ性(症)で、全身がとにかく硬い人です。よくあるパターンで、コリも酷くなると頭痛がしてくるとのこと。また最近ではめまいまでしてきて、どうにもこうにも身の置所がなくなるそうな。
これらの症状は教科書的ですから、特に難しいことはありません。首に問題があるわけですから、基本手技の中で入念に首、肩を緩める操作によって緩解していくでしょう。
さて、その他に表題である「手指のむくみ」という症状を訴えているわけです。
教科書的じゃないですねぇ。
さて、どうしましょうか?
ヒントは手指のシビレの場合を考えるわけです。
手指のシビレは教科書的には何通りかの問題点が指摘されています。
その中でも首、肩に問題があるのはすでに分かっているわけですから、候補は三つに絞られるはずです。
首、肩回りでシビレを生み出す部位・・・・斜角筋、小円筋、小胸筋。
述べたように全身の筋肉が硬いタイプですから、経絡でいうところの胆経に問題があると予測できます。胆経に関連が深いのは小円筋ということになりますから、ここで重点が絞られますね。そして方針が立つと・・・
しかし、予測を超えることもありますから、先入観を持ってはいけません。
小円筋は重点なのですが、残りの斜角筋、小胸筋も手を抜かずに施術します。
斜角筋は40歳を過ぎるとほとんどの方が反応しますので、この部位のジャンプサインをもって問題箇所だと決め付けるのは早計です。
よって、この方の例では非常に強い反応を示していましたが、症状を憎悪させる要因の一つであろうと判断しました。
そして、小胸筋・・・驚きました。
通常では考えられないほどの強い反応(ジャンプサイン)を示したのです。
小円筋は胆経の支配が強いのですが、小胸筋は肝経の支配が優位になります。
つまり小円筋と小胸筋は陰陽関係にあるわけです。
ここらへんの知識は別になくても実務上困ることはありませんが、知っておいて損にはなりません。
なるほど・・・と思いましたね。
ご本人も相当驚いたようで『こんなところ、こんなに痛いの!?』
しかも左右でかなり痛みに違いがあります(右での反応が強く、右手指のむくみのほうが強いという自覚症状と一致している)
小胸筋・・・意外といえば意外なのですが、ちゃんと候補には入れてありましたから、見逃さずに済みました。
おそらくこれが手指のむくみを生む主な原因だろうと判断した次第。
実際、施術後2週間ほどはむくみがほとんど出ず、大変喜ばれておりました。
さて、教科書では「むくみには小胸筋」という記述はありません。
かなり気が利いているものでさえ、シビレ適応くらいがせいぜいのはずです。
しかし、シビレとむくみの共通項は何か?ということを考えてみれば同じような原因であることが分かると思います。
キーワードは”圧迫”です。
神経圧迫、リンパ管の圧迫。つまり根本的には筋緊張がベースになっているわけです。
もっと分かりやすい表現をすると”コリ”ということですから、どこが原因か分からずとも身体全体の筋肉を緩めることによって、改善することも多いわけです。
しかし、それでは的確なポイントに手が行かない可能性が高いではないですか。すると、効果が長持ちしない、ということになりますよね。
特に”小胸筋”は前側ですから、通常の施術で手が行くところではありません。ですからポイントを知っておいたほうが良いに決まってます。
整体的なテキストにむくみをあまり載せないのは内臓疾患、特に心疾患は重大な問題を引き起こす可能性がありますから、それらの可能性を考慮せず、整体だけで対応させないようにする意図があるのかな、と。(ですから、冒頭部分で述べたように内臓的な疾患がない、という前提での症例であることを重ねてお断りしておきますね)
さておき、コリ、即ちトリガーポイントによる筋肉の短縮効果というのは思いの外、大きな影響を与えてしまうわけです。そしてこれらの症状をトリガーポイントの二次災害と呼ぶのですが、その二次災害はシビレのみならず、ある種のむくみを呈してしまうこともあるということは知っておいた方が良いでしょう。
そしてそれはどのテキストにも載っていないはずですから、自分で考えるという分野の一つです。
自分で考えると言っても基本的な知識がないと考えようがありませんから、まずは基本を叩きこむ。言うまでもありません。
施術家は登山家と同じくらい天気予報を気にせねばなりません。
何故か?
施術を少しでも生業にしたことがある者なら"体調”というのはおそろしく天気によって左右されるということを身に沁みて知っているはずだからです。
天気は関節系の痛みは言うに及ばず、自律神経系の不定愁訴を抱えている方、または難病系で苦しんでいる方など、病を得ているあらゆる方々に影響を与え、好、不調の波を作ります。
人の気分というのは天の気分によって左右されるものだなぁ、つくづくと実感されますね。
個人的なことを言わせて頂くと、若くて健康な頃は天気による体調の変化など全く考慮する必要はありませんでした。特に痛いところもありませんし、持病を抱えているわけでもありませんでしたから、どんな天気のときでも自分の気持ちをシャキッとさせればそれで済む問題だったわけです。
ところが、齢を重ね、持病もしっかり根付いてきますと・・・クライアントさんがいう天気による体調変化の訴えが実感として迫ってくるのです。
ここで『天気と体調は関連性がありますよね~』で終わったら単なる世間話のレベルになってしまいますから、施術家ならもう少し考察したいところですね。ちょっと考えてみましょう。
さて、施術家にとって一番気になることは何でしょうか?
どんな施術家であっても(名人でも三流でも)、自分の行った施術の効果がどうであるか?或いはどうであったか?ですよね。
施術効果があって、少しでも改善の方向に向かったのか?それともメンケン反応が出て、一時的な症状の憎悪があったのか?或いは特に体感できるような変化がなかったのか?
これらが全く気にならないという施術家がいたらお目にかかりたいくらいです。
(ただし、施術家として一流であればあるほど結果によって一喜一憂しないものです)
そうすると天気によっても体調というのは変化するわけですよね。そして施術の効果は体調の変化によって実感されるものです
ならば!ならばですよ、いやしくも施術を行う者が、天気に留意しないなどということがあり得るでしょうか?
もし、天気など気にも留めていないということであれば、それは怠慢としか言いようがありません。
例えば、あるクライアントさんを施術しましたと・・・・
施術した日くらいから低気圧が接近してきていたとしたら、どうでしょう?或いは、それまで晴天で施術したその日から雨が続くとしたら?
施術効果が減殺されるかも知れませんね。
その逆だったとしたら、つまり施術後から天気が回復し、快晴高気圧になるとしたら?
施術の相乗効果が期待できるかもしれません。
このように考えるならば、施術家が登山家並に天気予報対して敏感になるのは当たり前の真ん中の話なのです。
しかし天気(天の気分)とはよく言ったものです。
単なるWeatherではなく、ヒトの気分が左右されるという意味でも、病人の場合はそれが死活問題にまでなるという意味でもまさに”天気”です。
ですからお天気をバカにしてはいけません。
常に注意を払い、施術後からどのような天気の変化があるのか?知り得る限りの情報を仕入れて置くべきです。
勿論、温度、湿度も関係しますが、自律神経に大きな影響を及ぼすのが"気圧"ですから、この変化にも充分留意すべきです。特に下がりはじめや上がりはじめが要注意。飛行機でも高度を変化させる時(離着陸時)に耳の痛みを訴えるケースが多いじゃないですか。
ヒトの身体というのは適応力はあるのですが、それには少し時間がかかるということ、つまり、変化し始めたばかりのときはまだ対応できないでいるわけです。病人はただでさえ適応力が落ちているわけですから、このときに酷く調子を崩すことが多いのです。
施術効果というのはトータルとしてクライアントさんが実感として感じるものですから、施術力だけではなく、”天気”のよってもその実感が変わり得るということを理解してください。
”天気”は施術家がコントロールできるものではありませんが、今の時代、少なくともその変動を予測できる情報があるのですから、その情報に敏感になってください、という趣旨です。
そうすると、術後のカウンセリングの内容も少し変わってくるでしょう。
※YaHooの”天気”をクリックして、温度、湿度、そして天気図(気圧配置)を確認するのを仕事前の朝の日課したら良いと思います。他に分かりやすいサイトがあればYahooでなくとも構いませんし、テレビでもラジオでも良いのは勿論です。
小生の施術家としての出発点が足の反射療法であることは折にふれて述べているところです。おそらくそのせいでしょう、足のトラブルを診る機会が他の施術家に比べて断然多かったように思います。
足の反射療法は、足のために行うというよりも足を通して全身に影響を与え、足以外の症状を改善するのが主たる目的にもかかわらず。
『足の施術をするのだから、足のトラブルの改善を専門とするのだろうな』と勘違いされる方が昔は結構いらっしゃいまして、足のトラブルを抱え、飛び込んでくるクライアントさんは決して少なくはなかったのです。必然的に他の施術家よりも足のトラブルを診る機会が多くなってしまったということになりましょうか。
その中でも意外に多かったのは足底部の痛みです。
踵、土踏まず、そして今般の表題である足底前方部。
足底は大きく分けて上記のように、踵、土踏まず、足底前方部と三つに分けることができ、それぞれ痛みの原因が違います。
土踏まず、踵についてはまた機会があれば述べたいと思いますが、今回の表題である足底前方部について少し説明しましょう。
まず、足底前方部とは何処か?
リフレをされている方なら「肺、僧帽筋の反射区に相当します」といえば一発で分かってくれると思います。
リフレ未経験者には、足裏の趾の付け根から下、土踏まずより上、ただし、第一中足骨側(母趾側)は除く、という説明になりましょうか。
要するに足趾を除く、土踏まずよりも前の部分、と、理解して頂ければと思います。
踵とともに、地面にしっかり接地する部位ですので、歩く度に痛い思いをする大変不快な部位とも言えるでしょう。
歩くと痛いわけですから、どうしてもそこを庇うことになります。すると、他のところに負荷がかかります。例えば、逆側の膝の痛みに転化したり、股関節の痛みが出たり、或いは腰痛のタネを作るかもしれません。
放っておいても早々に治ることもありますが、中々、痛みが取れず、述べたような二次災害的症状に移行してしまうことも結構多いのです。
西洋医学的な処置では中々治らず、かといって整体系の施術院ならどこでも治せるというものでもありません。
かくして治療難民化し、膝、股関節、腰への転化に至ってより大きな苦痛を抱えることになっている一群の人々が結構いらっしゃるという現実を知っておいたほうがよいでしょう。
さて、この足底前方部の痛みの原因は何か?
十中八九、足趾の屈筋群のトラブルからきます。
屈筋群の中でも、長趾屈筋と短趾屈筋の2種が犯人である可能性が高いでしょうね。
長趾屈筋はふくらはぎの深層筋で、腓腹筋やヒラメ筋のさらに下にありますから、そこに到達させるのは少しコツが要ります。
脛骨の後ろ側から起始しておりますから、脛骨の際から入れていくというイメージになるでしょう(テキストをお持ちの方はST3-23pのbを参照)。
やや痛がるかもしれません。しかし、こすったり、ストローク系の技法を使わないで、単純推圧で対応すれば、その場で痛くとも後を引くことはありませんし、アオタンが残ったり、組織が損傷することはありませんので心配する必要はありません。
続いて短趾屈筋ですが、これはリフレの経験者なら「小腸の反射区に相当する」というとすぐに分かるでしょう。反射区を知らなければ、土踏まずの中でもやや下の方、という言い方で理解してくれるのではないでしょうか。
この部位も単純推圧で充分に沈静化されます。
しかし、足裏筋肉に対して単純推圧で効かせるのはそれなりのテクニックが必要なので、より簡単なフリクション系で対応しても問題ないと思います。
以上が改善への近道になりますが、まれに足裏にある 母趾内転筋という筋肉がトラブルを起こして訴に至っているケースもあります(痛みのある部位と大体重なる筋肉)。念のためこの部位の操作も行なっておくとより完璧でしょう。
60代女性。
脳梗塞の既往歴があり、左半身麻痺の後遺症から、脚長差が相当に目立つ身体です(当然、左足が短い)
日常的に逆側、つまり右足に負担がかかっているのでしょう。
そして右足底前方部に痛みがあり、歩く度に辛い思いをしているとのこと。
このように脚長差が極端にあって、足裏に痛みが出てる場合はふくらはぎのトラブルであることが多いものです。つまり、この場合は長趾屈筋の単独犯の可能性が高いということ。
右ふくらはぎにアプローチしましたら、案の定、非常に痛がりました。まず、間違いないようです。
施術上の痛みを最小限にするように操作し、念のため、短趾屈筋、母趾内転筋へのアプローチ。
二日後には痛みが完全消失したとのこと。
原因が推測できれば施術そのものはさほど難しいものではありません。
要は問題箇所を推定できるか?ということなのですが、これが出来る施術者が圧倒的に不足しているわけです。
ですから、整体系なら何処でも治せるものではない、と冒頭部分に述べたわけで、研鑽を是非に積んで頂きたいものだといつもいつも思っているのですが・・・なかなか・・・意識の高い人は少ないものです。
腰と背中とおまけに首まで傷め、歩く姿がまるでゾンビのように見えることからこの名が付けられました。決してミラ・ジョヴォビッチ的バイオハザードな病ではありません。
普通は腰と同時に背中が痛むとか、ましてや首まで痛いということはあまりないのですが・・・まあ、あるとすれば、事故などで障害を負ったときくらいでしょうか。
ところが、日常生活を普通にしていて、徐々に疲れが溜まっていき、ある朝、起きてみるとそんな状態になってしまったと、そういう症例も実はあるんです。
しかしちょっと想像してみてください。
寝違いのような首の痛さと、内臓反射によるものであるかのような背中の鈍痛とぎっくり腰寸前のような腰の痛みが同時に襲うわけですよ。当然ながら、まともに歩けず、ゾンビ症候群などと無責任な名前まで付けられて・・・
人生嫌になっちゃうと思いません?
(もし永続的にそれが続くと思えば)
そういう方にはまさに我々の出番じゃないですか。
この症例は当然、脊柱起立筋がキモになります。
痛み方によって区別はしますが、十中八九、起立筋問題が隠されていると思って間違いないでしょう。
ですから、背中~腰に関しては起立筋アプローチをマスターしていないと中々解決できません。
そして起立筋問題の多くは筋腹上にできるトリガーポイントによって引き起こされています。
この筋腹というヤツが中々クセモノでして、流派によっては起立筋筋腹施術を禁止している場合があるくらいなんですよ。
理由は非常に施術しづらく(指で捉えづらい)、無理にやろうとすると的が小さくてコリコリしている為、外れてゴリっと不快感を与える可能性があるということになっています。
リラクセーション系ではなんら問題ない考え方ですが、我々のような治療系ではむしろ筋腹上の施術アプローチは必須になるわけでして、避けて通るわけにはいきません。
経絡施術がさすがだなと思うのは、「起立筋の筋腹」と用語は使いませんが、背候診という形で起立筋上の筋腹施術が標準化されていることです。
しかも、肘の尺骨をやや斜めに当て、安定性を確保しつつ施術を行う方法を採っています。
これが期せずして、起立筋上のトリガーを沈静化させ、治癒に導く機転となっているのでしょう。
TPの存在が知られていない時代に確立していた技法ですが、経験的に実践的に理解していたというところが凄いなと思う所以です。
ともあれ、背中、腰に関しては起立筋上の筋腹。
そして、首には言及しておりませんでしたが、首の場合は原因が様々でありまして「殆どの場合はココ!」と言えないのが残念です。
首痛のきわめて一般的原因、つまり肩甲挙筋に問題があるかもしれませんし、僧帽筋かもしれません。
個々のケースで臨機応変に対応していくしかないのですが、首回りの一式施術によってほぼカバーできるかと思います。
40歳男性。
仕事がら、重たいものを移動させることが多く、もともと腰、背中、背中の状態が良くない方でした。
それでも、なんとか誤魔化し、誤魔化し、日常業務をこなしていたそうです。
ところが、限界が来たのでしょう(いつか必ず限界が来ます)、ある朝、起きてみると、首も背中も腰も全部痛い!と。まさに歩く姿がゾンビのよう・・・
当然、当院にもゾンビのようにぎこちない姿勢と歩き方でやってきました。笑ってはいけない場面ですが、なんともユーモラスな姿勢なので、堪えるのに必死です。
なんとかうつ伏せになってもらって、述べたような起立筋を重点にしながら、一式施術を行いました。
さすがに施術直後の改善はイマイチでしたが、後で聞いたところによると、翌日には症状の半減、翌々日にほぼ症状が消失したとのこと。
サソリの毒ではありませんが、施術効果も後でジワジワ効いてくる場合があります。
ゾンビ症候群はほとんど後日緩解パターンでして、一発改善がしづらい病態なのです。障害部位が多いわけですから、まあ、仕方がありません。
しかし、その症状の派手さに比べれば、意外と治しやすい病態でもありますから、起立筋処理の練度を充分に高めて置くことに如くはないでしょう。
ギックリ腰については何度か述べているところですが、ギックリ腰になりかけている状態というのも実は症例として多いものです。
読者の皆さん自身も経験したことがあるのではないでしょうか。(わぁ~これはちょっとアブナイぞ、ヤバイかも・・・・)って。
ギックリ腰になってしまったら、もう動くのも容易ではないことは周知のとおりですが、その前段階のヤバそうな腰の痛み。
表現として適切かどうか分かりませんが、このままだと確実にギックリ腰に移行するのがなんとなく分かってしまうような痛みです。ギックリ腰を一度も起こしたことがない人にも、そう予感させる痛み&違和感なのですから、不思議です。
(どうしてギックリ腰の経験がないのにギックリ腰を予感できるのでしょう?)
さておき。
ギックリ腰の原因の第一位は脊柱起立筋のうちの最長筋に問題が起きることなのですが、このギックリ腰予感腰痛は深部脊柱筋の問題が原因第一位になります。
ギックリ腰全体としては深部脊柱筋に問題があるケースは第2位になるのですが、ギックリ腰予感腰痛は一位と二位が入れ替わるのです。
何故、深部脊柱筋に問題が起きるのかというと、根底には腸腰筋問題が隠されていて、その理解があるとかなり有効な施術を行うことができるのですが、それを正しく認識している施術者は決して多くはありません。
腸腰筋(主に大腰筋)が緊張短縮して腰椎を前側(お腹側)に引っ張ります。すると、椎骨を支えている深部脊柱筋も同時に引っ張られ、その反動として縮もうとします。
深部脊柱筋は一つ一つの筋肉が極端に短いため耐性があまりありません。ですから、自ら縮もうとする力によってトリガーポイントが出来てしまい、それが今まさに活性化しようとしている状態がある種の“予感”を感じさせるわけですね。
例を一つ。
50代後半の女性。
仕事は調理系で立ちっぱなしのことが多いとのこと。
ある時、腰に違和感を感じ、ある角度で痛みを感ずるようになったと言います。
その角度はうまく説明できないようでしたが、やや左に腰を曲げた時であることが簡単な検査で判明。
痛む箇所は3番くらいの腰椎そのもの。
深部脊柱筋が原因である腰痛の特徴は骨そのものが痛む感じがする、というものです。
左に曲げた時に痛むという事実と骨が痛むかのように感じるという事実を重ね合わせると、左側にある深部脊柱筋に問題があることはほぼ間違いないところでしょう。
そして、本人曰く「このままだとぎっくり腰になりそう・・」
まさに教科書的な症例です。
ここまで分かると、施術の組立は簡単です。
左を上にして横向きに寝てもらい、該当箇所を持続圧。
中々、一発で見つけられないのですが、本人に聞きけば問題箇所は押圧された感覚に明らかな違いがあるはずですから、分かるはずです。
うっ、ソコ!
いわゆるジャンプサインを口で伝えたものです。
※ジャンプサインはもともと口ではなく、身体がジャンプするように(ビクッとして)反応する現象のこと。
間違いありません。左側の深部脊柱筋にトリガーポイントが発生していて、今まさに活性しようとしている状態です。
この押圧の加減は中々難しくて、強すぎると、筋断裂を発生させてしまい、かえってよろしくありません。
かといって、ヤワな圧力ですと、効きが悪いわけですから、なんとも気を使うところですね。
横向きが終わりましたら、仰向けで腹部。
腸腰筋へのアプローチです。
これを省略すると、治り切らないことがあったり、治りが遅かったりしますので、欠かせません。
述べたように深部脊柱筋の根本原因は腹部にあるのですから。
一連の操作を終えて、感想を聞きますと、さほど変わった感じはしないとのこと。
ここで慌てるほど経験が少ないわけではありませんから、「まあ、様子みてください。翌日には変化があるはずですから」と言って帰しました。
ハッキリ言って、これくらいの症例で何回も通わせる必要などありません。ただ、施術効果がどうであるかを確認する為、一週間後に来院してもらうことにしました。
結果は施術の翌日から症状の完全消失。
現在の問題点については完治ということになりました。
ギックリ腰になりかけの症状というカテゴリー分けは変な感じもするでしょうが、冒頭に述べたように意外に症例が多く、対処の仕方を覚えて置くに如くはないかと思います。
数多くのクライアントに相対し、施術を行うことがキャリアにおいて重要なのは論を待ちません。
それを手っ取り早く実現できるのが所謂、健康ランドや温泉で行う業界用語でいうところの“ハコ”なのですが、述べたように、こういうところの経営者サイドはわずかの研修を行なって即席の施術者を作り出すだけで、施術家を育てる概念すら持ちあわせていません。あくまでもリラクセーションを標榜しているわけですから、当然といえば当然で、彼らを責めるのは筋違いではあります。
「リラクセーションで何が悪い?」と言われたら「ゴメンなさい、何も悪くありません」というしかないですもの。
それぞれに存在意義があるわけですから、良い悪いの問題ではなく、意思の問題なわけです。
自分がどのような施術者になりたいのか?
本当に施術家として独り立ちし、それで食べていけるようになりたいのか。現状のまま、一生、人に雇われてそれでもヨシと割り切るのか。
少なくとも“ハコ”での施術の延長線上に施術家の道は見えてきません。どんなに“ハコ”で経験が長くても超えられない一線が存在するのです。
その超えられない“一線”こそが“共感“というわけです。
この共感は単にお客との会話が上手いとか、接客がこなれているとかの問題ではなく、顧客本人さえ気づかない原因に手が及ぶということであり、それによってどこに行くよりも苦痛が軽減されるという実績を伴ってこそのものです。
しかもそれは安定した持続圧によってのみ達成されるのですから、治す知識を教えてもらっていないという以前の問題、つまり手数を要求されるリラクゼーション的技法そのものが“共感”を妨げているのですから何十年やっても施術家の道など見えてくるはずがないではないですか。
そのことに気づいている施術者は残念ながら少なく、多くは問題意識さえ持っていません。
そんな状態で独立開業したところで、よほどの商売センスがなければ成功できるものではないのは当然ではないでしょうか。
痒いところに手が届き、ソコ、ソコ、ソコだ!と言わしめる施術というものは一重に“共感”の賜物であって、その一点が単なる施術者と施術家とを分け隔てる境界になるのですが、天賦の才によって到達できる人以外はすべて訓練によって成し遂げられるものだということを忘れてはいけません。
ではどのような訓練をせねばならないのか?
どのような知識を得なければならないのか?
これこそが本HPのメインテーマであり、至るところでそれについて書いています。
施術者ではなく“施術家”になりたい方。
このことに特化した塾は日本では数少ないはずです。
我が明生館こそは!となると随分と手前ミソな話ではありますが、これは様々な運営ノウハウ以前の問題ですから、重要なわりには他のスクールで言及されていません。
解せない話です。
施術家として悩み、苦しみ、時にはトラウマになるほど失敗しなければ、生徒さんがこれから歩むであろう道のりにそれこそ“共感”できるものではありません。
果たして・・その経験と資質のある者が教えているのか・・・
何年やっていても、上手く出来ないというか、やっていて納得できない施術というものがあるものです。
(個人的には昔に比べると随分少なくなったとは言え、それでもやっぱりありますねぇ)
歯車が狂いだすと、最後まで修正できず、いたずらに時間のみが長引く・・・ま、施術家としては最悪の状況です。
上手くいかない施術とはどういうことをいうのか?
クライアントとの一体感が得られない施術のことをいうのですが、経験が長い施術家ならなんとなく分かって頂けるのではないでしょうか。
施術というのはある種、クライアントとの“共感”というものがありまして、無意識レベルで共感しつつやっているものなのです。
手指で感じる“共感”などというとスピリチュアル系そのもののような印象を受けるでしょうが、決してそんなことはありません。ましてやオカルトなどでは絶対ありません。
例えば、人前でスピーチするときに自分のしゃべっている言葉がすんなり聴衆に受け入れられて、熱心に聞いてくれているかどうかくらいは誰でも分かりますでしょ。
(雰囲気というもので分かるじゃないですか)
そんな感じに近いと思います。
ですから、一々クラアントに聞かなくても、何を感じているのかを理解出来得ている・・・とでもいうのでしょうか。
要するに、施術に“共感”してくれていることを“共感”している状態が良き施術なのです。そしてそれがどうしても読み取れないときにフラストレーションが溜まって、実に疲れ、それを“上手くいかない施術”と、そう呼ぶわけです。
納得できない施術であったとしても、結果として改善するかどうかは確かに重要ですが、(上手く共感できていないなぁ)と思う施術ほど改善率は低くなりますし、何よりも施術者自身の心身がダメージされます。要するに施術がストレスになるわけですから、当然ですね。
おそらくこの感覚はどのような流儀の施術の仕方でもあると思います。
熟練者になるとこの上手く出来ない感の施術割合が減ってきまして、安定した施術になってくるのですが、単なる慣れと惰性の産物により疲れないのか、一体感があって疲れないのかは中々区別できません。
これはもう施術者としての格の違いとしか言いようのないものですから、ある人は5年後に気付くかも知れませんし、ある人は10年後、或いは一生気付かないかもしれません。
一生気付かない人は来世でもまた施術者になって頑張ってください、としかいいようがないですね。
そもそもなんで今生、施術者になったかというと・・・って、これではあまりにもインチキ占い師みたいになりますので止めときます。
ま、いずれにしても我々の世界では“共感”を妨げているものを全部ひっくるめて邪念と呼ぶわけです。
邪念とは功名心であったりとか、慢心であったりとか、臆病さ(自信のなさ)であったりとか、様々な言葉で言い表すことができますが、要するに施術に対する純粋さを損なうすべての思念、雑念のことを言います。
こういったものを奥底に沈めて、施術に向き合うことが一番難しいことかもしれません。
習ったばかりに人が、本人もビックリするくらいクライアントの症状改善を為してしまうビギナーズラック的な現象が我々の世界にもあります。
初学者の時にどんな心境で施術をしていたかというと、余裕がないといえばないのですが、ある面からいえば、それは“無我夢中”状態であるとも言えるわけです。
”邪念がよぎる余裕さえない”状態なわけですから、これはこれである種の“共感”を得やすい心理状態ではありますね。
そういうこともあって、ビギナーズラックが起きたりもするのですが、いつまでもビギナーでいられるはずもありません。
年月とともに技術的には上手になっていくのですが、それとともに邪念も多くなるという、大いに矛盾したある時期に遭遇することでしょう。
それを乗り越えでいかねば良き施術家にはなれないわけですから、この時期にどうあがいてどう過ごすかによって、施術者の格みたいなものが決まるような気がします。
とにかく落ち着いて、一つ一つの操作をしっかり意識して、それでいて力まず、だからといってヤワでもなく、手応えと満足感が自身の手指を通じて感じ取れるようになるまで訓練していかねばなりません。
もし、どこかのマッサハウスで修行中であって、施術中にクラアントとの会話を強制されるような業者に雇われているなら、もはや訓練の場としては不向きですから、そうではないところを探して職場を変えるべきでしょうね。業者は施術者を一人前の施術家に育てるのを目的としているわけではありませんから義理立てする必要はありません。決断は早いほうが良いでしょう。
つづく・・・ 共感②へ
酷いムチ打ち症に罹るとその時の辛さもさることながら、”後遺症”が非常に長い期間に渡ってその人を苦しめます。
施術家なら必ずと言っていいほどそのようなクライアントを診る機会があるのではないでしょうか。
ご他聞に漏れず、私も数多くのムチ打ち症候群、或いは後遺症患者を診てきています。この随想にも書いていますし、過去の施術百話にも書きました。
今回、ご紹介する症例はその中でも色々考えさせるような事例でしたので、皆さんとシェアすることにします。
60代後半の女性。
20年ほど前に、かなり大きな自動車事故に巻き込まれて、ムチ打ち症になってしまいました。自分で自分の首を支えてられないくらいダメージされたそうです。しかし、骨そのものには異常がないということで、牽引やカラー固定などの方法で長期間の治療を受け入れたとのこと。
しかし、ずっと調子悪いわけです。吐き気がしたり、頭痛がしたり・・・まあ、まさにそれがムチ打ち症の特徴ですけれども。
さらに運の悪いことに、5年ほど前、また交通事故に巻き込まれ、またまた同じような部位(右首)を傷めたというではないですか。
その時はさすがに病院だけの治療では心もとなかったのか、ある時期からマッサージ系の施術院に通うことにしたのだそうです。(とにかく辛いですからね、気持ちはよく分かります)
そして、そこでの施術はとにかく“首を揉む”のだそうで・・・
“首を揉む”というのはどのようなスタイルでどのように施術するのか正確には分かりません。しかし、色々話を聞いてみると、どうも推圧を使うものではなく、文字通り“揉む”ようなスタイルだったようです。
そこに週一で3年ほど通っていましたが、本人曰く「ちょっと私には強過ぎたんじゃないかしら・・・」何故かというと耳鳴りやめまいの症状が出始めて、そこに行くとその症状が強くなるから、と。
週一で通っていて「耳鳴り」「めまい」が治るのではなく、症状が強くなるというのは解せません。メンケン反応というのもありますが、それとて一過性のもので、それが出れば段々よくなるわけですからね(なんせ3年も通っているんですよ)
やはり“揉み”は治療系には向きませんね。リラクセーションにはいいかも知れませんが、このようなデリケートな症状を持つ人にはあまりよろしい方法とは言えません。
(揉みというのはどんなに強くしても深層部には届かないですから)
我々は施術者である前に社会人としての品格を意識します。ですから、他のやり方を批判する、つまり「それじゃダメですよ、だからそんなことになったんですよ」的な発言は基本的にしません。クライアントさんには言いませんが、これは明らかに施術が未熟なせいで、悪化させている例です。つまり誤治ですね。
で、結局、その人はどう対処したか・・・
驚くべき対処法!(というか、まあ、ごく普通の対処法なのかも知れません)
その施術院に行く事を止めました。
するとあら不思議。
めまい、耳鳴りが止まったと・・・
そんなことあるのか?と初学者の方はお思いでしょうが、あり得ます。
医原病という言葉は聞いたことがあるでしょう。
※医学的治療法そのものが病の原因になっている状態
医原病ならぬマッサ原病ですね。
本来、耳鳴り、めまいは最低でも胸鎖乳突筋(鎖骨頭)の処理は不可欠です。これをやらないで首後部の表層部ばかりを“揉んで”いるとどうなるか?
深部は緩まないばかりか、表層部は防御に為、硬くなり、そしてもっとも“手を必要としている”横頚部、前頚部を全く無視するような施術ですから、時間をかけるほど、長期間になるほど、首の状態が悪くなってしまうのです。
痒いところに手が届かない、そこ!と思うところにこない。こんなのが延々と続けば首だってヘソ曲げますよね。
耳鳴り、めまいは「もう止めてくれ!」という首の意思表示でもあったのでしょう。
さておき、それから2年が経過しました。耳鳴り、めまいは止まっているものの、後遺症者独特の不定愁訴はずっとあるわけです。
そして、今回、右頭、右首から右半身全体に感じる異様な違和感に耐えられず、紹介により来院となった次第。
状態はよろしくありません。
目視でさえ、首が右に側屈し、左に回旋しているのが分かります。右側の胸鎖乳突筋、斜角筋に強い短縮があるのでしょう。
後頚部も硬く、そう簡単に深層部に届かせてはくれない様子。
それともう一つやりずらいのは手技に対するトラウマがあるということ。
施術の仕方が全然違うのは分かってくれるのですが、、無意識に構えてしまって微妙に力が入ってしまうようなのです。これがまた微妙に施術を妨げている・・・ま、私もそれなりに経験は積んでいますから、その程度でめげたりはしません。しかし全くやらせてくれない施術があるわけです。例えば首のストレッチ。
首のストレッチなんぞ、大したもんじゃないだろ!と思うかも知れませんが、頚筋群をよく緩めて、持続的に伸ばしてあげると、非常に良く効き、それだけで頚椎が矯正される場合があります。特にこのクライアントのような病態では威力を発揮する手技の方法なのですが、やらせてくれないんですよ。
まあ、仕方がありません。無理にやるのは逆効果ですから。
それでもなんとか、かんとか頚筋群を緩め、それなりにリリースしたかな、と思うところまではもっていきました。
するともう右の頭の違和感は消えているとのこと。
ここで少し、手技に対するトラウマは減じたようです。
しかしながら、そう簡単に完治するケースでありません。
(多分、長引くでしょう)
これだけの病歴を持っていて、しかも、頚部筋群を誤治によりとてもバランスの悪いものにされています(コタコタにされている・・・っていうのですけれどね)
そして不都合は首にのみ留まっているものでもなく、前は大胸筋、小胸筋に及び、後ろは脊柱起立筋群、さらに深部脊柱筋にさえ影響を及ぼしています。
20年前と5年前のムチ打ちから歪みが蓄積して酷い不定愁訴に悩まされている例としてだけではなく、その上、3年に渡る誤治まで加わってしまっているという珍しい症例です。
実は、珍しいわけではなく、むしろ多すぎるが故にその実態を見て、医療関係者などにマッサージを毛嫌いする人たちも出てくるわけです。
“クライアントが通院することは業者にとって”生活の手段であることは紛れもない現実ではありますが、しかし、誤治を重ねて悪化させても良いということにはなりません。
ムチ打ちの対処は西洋医学的処置では限界があります。だからこそ、我々手技法家が手助けできる分野なのですが、手助けどころか、治癒の邪魔をしているという現実はどう考えてもいただけません。
口が達者で、クライアントを通わすのに長けているのが悪いとは言いませんが、その分、腕を磨いてくれよ、と。
そうしないと、あ~た、自ら悪業を積むことになるわよ・・・なんて、昔流行った細木某みたいな言い方になってしまいました。
冗談抜きに、誤治が多く、そのことにさえ気付かない施術者がいるのは癒しブームだった頃の弊害が出ているのでしょう。
他山の石でもなければ対岸の火事でもありません。
日々の精進を言い聞かせる毎日です。
一見似ているようで、施術ポイントがまったく違うという腰痛の例を二つ挙げて、施術というものを少し考えてみましょう。
まずは、30代前半の男性の腰痛。
この方の訴は3番腰椎くらいの高さにある起立筋の外側が痛むと言います(腸肋筋とも言い切れない・・・一番痛む箇所は最長筋のようでした)
しかし、片側ではないんです。両側が痛い・・・と。
はて?これはTPの関連痛だろうか・・・?
微妙な個人差によるTP関連痛とも考えられますが、しかし両方同じように痛むというわけです。両側TPの同時活性はないことはないのですが、この場合、どうもそんな感じがしません。
経験からこの痛みはTPの関連痛ではない、と判断しました。
では何が原因か?
単純な筋肉疲労から乳酸等の発痛物質が溜まったせいでしょう。肉体労働者ですので、身体を酷使する人です。下半身はまるで鉄の棒が入っているかのように硬くなっておりました。
要するに全身の筋肉が凝り過ぎていて、老廃物を押し流す力が弱くなっていたんでしょう。そこに集中的な筋疲労が当該部位に集中して、訴に至ったと。
もしそれが正解なら、痛みを訴えている付近を良く緩ませ、そして下半身を中心として凝りを解消するような施術を行えば良いわけです。
結論として、それは正解であったようで、施術後、大変楽になっていたようです。
このようなケースは街の揉み屋さん程度でも充分対処できる比較的難易度の低い腰痛のケースです。温泉マッサや健康ランド系ボデイケアではよく巡りあうケースでしょう。それなりに施術が上手ければ解決できるクライアントさんの例です。
それに対して、同じ日に同じく腰痛を訴えてきた60代半ばの男性がいました。
この方も腰の両側が痛むと言います。
しかし、よく聞いてみると、腰というよりも骨盤の上部、筋肉でいうと中殿筋の第1TP~第2TP辺りに痛みを感じているようなんです。
(ふ~む、この人も両側なんだ・・・)
しかしこのケースは先程の30代の男性とは全く違う理由から訴に至っているのだろうと判断しました。
何故か?
この中殿筋付近の筋疲労はその部位に痛みを出さないんです。
一番可能性があるのは腰方形筋の問題。続いて、ヒラメ筋の問題。つまり、痛むところと離れた場所に真の問題があるわけです。
これは知識として知っていないとまず治せないケースですね。
腰方形筋を充分に緩め、ヒラメ筋も同じく緩めました。
ヒラメ筋に至ってはひどく圧痛があったようです。
限度を超えない程度に我慢してもらい、ひと通りの施術を終えましたところ、ほぼ症状の消失をみました。
結果だけ見ると、腰痛者が二人来て、二人とも術後の緩解をみて、楽になった・・・メデタシ、メデタシ、ということになるのですが、施術的にいえば「腰痛」とは一括りにできない症状です。
正確には「腰痛者が二人来院した」ではなく「全く違う病態の人が二人来た」という表現せねばなりません。
しかし、クライアントさんは同じく「腰が痛い」と言って来院しました。
かたや症状のあるところを揉めば治る人。かたやや全く別の部位にアプローチしなければ治らない人。
これを同じく腰痛というカテゴリーに入れるところに現在の療術界の問題があるのだと思うわけですよ。
勿論、世間一般の表現の仕方が間違いだというつもりはありません。
しかし、専門家である我々までが同じカテゴリーに入れ、それ以上深く考えないのは如何なものでしょう?
酷い施術者になると「腰痛を治すことはよくある。腰痛は得意分野だ!」的に発言するのもいます。どんな腰痛?と問えば、怪訝な顔して「腰痛は腰痛だろ、どんな腰痛もクソもあるか!」とバカにしたような表情を浮かべた自称ベテランマッサージ師もいました。
ホンのわずか話しただけでその人の実力が露呈してしまう怖い世界だということを知らないのですから、ベテランだというのは自称にしか過ぎません。
何も知らないクライアントさんならしばらくの間ボロを出すずに済みますが、それなりの施術家になら、一言二言で「こいつはちゃんと勉強してないなぁ」とただちに見破られます。
かつて私も若くて生意気な盛り、何も知らないくせして随分偉そうなことを言っていたことがあって、思い出すと恥ずかしくて穴にでも入りたい気分になります。
恥ずかしい思いをしたくなければちゃんと勉強するに如くはないのですが、“知らぬが仏”という言葉があるように知らないうちは知らないということさえ知らないのですから、気付くのが遅れてしまい、狂死するほど恥ずかしい思いをすることになるケースが多いものです。
まあ、そうならないうちに不断の研究心と経験の積み重ねのギアを上手く噛み合わせ、日々精進したいものです。
手というのは脳の感覚野の極めて大きな部分を占めることはよく知られているところです。
手の感覚が他の部位よりも鋭敏であることは特に生物学的な歴史を語るまでもなく、経験的に理解できるでしょう。
ヒトは手によって様々なモノを生み出してきましたからね。
足への施術も非常に意味のあることですが、実は手への施術も大変、意味のあることなんですよ。
手指の関節をつなぐ靭帯は末梢関節靭帯と呼ばれるグループに属します。
この末梢関節靭帯というのは、感覚受容器の一種であるルフィニ小体という器官が数多く存在しているのです。
では、このルフィニ小体への刺激はどのような影響を身体にもたらすのでしょうか?
結論から言います。実は交感神経活動の抑制効果があるのです。つまり緊張状態の人に対して、リラックスさせる効果が抜群だと、簡単にいうとそういうことです。
恋人同士で手をつなぐのも、政治家が握手を求めるのも、スキンシップという大まかな言葉で語られることが多いのですが、もう少し医学的な説明を加えるならば、ルフィニ小体への刺激によって、交感緊張を解き、リラックスさせるのが目的ということになるわけです。
個人的なことを言いますと、保育園に通っていた幼少時には仲の良い友達といつも手を繋いでいた記憶があります。多分、誰かと手をつないでいると安心感(リッラクス感)があったんでしょうね。
(逆にいうと家庭では交感緊張しなければならない場面が多すぎる環境だったのかもしれません)
余談はさておき。
我々施術家は単に手を握るわけではありませんね。
(それじゃアブナイ系だ)
ちゃんとした施術のテクニックを使うわけですが、当然ながら、骨指標を用い、そこを基準にして施術を展開していくのは身体の他の部位の施術と同じです。しかし手の骨指標は施術部位が小さいために、必ずと言っていいほど関節が含まります。
そうしましたら、当然ながら関節靭帯も含まりますね。
ここにハンドリフレの治癒機序の一つがあるわけでして、反射区効果云々とは少し違う気がします。(手の反射区図表というものもありますが、あまり意味があるものとは思いません。ま、素人さんに“らしく”見せるという意味では意味があるのかも知れませんが)
勿論、間違いなく圧反射が起きているのですが、それは交感神経抑制系、つまり副交感性のものだと言って差し支えないでしょう。
つまりリフレクソロジーの九大原理を当てはめるならば、副交感性ですから、経絡原理が強く働くような気がしますね。
手への施術は足への施術よりも優るとは言いませんが、足よりもさらに簡便ですし、シチュエーションによっては足よりも使える手技になるでしょう。
なにせ手ですからね。実に簡便です。
やり方を覚えておいて損はないでしょうね。
(1)オイルorクリームを使用する
(2)軽いフリクションで骨指標を充分確認する
(3)小指-遠位指節間関節~近位指節間関節から始める
(4)小指~母指へ。つまり指を先に仕上げる
(5)手の甲、続いて掌
(6)手首
(7)ルフィニ小体は持続圧に良く反応するため、要所ではそれを行う
以上のような感じでやると、緊張が取れ、身体が緩む確率が高くなります。
80代後半のクライアントさんは幾度も診たことがありますが、さすがに90歳を超えて来院された方は珍しい。
満90歳の女性。
主訴は手指のシビレです。
息子さんに車で送迎されての来院でしたが、足取りもしっかりしていて、受け答えもよどみがありません。
老化というのは何人といえども避けることのできない現象ですが、その進捗度というのは、ホントに個人差があるものですね。
長生きすることだけが目的ではありませんが、自分のことを他人の手を煩わせることなくできるなら、私も長生きをして世の変化を見据える歴史の生き証人になりたいと思っています。
そういう意味でこの度のクライアントさんは手本にしたいくらい明晰な頭脳としっかりした足腰を持ってらっしゃる方でした。
しかしながら、さすがに何の故障もない、というのは難しいようです。手指のシビレには悩んでいた様子。
主訴を聞いた瞬間、年齢が年齢ですから、頚椎の変位(狭窄、ヘルニア等)を疑いましたが、すでに医療機関にて検査済みで、脳や頚髄、頚椎には特段の異常は認められないという診断が下されていました。その事実をちゃんと説明できるのですから、恐るべきスーパーおばあちゃんですね。
事実なら、筋筋膜痛(トリガー症候群)ですから、我々の守備範囲です。しかし年齢的に反応してくれるかどうか。少なくとも即効性は期待できないかもしれません。そんな思いで施術を開始した次第です。
高齢者で気をつけなければならないのはなんとも言っても、骨の脆さでしょう。圧をかけてポキッといってしまったら、もはや治らない可能性が高く、寝たきりの原因を作ってしまいます。
ですから、通常の基本手技は省略する部分も出てきます。
(例えば体重をかけて行う背押しとか)
しかし、トリガーアプローチというのはヘナチョコでは効き目がありません。
全編に渡ってパーカッション・ハンマーを使うというのも一つの手ではありますが、靭帯、骨膜、関節包ならいざしらず、純粋な筋筋膜へのアプローチは手による押圧に優るものはありません。
よくしてあげたいという気持ちと高齢者リスク回避とのせめぎ合いの中で方針を決定していくわけですが、まあ、ここらへんは経験としかいいようがなく、公式化できるものではないのです。
施術しながら、修正したり加減したりを決めていかねばならないので中々大変です。
効かない施術で誤魔化すという一般のやり方をするにはプライドが許さないしね。
結論からいうと今般の例は上手くいったようです。
即効性は期待できないと思っていたのですが、意外にも、その場でシビレが取れて大変喜んでいました。
この方、聞けば、若いころから凝り症で、アチコチの按摩、マッサージを受けていたそうな。
ですから、中々な評論家です。
『痛いけど気持ち良くて効くわぁ~ツボをゆっくり押してくれるからすごく良いのよ。こんなの初めて!』迎えに来た息子さんに興奮して語ること語ること。
按摩・マッサージの常連歴50年!にして初めての経験ということですから、如何に業者が勉強不足であるか・・・・っていうか、“悪貨は良貨を駆逐する”という諺がありますが、人間、一回楽な方向に流れてしまいますと、中々、手間を惜しまず精魂を込める仕事には戻れない、という業界の悪しき伝統でしょうね。
他者はどうあれ、少なくとも我々は良貨であり続けたいものです。
前回の片頭痛の男性。
また頭が痛くなったとのことで来院されました。
(え~?随分もたないなぁ。そんな早く再発するかな・・・)
と内心訝しんでいると、ご本人から「実は頭を思いっきりぶつけて、酷いたんこぶが出来たんですよ。いやこんなデカイたんこぶができたのは小学生以来です」とのこと。
(ちょっと・・・たんこぶで頭が痛いと言われてもねぇ。それは守備範囲じゃないんだけど・・・)
私の内心を察知したかどうか走りませんが、問わず語りに言う内容をまとめると、『これはたんこぶの痛みではない。もうぶつけてから三日も経っているし、ぶつけた時の怪我のような痛みはなくなり、いつもの片頭痛の痛みに変わっているのだ』と・・・どうもそういうことらしい。
なるほど、そういうことであれば・・・守備範囲ですわね。
つまり、頭を強打した際、首に衝撃が来たんでしょう。それが、首にあるトリガーの再活性につながったものと思われます。
さもありなん。
ならば、頚部筋群のTPを沈静化させれば良いわけです。さほど難しい施術ではありません。
ところが術後。
頭痛の痛みは軽減されているものの、あらたに頭にモヤモヤ感が起きて、それが抜けていかないと言うわけです。それもたんこぶができた周辺。
これもなるほど、と思いましたね。
よく経験するのですが、例えば足の施術をしていて、首に問題がある人はモヤモヤ感が首に溜まっているような感覚を得、非常に不愉快な思いをすることがあります(極端な人は首の置きどころがなくなるほど)。
腰でそれが起きる場合もありますし、要するにその部位でブロックされていると、そういう現象が起きやすいのです。全身整体を建前にすると、むしろこのような現象はエネルギーブロックの部位を特定できる為、非常に有意義なことなのですが、もしそのモヤモヤした部位に手を付けることなく帰してしまったら、しばらくの間、そのクライアントさんはスッキリ感がなく、不快な状況に置かれます。つまりリピートする確率が低くなる、ということにもなるでしょう。
放っておいてもそれは抜けていくのですが、その期間は個人差がありまして、2日~3日抜けていかない場合もあります。
瞑眩(メンケン)といえば瞑眩反応の一種なのですが、事前に防ぎ得るのでしたら、防いだほうがよろしいことは当然でしょう。(どうしても防ぎ得ないこともありますが)
ふむ、そういうことでしたら、そのモヤモヤ感を取るに如くはありません。時間は少しオーバーしますが、そのまま帰すのも気の毒です。
ただ、たんこぶの周辺ですから、単に圧をかけて散らすようにそのモヤモヤを取ることはできません。まだその部位は触ると痛いのですから。
そこで、クラニアル・マニの手法を用いて、あくまで軽いタッチで頭蓋を触りまして、ほど良いところで聞いてみると、随分とモヤモヤ感が抜けたとのこと。ここまでくればもう大丈夫でしょう。数時間以内に抜けます。
その旨、伝えて終了。
このようにやはり怪我した部位というのはブロックされやすいわけですね。この度はたんこぶで済んでいますから、大きな問題は起きないはずです(施術もしているわけですし)。
ところが、かなり大きな事故でも、痛みがなければもうケアーしないというパターンが多いですよね。その部位でブロックされることによって、多方面に影響を与えるにも関わらず。
そして、蓄積し、臨界点を超えた時点で爆発すると・・・こういうことが世では繰り返されているわけです。
もともと打撲の箇所から始まってはいるのですが、筋筋膜連鎖、若しくは経絡機序によって、想像もできないような部位に症状として現れます。
それが表層部で留まれば良いのですが、内向し内臓障害として表現されることもあるわけです。ここに至るともはや因果関係など分からなくなるのですから、その前の処置が必要であることは言うまでもありません。
しかし現状、手技にはそういう力(能力)があると思っている人は少ない・・・どころか、手技を行なっている当の業者さえ知らないのですから困ったものです。
それを啓蒙すべく機会があれば発信しているのですが、どうしたことでしょう。あまり届いている様子がありません。
まあ、ネット情報というのは星の数ほどもあるわけですから、私の情報発信など埋もれてしまって、ないに等しいのかもしれません。
逆にいうと、しばらくの間、我々の独壇場が続くということにもなるわけです。商売上はアドバンテージがあって優位に進められますが・・・ちょっと複雑な心境ですね。
少し古い話で申しわけないのですが、2001年3月29日付けの読売新聞記事。表題は「交通事故でむち打ち症→1年8ヶ月後に脳梗塞」副題として「最高裁も因果関係認定」というものです。
「むち打ち症が原因で脳梗塞を起こすまでの期間は平均348日で、遅い人では4年5ヶ月後に発症したケースもあった」とする症例報告を採用して、初めてむち打ち症と脳梗塞の因果関係を認め、加害者側に損害賠償2960万円の支払いを命じたという一審判決は1998年12月に出ていたこともこの記事は伝えています。
さて、これら判決の根拠となった症例報告は水戸市内の開業医が追跡調査したものなんです。
国立の研究所とか、大学病院とか、そういう権威ある機関の研究ではありません。一開業医の症例研究が最高裁に認められたという事実に当時大変驚いた記憶があります。
この医師は、むち打ちからは「脳梗塞」だけではなく「ウツ病」の発症も頻繁に起きているとして、今後、厳密な検査をが行われるキッカケになるだとろう、と話していると、記事は結んでいます。
三水会などでも、首に対するアプローチや所見の更新を他流儀よりも頻繁にやっているつもりなのですが、その原点というか、動機になっている元がこの記事なのです。
この記事以来、首の諸問題が脳外科や心療内科等で扱われるような原因となり得ることを知ったわけですが、このことは我々の仕事に非常に大きな示唆を与えています。なぜなら、我々は日常的にクライアントの首の諸問題(コリも含め)に向きあっているからです。
このコーナー(整体随想)でもむち打ちに関しては述べているところですが「むち打ち」という思い当たる原因だけではなく、日常生活の中で次第に首のコリが蓄積して、ほとんどむち打ち症と同じような状態になっているクライアントさんもかなりの数いらっしゃいます。
このようなことを考えると、まさにコリは未病だということが分かりますね。将来の重大な疾患のタネになり得るということです。それを我々は未然に防いでいるかもしれない・・・そう考えると、我々の仕事の意義というのは自分達が考えている以上に重要なことであると思えるではないですか。
実際、そうなのです。
ところが、正しく、首、肩を緩めることが出来る業者が少ない、ということにいつも愕然たる思いがします。
深部筋に全く届かないヘナチョコであったり、届いてないのにやたら強揉みをしたり・・・この記事が出てすでに11年が経過しているというのに・・・進化している兆しさえ見えません。
首、肩を緩め、将来の重大な疾患を防ぐことができるということの存在意義を今一度噛み締めて頂きたいものです。
30代前半、男性。
仕事はガテン系で非常に大柄な方です。
180センチは軽く超え、体重も百キロ前後はあるでしょう。
片頭痛持ちで、発作が起きると朝から晩までズッと痛いと言います。
この日も発作が起きて、朝からの頭痛に悩まされていました。
頭痛持ちになったキッカケに何か思い当たるフシはあるか?と問うと、20代の頃にバイクで転倒した後かもしれない、とのこと。
むち打ちになった可能性大ですね。
痛む場所はどこか?というと、側頭部のあたりだと言います。 いつもは片側だが、今日は両側が痛いとも。
両側で締め付けられるような痛みですと、まず疑われるのが、僧帽筋上部、後頭下筋群、頭半棘筋などです。
当然、これらは重点としてアプローチしますが、それだけに留まるものではないわけですから、肩部、肩甲骨近辺は勿論のこと、上半身全体を緩める操作も必要です。
術後、症状はキレイに取れていて、驚いた様子。
頭痛から解放されて今日一日仕事が出来るということ自体、価値のあることだと思いますが、それ以上に、深刻な病に罹るリスクを遠ざけたということの意義のほうが大きいでしょう。
何故なら、片頭痛もまた首の障害から来るものだからです。
「足は第二の心臓」と言われる所以は一重にふくらはぎ系筋肉のミルキングアクションの働きを指しているものに他なりません。ふくらはぎの筋肉群は筋量としても多いですし、何よりも豊富な静脈が数多く集まっており、ふくらはぎの運動によって、静脈血を心臓に還流させている原動力になっているわけです。
もし、ふくらはぎの筋肉が何らかの理由で疲労し、或いは緊張し、または負荷がかかっている状態を長く続けると、トリガーポイントが形成され、緊張短縮が永続されます。
すると、全身の血流が停滞気味となり、様々な病気の予防を担保することが出来ません。つまりは疾病予防どころか、疾病原因とさえなってしまうのです。
ふくらはぎには5種の筋肉(腓腹筋、ヒラメ筋 後脛骨筋、長趾屈筋、長母趾屈筋)がありますが、ヒラメ筋以下の深層筋に影響力を与える施術は、ややテクニックが要ります。普通のオイル系マッサージでは中々届かないのです。
緊張短縮しやすい筋肉は足裏と直結している長指屈筋、長母趾屈筋、さらにその影響を受けて後脛骨筋やヒラメ筋であることが多いために、深部への刺激が不可欠です。これらに対して影響力のある施術が出来ないということは、せっかくの施術が改善効果を生まないということになりますから、実に勿体無いではないですか。
長い間、膝痛に苦しんでいた50代前半の女性。
すでに何回か、施術をしていたのですが、半月板そのものを切除しており、なかなか改善効果が出ませんでした。もちろん、TPアプローチのみならず、三関節原理を使ったり、周辺の筋群を緩め血流を確保したり、あるいは古来より膝痛に良いとされているツボなどを使ったりもしました。
何回か施術をしているうちに、ふくらはぎの深部に異常な緊張があることに気が付きました。
ふくらはぎが直接的に膝痛を生み出すというわけではありませんが、血流の阻害要因としてふくらはぎの緊張があるのだろうと・・・そして、それが膝の回復を遅らせているかもしれない、と判断したわけです。
そして、それまでの施術よりもふくらはぎに時間をかけ、充分に緩めました。
するとどうでしょう。
あれほど頑固でなかなか抜けていかなかった痛みがその場でなくなったのです。
そこまで即効性があるものだとは思いませんでしたから、こちらのほうが驚いたくらいです。
結局、今にして思えば、ふくらはぎの深部筋群の緊張が内側広筋や大腿直筋のTPの沈静化を妨げていたものなのでしょう。
それから、注意深くふくらはぎの状態と症状を観察しておりましたら、やはり強い相関関係があるようです。
特に下半身系の症状にはかなり影響を与えていることが分かりました。
リフレクソロジーも初期の頃には脛骨の際と腓骨の際をかなり深く擦り上げるような技法を使っておりましたから、これが期せずして、ふくらはぎの深部筋緩解作用を生み出し、改善効果の一つになったのだろうと、推測できます。
確かに、脛骨の際や腓骨の際からアプローチしませんとふくらはぎの深部筋には中々届きません。かといって擦り上げるような方法論では組織を傷め(アオタンができる)、昔と違って現在なら訴えられる可能性さえあります。
ですから、今の時代、この方法はNGです。
ふくらはぎの深部に届かせるには骨際からの持続圧がもっとも効果的で組織を傷める心配がありません。
ある程度の熟練は要りますが、使いこなせるようになれば、相当に緩みます。
そして、改善をサポートしてくれる強力な援軍となるに違いありません。修得をお薦めする次第です。
今年は雪かきで大変でした。
前々回でご紹介した肩~腕~手指の痛み&シビレの方も雪かきが引き金になって発症したと思われますが、今回ご紹介するクライアントさんも雪かきで傷めたと言います。
62歳男性。
主訴は前々回の方と同じく、肩~腕~手指の痛み。ただしシビレはありません。
シビレがない分だけ、簡単に治るだろうとタカを括っておりましたら、そんな生易しいものではありませんでした。
これだけ長くこの業界に携わり、これだけ長く様々な症例に接しているにも関わらず、予想が大きく外れてガックリすること度々。逆にそういうことがあるからこそ、天狗にならず、精進の道を進めるのかもしれません。天の配剤として受け止めています。
肩~腕~手指の痛みのファーストチョイスはどんな場合でも斜角筋です。しかし、複合的な要因もありますし、サテライト化したTPが悪さをしている場合もありますから、候補を一つに絞らず、考えられる限りの原因になり得る筋群の処置を行うことは言うまでもありません(そのつもりでした)。
それなりに満足できる施術を行なって、少し楽になっているとのことでしたから、明日あたりはもっと楽になっているでしょう、とお話して施術終了。
特に大きな既往歴があるわけではありませんし、内心、今やった施術で充分じゃないかな、と。一回の施術でOKじゃないかな、とちょっと慢心したわけです。
3日経って、また電話がありました。
『少し楽にはなっているが、まだかなり痛む・・・夜中に目覚めてしまうのだが、なんとかしてくれないか!』という内容です。
(ふ~む、五十肩のパターンだったかなぁ、いや、それにしても重症化パターンではないはずだから・・・でも診立てを誤ったかなぁ)
来院して頂いて、もう一度精査しながら、施術を行いました。
しかし、イマイチ、原因が絞れません。
(おかしいなぁ、特にジャンプサインは出てないし・・・良くなるはずなんだけどなぁ、分からん・・・)
一応、考える限りのことをやりましたが、ちょっと原因が掴めない部分もあると正直にお話したわけです。
痛みはあるものの全体的には軽くなっているように感じていたそうで、不信感を抱かず、次の予約に応じました。
間を置かないほうが良いと思いましたので、三日後です。
そして三日後。
『肩の痛み、手指の痛みは取れたが、肘が痛む』と言います。
(ほう、肘?)
肘の外側か内側かで、処置する部位が全然変わってくるのですが、外側か、内側かの区別を本人が出来ない状態です。
つまり、肘の関節の中が痛い、と感じるわけです。こういうケースは結構あります。関節深部の痛みとして感じる場合、外側とか内側とか、前とか後ろとか、適確に説明できないのです。
私もそれなりの経験がありますから、クライアントが適確に説明できなくとも「肘」という限局された部位でさえあることが分かれば、ポイントを見つけ出すことは可能です。
(肘関節の深部痛として感じている場合は肘外側-通称テニス肘-であることが多いものです)
様々な候補の部位にアプローチしましたら、前腕の腕撓骨筋、長撓側手根伸筋、回外筋のどれかにTPが形成されていることが分かりました。この3つのどの筋肉かということは施術上、区別できません。重なりあっていますから。
区別できなくとも施術になんら影響はありませんので、重点的に行った次第です。
ところが、肘の痛みというのは中々取れないものです。
それから一日置きに3回ほど施術してようやく眠りが妨げられない程度になりました。
そもそも、最初の2回はこの部位の施術を見落としておりましたから内心忸怩たる思いがします。
結果だけをいうと、肘の症状が一番重かったわけですが、その他の症状(肩痛、手指痛)などで、惑わされ見抜けなかった、ということです。
原因が複合的なパターンは頻繁に遭遇しているのですが、今回のように見抜けないこともあるわけですね。
同じような症状のクライアントさんが続いて、しかもより重症だと思われるシビレを伴っている症状を一発緩解させたものですから、先入観を持ってしまって、恥ずかしい話、ナメてしまいました。そして3回目にしてようやく必要としていた病変部に手がいったというお粗末な例です。
恥をあえて書くのは、読者(施術家)の教訓にしてもらいたいということと、自分自身もこうして書くことによって記憶が強化され、同じ失敗を二度としないようにする為でもあります。
(重要ポイントを完全に見落としていた、というのは最近では珍しい)
モータリゼーションの波が一気に押し寄せた昭和40年代。
まだ、車にはヘッドレストが付いておりませんでした。しかも、ドライバーは車を運転すること自体、何か特別な存在になった気分にでもなって、運転マナーがとても悪かったのです(現在、新興国で起きている現象ですね)
そうなると、交通事故が非常に多くなります。「交通戦争」という言葉さえ生まれました。事実、ベトナム戦争で命を落とす米兵よりもはるかに交通事故で亡くなる日本人のほうが多かったのです(まさに交通戦争!)
数多くの悲劇を生んだ交通事故でしたが、一度手にした便利さを手放せるはずもなく、その後、所得の増加とともに自動車は生活の手段として、あるいは余暇のツールとして定着していきます。そうした流れの中、安全意識の高まりとともにヘッドレストが義務付けられ、三点式のシートベルト不着用も違反対象に加えられました。また、義務化まではいっていませんがエアバックが標準装備になっている昨今です。
※現在、車離れが指摘されているのですから、隔世の感がありますね。
ですから、一時期のようにムチ打ち症が国民病の一つかと思われる様相ではなくなりました。しかし、現在のライフスタイル、ビジネススタイルは携帯、スマホ、パソコンの操作を欠かせないものにしております。これらは姿勢や目の酷使によって極端に首を弱化させます。つまり交通事故によるムチ打ちは減りましたが、新しい病態としてのムチ打ち的症状が非常に多くなっているのです。
交通事故でのムチ打ちとパソコン操作での損傷。ダブル要因で症状が出ていた例を挙げたいと思います。
58歳女性。
まだ現役バリバリのOLさんです。
OA化の波にも持ち前の負けず嫌いさを発揮して、ブラインドタッチまでマスターし、若い人よりもパソコンリテラシ-があるくらいの頑張り屋さんです。
この方の主訴は首から肩にかけての酷いコリ。
コリが強い日などは、就寝時「首の置所がない」ほどの状態になると言います(これは辛い!)
我慢できなくなると、ほぐし屋さんを渡り歩き、お気に入りの施術者がいればしばらく通い、その施術者の施術が効かなくなると、また別の施術者を探すというサイクルを繰り返していたそう。
※同じ施術者で効かなくなるというのはおそらく強揉みに慣れていく為でしょう。我々からすればもっとも避けてもらいたい事態ですね。
さて、初回で首を触った瞬間におかしいことが分かりました。
筋肉がダマになっているとでもいうのでしょうか・・・まるで毛糸がもつれてダンダンになっているかのようです。こうなると普通の首コリ、肩コリではありません。頚椎の変移も伴っているのです。
よく聞いてみると、中学生のときに親御さんが運転する車に同乗し、交通事故に遭遇していることが分かりました。
かなり大きな事故にも関わらず、両親ともども大怪我することもなかったとのこと。しかし、しばらく首の痛みに悩まされた、ということを思い出したようです。
そのうちそんなことも記憶から失せ、社会人になってからは肩こりは感じるものの“酷い”という形容詞がつくほどでもなかったそうな。
様相が一変したのは十年数年ほど前、職場でパソコンが導入され、否が応でもそれをしなければならなくなった頃だと言います。
マスターするのに若い人の3倍くらいかかったらしいのですが、なにせ負けず嫌いの様子、遂になんら遜色なく、というか職場で最もパソコン操作に詳しい一人になっていたそうな。そして、その代償に“酷い”という形容詞がつくほどのコリコリ者になったわけです。
この方、原因をたどれば、やはり思春期に遭遇した交通事故によるムチ打ち症だと思います。頚椎に若干ズレが生じたのでしょう。
そしてこの症状の潜在的原因を顕在化させてしまったのは、これも定番、パソコン操作。しかも頑張り過ぎというおまけがついて。
原因は分かりましたけれども、果たしてどこまで良くしてあげることが出来るか?
首の状態は述べたように尋常ではありません。
勿論、首の施術ばかりをやれば良いという問題ではありません。ムチ打ちは胸筋系まで及ぶこともありますし、肩周りの筋群は言わずもがな、です。
しかし、頚椎の変移にまで事態が及んでいるわけですから、首自体の筋、つまり、頚椎を直接歪ませてしまう深部筋(多裂&回旋筋)の操作は必須でしょう。
相当な強揉みを受けていても、ほぐしきれていなかったのは、おそらく刺激がこの深部筋にまで到達していなかったせいでしょう。何故なら、深部筋は強く揉んでも届かないから・・・というよりも強く揉めば揉むほど、届きません。そして、浅層筋や中層筋を傷め、硬くしていきます。これが、次第に強揉みを欲する原因になるのです。
うつ伏せにて、通常(基本手技)の肩周り、首周りの施術を念入りに行ったのは言うまでもありません。
そして横向きです。
横向きはうつ伏せ施術では入りきらない深部筋へのアプローチを可能にします。これも入念に。当然、肩甲骨の引き剥がしも念入りに。
横向き左右をやって、最後に仰向けで調整をします。
さて、頚椎の矯正をしなければならないのですが、ハイリスク・ハイリターンのスラスト系を使わず、ローリスク・ローリターンのストレッチ系を使うべきなのか・・・最近は一気にスラストをかけないでゆっくり頚椎を動かしながら、自然に矯正するというローリスク・ハイリターンの方法を好んで使います。
そんな都合の良い方法があるのか?という方もいるでしょう。
実はカイロプラクティックでガンステッド法という方法論がありまして、その方法の初期の頃、最も初期の頃に使われた技法がソレなのです。
ガンステッド法も現在では完全にスラスト系アジャストになっていて、初期の頃より洗練はされていますが、リスクの高いものに変化しています。つまり技術的にかなり高度なものになって、熟練者のみ扱えるというか、専門家以外には手出しできないような技法になっているわけです。
リスクの低いソフトな矯正術でも充分に矯正し得るのは、深部筋を緩め、その他の操作を入念に行なっているからです。。
無理やりクラック音を出させるのではなく、自然な操作の中で自然に鳴るのは何らリスクはありません。むしろ骨鳴音は矯正サインとして価値が高かったと思われるのですが、後年、キャビテーション現象(衝撃波)による筋肉緩解効果に味をしめて、必要もないのに多用するようになったというのが実体かな、と思います(これはユーチューブで古~い初期の頃のアジャスト動画を観て感じたことです)
ともあれ、そのような措置を施し、勿論、首の前方や横にある斜角筋、胸鎖乳突筋を緩め、頭部も緩めフィニュッシュ。
通常、ここまでやれば相当に良くなるのですが、さすがに今回は時間がかかりそうです。
そこで、あまり間を空けないで来院されたし、の旨を述べたところ、了承し、一週間で3回の施術を行いました。
すでに2回目が終わった時点で、つまり3回目の施術のときに10数年前に戻ったかのように楽になっているとの感想。
首の違和感で寝付かれないということもなくなり、睡眠も充分に取れていて、さらに自律神経的な症状(冷えとノボセ、うつ的気分)が取れてきていて、爽快であるとのこと。
(ここからも首と自律神経の関係が読み取れます)
ボトルネックとはこのことです。首から様々な不定愁訴を引き起こしていたわけですが、その首の原因のタネが45年も前に植えられていて、仕事を頑張ってきた結果、目覚めさせてしまったなどとは夢にも思わないでしょう。
酷く辛い思いをしながら、治してくれる処も人も見つけられず、対症療法的に“揉みほぐし”を繰り返す一群の気の毒な人々。
決して少なくはない割合で存在します。
もみほぐし屋ではなくて、ちゃんと原因を究明しそこに手が行く施術家が一人でも増えるように願っています。
小胸筋は大胸筋の下に隠れ、その名の通りサイズが小さめの胸筋です。しかし、肩甲骨を外転させるときに良く使われるため、腕立て伏せのような動きを取り入れたフィットネス愛好家、格闘技や卓球、テニスをよくやる人などが発達し、それはバカにできないほど分厚くなるものです。
肋骨の3番、4番、5番から起始し、肩甲骨烏口突起に停止しており、TPによる筋短縮が起きると、肋骨が引っ張り上げられ、上腕神経が圧迫されて、手指のシビレを引き起こすこともあります。
通常のTP関連痛は大胸筋とほぼ同じで、肩の前面の痛みとして現れるのですが、このようなTPによる二次災害(手指のシビレ)は誤診の元になります。
手根管症候群、頚椎変位(ヘルニアや狭窄)と誤診され、長く病院に通うも、中々シビレが取れず、遂にはブロック注射、さらには手術にまで及ぶこともあるようですが、全く不要な処置であることは言うまでもありません。
(ただし、少数の人はホントに手術が必要)
一例を上げましょう。
64歳男性。
もともと下部頚椎の椎間板がほとんど潰れている、と診断されたことがあり、様々な症状は首が原因ではないか?と自己診断している人でした。
この度の主訴は肩の痛みと左腕のシビレ、特に薬指、小指のシビレが酷いと言います。
「何か思い当たるフシはありますか?」と聞いたところ、「雪かきのし過ぎかな」とのこと。今年は雪がホントに多くて、雪かきで腰やら肩を傷めるケースが非常に多いシーズンでした。さもありなん、ですね。
腕のシビレと聞いただけで、まずは斜角筋を疑うのは定石です。ただ、薬指、小指のシビレは小円筋、小胸筋の「小小コンビ」も忘れてはいけません(小円筋も小胸筋と同じような二次災害を引き起こします)
肩の痛みも伴っていますから、ちょっと複雑そうです。回旋筋腱板等の処置も欠かせない症例でしょうね。
そんなことで、サインを見逃さないように慎重に施術したところ、案の定、小胸筋で強い圧痛反応がありました。圧痛があるからと言って、必ずしも治療点とは限らないのですが、この場合は紛れも無くTP反応です。
勿論、斜角筋には強いヒビキを感じるようでした。おそらく、小胸筋TPは斜角筋TPのサテライト化したものでしょう。
その他、肩甲骨内縁部、棘下筋にもTPサインがあり、複合的な原因であることを示しています。しかし、この人の場合、小胸筋がキモであることは間違いありません。もし、この筋の処置を怠れば、その場で楽になったということにはならないはず。
これに気がつくかどうか・・・
普通の施術者は気がつかないわけで、いたずらに治療を長引かせてしまうケースです。ましてやほぐし整体などと謳っているレベルの低い整体師や勉強が嫌いなマッサージ師などは、まったく歯が立たないでしょう。
入念に補瀉し、施術を完了させたところ、随分楽になったとのこと。
さらに翌日にはほぼ症状が消えたとの報告を受けた次第です。
頚椎の狭窄は事実なのでしょうが、今回の例で分かるようにそれが原因で症状が出ていたわけではないのです。
(ホントにそれが原因の場合もあるので、事態はややこしいのですが、少数派であることは間違いありません)
今回、この方の長引いたかもしれない辛い症状や、不要な処置から救い得たのはたった一つの事実、つまり小胸筋がそのような症状を引き起こす可能性があるということを知っていたに過ぎません。(多少は施術技術も関係するかもしれませんが)
知識なき経験は柔軟性を失わせ頑固者を生み出すだけであり、かえって弊害があるくらいです。
そういう意味でも先人達の残した知識体系を無視してはいけないにも関わらず、どういうわけか、手技の世界に生きる人達は勉強が嫌いな人が多くて(読者は別ですが)、治せなくて平然としている・・・どころか、法律によって私達は“治療”は禁止されています、と言うに至っては開いた口が塞がりません。
法律によって禁止されているのは“治療行為”なのであって、結果として、しかも手技によって“治る”ことまで禁止されているわけではないのは言うまでもないことなのですが、これを説明してもその概念さえ理解してくれないのには閉口します。
(開いた口が塞がらなかったり閉口したり、私も忙しい)
さておき。
小胸筋には述べたような症状を出すことがあって、このことを知らないことには偶然手がいくという部位ではありません。
一般的なほぐし屋でも、偶然良くなることはありますが、それは主に背面部に問題がある場合が多いわけで、前面部の問題がその原因を作っているケースではその偶然さえありませんから、治療難民が生まれてしまうわけです。
そして、クライアントは不要な侵襲度の高い処置(手術など)を受けてしまう。
このような悲劇を繰り返さない為にこそ我々の存在価値があるということを忘れてはいけません。
増永師の「治療百話」(残念ながら未完におわっていますが)の一つに肩を痛めたご婦人の例が載っています。
肩が痛くて来院していたが、改善が少し遅い・・・と。
そこで、そのご婦人、他例のように即効的に治してほしい!と要望しました。
増永師は『仮に症状が良くなっても、ちゃんと通ってくると約束するなら、治しましょう』(要旨)と。
そのご婦人は『それはもう、間違いなく!お約束します!』と誓ったのでした。
そして、増永師はその場で痛みを解消させたのです。
ところが、そのご婦人、誓ったにも関わらず、忙しさに紛れてそれ以降全く来なくなりました。
そして、しばらく経った後、また痛みがぶり返して慌てて来院したわけです。
この事実は何を表すか?
これについては思想、信条が関わってきますので、増永師の見解をそのまま受け入れられない人もいるでしょうから、ここでは省略します。
しかし、少なくとも、ただ症状を消しただけではかえって無理をして、悪化さえてしまう方がいることは確かですね。
このような経験は無数にしているのですが、しかし、症状を少しでも良くしてあげるということが仕事ですから、あえて良くしないなどというわけにはいきませんし、また、できるものでもありません。
ここに結構ジレンマがあります。
前回述べたギックリ腰の若いクライアントさん。
若いということは素晴らしい。相当に良くなって、なんとか日常生活に支障がなくなる程度にまではすぐになったそうです。
そして、多少無理が利くことを良いことに仕事に出てしまいました。仕事は建設業でかなり腰に負担をかける業種。すると案の定、ギックリ腰の再発です。
また来院されたわけですが、まもなくの再発は治しづい・・・
病態がちょっと複雑になっておりました。
診るところによると大殿筋から仙骨に痛みを送る、つまり大殿筋第1TPの活性化もプラスされておりまして、全部でトリプル活性です。
これはホントに難儀します。
ちょうど五十肩の悪化バージョンと似ておりまして、五十肩も重症化しますと、同時多発的にTPが活性化して、モグラ叩きのように沈静化しても沈静化してもTPが再活性してきます。
これを腰でやられた日にゃたまったもんじゃありません。
ギックリ腰の重症化パターンです。
良くなるまでにはしばらくかかるでしょう。
こんなんだったら、効きもしない接骨院にしばらく通って、ずっと仕事を休んでいたほうが良かったんじゃないかしら?と思わないでもないくらいです。
まあ、そんなことを言っても、未来を正確に予測することなど出来ませんし、せいぜい、アフターカウンセリングで「くれぐれも無理をしないように」とアドバイスするしかないですよね。
ともあれ、即効的に良くならないほうが、逆にその人の為になる、ということもある、ということは頭の隅においておいたほうが良いかも知れません。
大腿筋膜張筋は股関節の外転と屈曲、そして屈曲時の内旋を担当する重要な筋肉です。別名アスリート筋とも呼ばれ、運動選手は極端にこの筋が発達していて、それは見事な筋保持者が多い。
さて、この筋にトリガーポイントが形成され、かつ活性化すると、股関節の外側から前面にかけて関連痛を生じます。トリガーポイントとしてはさほど遠位に痛みを送らず、割りと因果関係が分かりやすいと言えるでしょう。
そういう意味で、盲点となることはないはずの筋肉なのですが、最近、2例続けてこの筋にジャンプサインが認められるほどのTPが形成されているクライアントを診ました。
そして、2例とも主訴は股関節痛ではなく腰痛なのです。
一例目は32歳の男性で、除雪作業中にギックリ腰を起こしてしまったという方でした。
翌日、コルセットをギチギチに巻いて仕事に出かけたものの、帰宅してから動けなくなるほどの激痛に見舞われ、会社を休んだとのこと。そして、紹介で来院したという経緯です。
ギックリ腰と聞けば、脊柱起立筋のうちの最長筋か、深部脊柱筋(多裂筋&回旋筋)が疑われます。
セオリーどおり横向きから始め、それらの筋群のサインを見逃さないように施術をしました。しかし、どうもそれらの筋群に原因はなさそうです。あと横向きの体勢では殿部筋群へアプローチできますから、その中ではもっとも疑わしい中殿筋を注意深く施術し、サインが出ているかどうかを確認しました。すると、確かに中殿筋の第3トリガーに強い圧痛があるようで、顔をしかめるのです。
なるほど~、中殿筋のTP活性もあるな、と。
さらに念のため、大腿筋膜張筋のトリガー近辺を施術した瞬間です。うっ!と、うめき声を上げ、身をよじるように逃避行動におよびました。つまりジャンプサインです。間違いなくトリガ-サインの一つなのですが、それにしても大腿筋膜張筋からギックリ腰にくるという話は聞いたこともありませんし、どのテキストにも載っていません。
載っていなくても、聞いたことがなくても、そこにあるトリガー活性ですし、虚のコリでもあるわけですから、静かに持続圧し、沈静化を図ろうとした次第。念の為、仰向けで腸腰筋も確認しましたが、サインは出ていません。
さらにうつぶせにして、中殿筋の再度施術しましたら、やはりある程度のトリガーサインが確認できたわけです。
しかし・・・もっとも強い反応が大腿筋膜張筋にある・・・トリガー理論だけでいうと、あり得ないのですが、中殿筋の処置もしましたし、できることはやったということで施術を終えました。施術後、随分楽になったということでしたから、あまり深く考えることなく、次のクライアントに備えておりました。
さて、次のクライアントさんは60代の男性。
連日の大雪でやはり除雪作業が続き、腰を傷めたということです。ただし、ギックリ系ではなく、鈍い痛みの腰痛のようです。
ギックリではありませんので、うつ伏せから始め、様々なサインを探るもこれは!というところは特にありません。
さらに横向きにして、殿部を行い、念のため大腿筋膜張筋へアプローチ。すると前のクライアントと全く同じ反応です。
つまり強いジャンプサイン!うめき声を上げるところまで同じ。
ここに至って、大腿筋膜張筋と腰痛の関連性を真剣に考える必要性があるな、と。トリガーサインであることは間違いないのですが、しかし腰痛はこのトリガーの関連痛ではありません。
もっとも説明しやすい理屈は「胆経上の虚のコリ」。胆経からくる腰痛があっておかしくはありません。
結局、トリガーポイントも虚のコリも同じことを指していうのですから、この立場を採ると、大腿筋膜張筋トリガーポイントの関連痛は腰に及ぶ、と新しい説を唱えても良いような気もします。
しかし、私的にはもうひとつ別の機序のほうがしっくりきます。
そうです、三関節原理です。
股関節筋の一つである大腿筋膜張筋がトリガー形成によって弱化、もしくは短縮が起き、仙腸関節のズレを生む・・・仙腸関節の不潤滑は腰痛になる確率を飛躍的に高めてしまいます。
こういう現象が起きているのではないかな、と。実は施術中にそう思いましたので、仙腸関節へのアプローチを入念にやった次第です。パーカッション・ハンマーなら簡単にアプローチできますからね。
結果だけを言うなら、楽になったようですから、この仮説も成り立つわけです。
いずれにしても、腰痛であっても大腿筋膜張筋の検査(サインの確認)は不可欠だな、とそう感じさせる2例の腰痛者達でした。
施術者にとって、もっとも理想的というか、施術ストレスが少ないのは、初検の施術後、「ずいぶん、楽になったよ~」とクライアントが思わず漏らすほど改善感があり、翌日にはほとんどの症状が取れ、翌々日には症状があったなどということさえ忘れる、というパターンじゃないでしょうか。
上記の例は即効性が発揮された最たるものなのですが、施術者なら誰でもこのような経験はお持ちでしょう。しかし、この仕事が甘くないのは、こういうクライアントばかりじゃないということですよね。原因が手技不適応の場合は仕方がありません。不適応なんですから、いくらやっても改善感はないでしょう。しかし、適応症であるものについても、いつも即効性があるわけではないのはご存知の通りです。
逆の例として筋肉痛の場合を考えてみましょうか。
筋肉を使い過ぎて、筋肉痛のなるのはその直後ではありませんよね。
若い人でも翌日に痛みのピークがきます。歳を取ると、翌日どころか、翌々日、あるいは3日後、なんてこともありまして、因果関係がよく分からないくらいタイムスパンがあったりもします。
このように原因と結果にタイムラグがあるわけですよ。
やったことの結果がすぐに出るわけじゃないところに身体の妙と言いますか、人生万般にわたる妙があるとも言えますね。
ゲームの面白いところは、結果がすぐ分かるというところにあります。勉強の面白くないところは、本日10時間勉強したからといって、翌日の期末テストで一番をとれるというものじゃないからでしょう。
ホントに重要なことというのは大体、原因と結果にタイムラグがあると思ったほうが良いと思いますよ。
ビタミン不足が健康の大敵だということに気づいて、補給し始めたとしましょうか。
結果が分かるのはいつでしょうか?
ビタミン欠乏症で症状が出ているなら、わりと早く結果が出るのでしょうが、単に健康維持のために補給する場合は、何十年も経ってから、同世代の人と比べてシミジミ感じるという類のものじゃないでしょうかね。
ロングスパンでなければ結果が分かりづらいものこそ、ホントは重要なんです。
ところが我々の仕事は早い時期に結果を求められる業種です(基本的にプロというのはそういうものなんですが・・・)
「まあ、長い目で見てくださいよ」で納得してくれるクライアントさんのほうが少数派であることは間違いありません。
ところが、先例のような即効性があるタイプばかりではないわけですから、対応に苦慮することになるわけです。
カウンセリングというのはその部分をカバーする為に行われるものでありまして、次の予約を取る為のものではありません。
即効性があって、身体で納得している人に対してグダグダ、ア~ダコーダ言う必要があるでしょうか?否ですよね。あくまでも補助的な役割にしか過ぎません。
ところが遅効性の人もいる・・・・その時こそ、カウンセリングが必要になるわけで、それは決して言い訳ではないのです。
症状や歪みの程度にもよりますが、基本的に自然療法は遅効性療法だと思って頂ければ良いと思います。病巣を切り取るわけでもなく、薬で抑えこむのでもないわけですから、当然と言えば当然かもしれません。
TPの沈静化でさえ、数時間後、或いは数十時間後に起きること度々ですから、ましてや内臓的な不快感や不定愁訴などは“推して知るべし”です。
ということは、即効性があるクライアントに当たること自体がラッキーであって、ごく普通に結果にはタイムラグがあると思ったほうが良いのです。
ということは、ということはですよ、その場での改善感を得るということよりも、施術者が納得できる施術が出来たかどうか、ということのほうが重要だと思うわけです。
ところがこれもまたクセモノでしてね。納得できる施術という客観的基準が分かりません。超楽観主義の施術者なら、たいていの施術は納得できたと思うでしょうし、自分に厳しい施術者なら、そう簡単には自分にOKは出さんでしょう。
私自身は楽観主義者じゃないので、中々納得できず、施術ストレスが溜まりまくったという経験があります。おそらく、経絡反応というのはそこから汲み取るところの感覚を探っていった結果、分かったことなのだと思います。
時間に追われたり、焦りがあったり、功名心があったりすると、良い施術が出来た感じがしません。これは微妙なものでして、ほとんど無意識に感じている類のものです。ところがこの違和感、不全感はどこから来ているのだろう?と内省してみると、気が付くわけです。
時間に追われることもなく、焦ることもなく、功名心に駆られることもなく、ただその一押しに意識を集中して、静かにゆっくり圧をかけていくと、あ~ら不思議!経絡反応が起きているのが実感されます。このような状態をもってして「納得いく施術」として良いのではないかなと。
実際にそのクライアントさんが即効的な効果が出やすい人なのか、遅効性でしか結果が出ない人なのか、事前に予測などできるものではありません。
納得できる施術をした結果としてなら、即効性が出ても調子に乗って天狗になることもありませんし、その場での効果がさほどなくても、慌てることはなくなるわけです。
その場での結果に一喜一憂しているうちはあまりにも初歩的な段階ですし、かといって自信という裏付けなしに、淡々としているなら、それは単に鈍いだけです。
要は施術者がコントロールできる問題とできない問題があると認識しないといけません。少なくとも即効性か遅効性の問題は施術者にコントロールはできない問題なのです。コントロールできない問題について悩んだり、どうかしようと思い煩ったりするのは愚の骨頂もいいとこですよ。
はりきらない、がんばらない、りきまない・・・でも正確にポイントをついているし、刺激閾に到達している・・・これが出来れば、即効性であるか、遅効性であるかは全く問題ではなく、縁ある人なら、とんでもなく遅効性であっても信頼し通院してくれるでしょうし、縁がなければ即効的な効果が出ていても、来なくなります。
そこまで言い切れるのはよほど経験を積んだ施術家か、とんでもなく勘違いしている「な~んちゃって施術者」かのどちらかなのですが、後者は資質の問題というより良き師に巡り会っていない不幸な方達だと思いますね。
師の施術の凄さを目の当たりすれば、勘違いしようがありませんから。
先日、『一ヶ月前から背中が苦しくて仕方がないんだ・・・』という主訴のクライアントさんが来院されました。
65歳の男性の方です。
だいたいの部位を聞いて、ある部位を圧すと、ほとんどジャンプサインに近いくらいの反応があるわけです。ちょうど右肩甲骨の下あたりで、3つの起立筋(腸肋筋&最長筋&棘筋)のいずれもが強く痛むようでした。
表現しづらいのですが、“痛苦しい”というような痛みで、胃を悪くした人なんかは背中を圧されると、独特の苦しさを伴う痛み(それを痛気持良いと表現する人もいます)の感覚を覚えたことがあるのではないでしょうか。
このような痛みはTPの圧痛というよりも、内臓反射であることが多いものです。そこで、部位から察するに肝臓かな、と思いまして、お酒は呑むほうですか?という質問。意外にもアルコールがダメな体質らしく、ここ何十年、一滴も呑んでないんだそうです。
そうですか・・・肝臓から来る体壁反射の痛みのような気がしたんですけどね、というと・・・『ウン?肝臓?いや、実は肝炎で入院したことがあるんだよ。もう20年も前のことなんだけど・・・どうも最近、肝臓の調子が悪いような気がしてさ、実は医者に行ったんだ。その検査の結果が明日分かるんだよ』
なるほど、そういうことであれば、さもありなん、というわけです。お酒を全く呑まなくても肝炎にはなりえますので、別に不思議じゃないのですが、好奇心が強いほうですから、肝炎になった心当たりみたいなものはありますか?という質問をぶつけてみました。
『いや~それがね・・・多分、ユンケル黄帝液が原因だと思うんだ』
ユンケル黄帝液?
『取引業者から大量に貰ったことがあってさ、オレもバカだから、オロナミンCみたいなもんだろと思って、一日12本くらい飲んでいたのさ』
一日12本・・・絶句・・・
葛根湯を服用すると首のコリが楽になるからと言って、毎日飲み続けて、遂に肝障害で入院した人のことを思い出しました。世の中には極端な人っているものですね。これらは無知からくる暴挙ですけども。
『そしてたら、肌は黄色なるわ、熱は出るわで、動けなくなったんだよ。で、医者に行ったら、肝炎だってさ』
ユンケル黄帝液に限らず、市販の強壮ドリンクにはアルコールが含まれています。お酒を全く受け付けない体質であれば、普通の人ならなんでもないような量でも肝臓にかなり負担がかかることが予想されますね。さらに薬効成分が含まれていますから、肝臓の薬物代謝系はフル活動だったことでしょう。
アルコール代謝が出来ない状態で、なお薬物代謝をしなきゃいけないわけでしたから、肝臓が悲鳴を上げるのも当然でしょうね。
アルコールが全く呑めない人は強壮ドリンク剤の飲み過ぎには注意です(呑める人でもドリンク剤を一日12本も飲めばどうかなると思いますけど)
まあ、おそらく肝臓から来た症状で決まりだろうと判断しまして、それにそった施術を行いました。翌日、電話がかかってきて、検査の結果が出て、肝機能数値はやはり悪かったとのこと。肝炎の再発で間違いないらしい。
施術のお陰でずいぶん背中が楽になったので、近いうちにまたお願いするということでありました。それから、なんだかかんだと不定期で5回程、施術しました。かなり圧痛が減りまして、決して悪い方向には行っていないような気がしました。2回目の検査では肝機能が大幅に改善されていたようですから、施術者として得た感触とほぼ一致します。
今回一つの教訓として得たのは背候診での「肝」反応ゾーン、まさにそこに圧痛が出ていたということです。施術をしなかったらどうなったか?という検証は出来ませんが、古人が教えるように体表(筋)が中身(内臓)の状態を映しだしているだけでなく、体表から内臓に影響を与え、治癒が促進されることを実感しましたね。
「手当」しても治らないのを「手遅れ」というわけですけれども、ことに内臓に関しては早めの対応が必要かと思います。
「食、内を養い、手技、外を制すれば治らざる病はなし」
これとて、早めの対応を前提にしているわけです。
今般のクライアントさんはたまたま早めの対応ができて、大事には至りませんでした。しかし、ご縁がなく、ドンドン悪化し、遂には取り返しのつかない状態になる人のほうが圧倒的に多いでしょう。
一人でも多くの人に縁し、役立つことが出来たら、生まれてきた甲斐があるというものです。私一人では限度がありますから、もっと多くの人に習ってもらいたいものです。
手技を教えられる。それをやってみる。基本手技を忠実に再現できるかどうか。「あ~上手い、上手い。中々圧がまっすぐに入ってきているねぇ。リズムも良いし・・・」と誉められる。
この段階を簡単にクリアできる人もいれば、コツが上手く掴めず、結構難儀する人もいます。
しかし、この道を目指そうとしている人達ですから、遅かれ早かれ、それなりにはなります。ただ、クライアントによって、身体の厚みが違いますし、筋肉、脂肪の付き方も違います。何よりも刺激に対する感受性が違います。そうすると、ある人には良いと言われ、ある人には物足りないと言われる・・・ここで壁にぶつかるかもしれません。
もとより慰安婦(夫)になる(させる)つもりはないわけでして、満足感を与えればそれで良いというものではありません。
究極的にはその人の持っている痛み、症状を除去することが目的なわけですから。
そこで第二段階として、それぞれの症状についてのポイントを学ぶことになります。どんな人が来ても、基本手技一式を行うという段階から、その人の症状に合わせて施術を組み立てる基礎知識を学ぶ段階に入るわけです。
常識で考えても頭痛を訴えるクライアントと、坐骨神経痛を訴えるクライアントでは重点が違うことは自明の理でございますでしょ。ですから、基本手技を踏襲しつつもそれぞれ微妙に重点が違う手技に移行していくことになるのですね。
この段階になりますと、施術自体がかなり面白くなります。
基本知識があって、少し経験を積めば、症状を聞いただけで、ポイントが大体想像が付くようになります。そして自分が描いたイメージどおりに施術をして、クライアントの症状が改善したとき、このときこそ、施術家の醍醐味となるでしょう。
いわゆる「施術が面白くて仕方ない」という時期に入ります。
ところが、立て続けにさっぱり改善しないクライアントにぶつかることもあります。
おかしい・・・どうしてなんだろ?
こんな疑問がよぎるようになります。
実はこのとき、第三段階に突入する予兆を感じているわけです。 自分の施術の変化に無意識に気付いているのかもしれません。
施術の見直しを迫られている予兆なんですけども、この部分を誤魔化したり、やり過ごしたりすると、二流の施術者で終わってしまうわけでして、ここでホントは悩みに悩まねばいけないのです。
大抵、この段階では症状を追っかけるあまり、無意識にムキになって微妙に力が入っている状態になっています。
その人の問題を解決するという姿勢から、症状のみに左右されている状態ですよ。これは無意識にそうなるので防ぎようがない現象です。自分で気付かないとね。
気付くと反省が生まれるわけですよ。さて、その反省からどのような結論が導かれるかというと、やはり原点に戻ることになります。基本手技で教えられた「焦らず、ゆっくり、落ち着いて」という基本的な心構えですね。
これって経絡反応を起こさせる最大の要素ですから、ものすごく重要なことなんですが、当初はその重要性にあまり気付きません。 段階が進んでようやく基本の重要性に気付くのは万般にわたる真理でしょうね。
つまり、経絡治療の本質は「功名心を捨てろ」と教えているわけです。経絡治療とはツボの名前を覚えることでもなく、経絡走行線を覚えることでもなく、証を得ることでもないわけです。とにかく平和な気持ちで、焦ることなく、功名心とも無縁で、その人の最重要ポイントを施術するときでさえ、語弊がある表現かもしれませんが、淡々と行うことで経絡反応が起きるものなのですよ、と。
そうか、と。じゃ、淡々と施術すれば改善率が高まるのか・・・ これが面白いことに、段階を経ないとそういう施術では全くといっていいほど効果が出ません。
やっぱりポイントを突くという施術の段階を経ないとダメなんですね。だから段階がある、というわけです。
簡単にいうと、基本手技を誰よりも上手に出来るようになって、それぞれの症状のポイントが頭に入っていて、それを実行できて、それでいてなおかつ、平常心で施術が出来る、というところになりましょうな。
(↑要メモ)
言葉でいうと簡単なのですが、中々難しいですよ。私はこの段階に入るまで20年以上かかっていますからね。
一生かかってもこの段階に入られない施術家はゴマンといますから、まだ私はマシなほうでしょう(だから先生達の先生をやっているわけですが)
このこと自体を教えてくれる先生っていないでしょ。だから私の場合は時間がかかったんです。でも教えてくれれば5~6年で到達できる境地ではありますよ。
羨ましいな、先生がいるっていうのは。少なく見積もっても15年の節約にはなりますな。
この場合の「痛む」というのは所謂「揉み返し」のことではありません。
揉み返しというのは過剰刺激による筋肉の損傷ですから、これは一種の施術事故です。
そうではなくて、例えば、腰痛を緩和する施術を行なっているのに、そしてその痛む部位に触ってもいないのに、後で痛くなるという場合のことです。
痛む場所をガンガン揉めば、それは「揉み返し」の範疇に入るでしょう。
しかし、そこには一切触ってない場合は筋肉を損傷しようがありませんから、揉み返しであるとは言えないわけですね。
さて、そのことを頭に入れて頂いて、そのまま楽になる場合と、痛みが増す場合との違いを考察していきたいと思います。
筋肉中に溜まった疲労物質や発痛物質が手技によって掃除されると楽になるわけですね。
ですから、、基本的には楽になるのが理屈というもの。ところが痛みが増す、という現象があるわけです。
経験では施術後、大体24時間以内に起きます。
さてこれは一体どうしてでしょうか?
トリガーポイント理論を大変有名にした、かのクレア・デイビスもその現象には触れてはいるものの、原因には言及していません。当然ながらその対処法にも触れていないわけです。
痛みの大半は筋筋膜由来のトリガーポイントが活性することによって起きているのですが、我々はこれを手技のよって沈静化できることを知っています。
ところがその手技によって、痛み増すということになると、俄然、頭の中がクエッションマークで埋まり自信が持てなくなるのではないでしょうか。炎症を起こしている部位に触れてしまったか!とホゾを噛んだりするかもしれません。
結論を言います。
あまりにも血流が悪く停滞している部位を手技によって緩めると急激な血流回復が起きるわけです。
医学用語ではこれを血液の再灌流(さいかんりゅう)と言います。
実はこの時に活性酸素が大量に発生しまして、トリガーポイント部位の組織をダメージさせ、トリガーポイントの活性化を促してしまうことがあるのです。この現象こそが痛みの増幅効果の原因なのです(一旦沈静化させたのに、時間差で活性酸素によってトリガーポイントを再活性させてしまっているわけですよ、あ~なんたること!)
私も数多く経験しております。
例えば、55歳の男性の腰痛施術を行ったところ、施術後は楽になったと大変喜んでおりました。
ところが、翌日は仕事にならないくらい痛みが増し、すっかり私に不信感をいだいてしまって予約を取り消されたこともあるくらいでして・・・
血液の再灌流の問題は我々のような自然療法たる手技でさえもこういう形のトラブルにも似た問題を引き起こすわけですが、医療の現場では命に関わる大きな問題として立ちはだかっていました。
これは心臓の手術で顕著でした。心臓にいく血流を確保する手術をしたにも関わらず、症状は前より悪化して、最悪の場合は死に至るケースがあったんですね。
心臓外科医達をパニックに陥らせた現象だったわけですが、基本的に同じです。
血液の再灌流が起きたときに発生する活性酸素が原因だったのです。
まあ、我々は手術をするわけではなく、そこまでの再灌流は起きません。起きませんが、年齢的に活性酸素除去酵素(SOD)が急激に低くなる中年以降で、食生活があまり良くなく、生活リズムも不規則な方などは、再灌流による活性酸素によってダメージを受けやすい体質なのです(喫煙&飲酒習慣があればほぼ間違いなく活性酸素を抑制することができない体質と言えるでしょう)
こうしたことは経験的に一流の施術者なら知っているところでして(治癒反応として)、増永師などはビックリするような反応を与えないように手加減する施術を行っておりました。
しかし、それもまた難しい話です。必ず起きるという現象でもありませんし、そもそも手加減する施術というのはとても難しいものです。
ですから、対策としては、事前にその旨を伝えて、心の準備をさせるというくらいでしょうか。
あとは少しでも活性酸素の害を減らすべく、水素水を使用した飲用水を施術後にお出しするとか・・・
再灌流を恐れて血流を停滞させたままで良い訳がありません。
ですから、再灌流によって活性酸素が発生したとしても、それを無効にする栄養素を摂らせれば良いわけですね。
これは栄養学の分野、特に分子栄養学の分野になりますから、簡単に説明しきれるものではありません。これからの課題とさせてください。
※日頃からビタミンCとビタミンEを豊富に摂っている方はメンケン反応が起きづらいという事実は 、活性酸素による組織ダメージもメンケンの理由に一つであるということを示唆している傍証になると思います。何故なら、ビタミンCとビタミンEは活性酸素を除去する効果が高いとされているからです。
4)炎症的痛み”で膝痛には二つのタイプがあると述べました。
一つはTP関与のみの場合。
一つは組織の炎症を伴っている場合。
前者は効果が早く、翌日には寛解に至ることも稀ではありません。
しかし、後者は炎症が現在進行形で起きているため、炎症の治まり具合によって痛みの軽減度合いが違ってきます。
しかも膝の場合は常に負荷がかかっていて、修復されるたびに損傷するという悪循環に陥っているわけです。
ここに治しづらさがあるのですが、しかし諦めることありません。
4)で述べた中々治らないタイプの方のその後です。
この方の膝は半月板の手術もしておりますし、単なる炎症というよりほとんど“破壊”されていると言って良いかも知れません。
膝軟骨のすり減り具合が尋常ではないのです(医師の所見)。
さてさて、このような症例において“整体”療法は功を奏するものなのか?という疑問がありますよね。
これで功を奏すれば整形外科医院は相当数患者を失うことになるではないですか。
結論から言って、この方の膝はかなり改善されました。
もちろん、完治ではありません。膝サポーターの装着は欠かせませんし、階段での下りが苦しく、場合によっては後ろ向きで降りることもあると言います。
しかし、当初来られた状態、つまり歩くのもやっとという状態から比べれば、大幅な進歩です。
人間の身体というのは多少の損傷は修復できる機能が備わっているわけです。
(事故等による大きな損傷は限界がありますけれども)
整体療法はTP処理による痛みの緩和のみならず、血流、リンパ流確保によって、修復機能を最善に働かせるということも重要な意義の一つでしょう。
ただし、血流やリンパ流を確保したとしても、修復する材料(栄養素)が不足している場合は治りは遅いとは思いますが・・・
(この分野は分子栄養学の守備範囲になろうかと思います)
かりに修復される為の材料が十分にあるとすれば、あとは拘束されブロックされた組織を緩解させることによって、治癒に拍車がかかるわけです。
しかも、組織損傷による痛みには必ずTPが関与しますから、その処理を同時に行えるのが“整体療法”の最大のメリットかもしれません。
鍼などより余程、応用が利き、当然、守備範囲が格段に広い整体療法なのですが、その認識が世に浸透していないのが残念です。
というわけで、整形外科の患者が少くなるほど我々の療法に殺到することはありません。
そういうことが出来る整体師も少ないですし。
いずれにしても、強い炎症を伴う重症の膝痛であっても、基本をキチンとやれば時間がかかったとしても必ず軽減されていきます。
その基本をもう一度述べますと、1、三関節原理に基づく手技 2、周辺組織の緩解 3、TP処理
言葉でいうと難しいように感じるかもしれませんが、一度知ると、さほど難しくはありません。
あとは根気の問題かな・・・・時間がかかる症例ですから。
本来であれば事故以外に人工膝関節術など必要ないのです。
64歳、男性。
お盆休みを利用して車で連続2時間のドライブ後、理由あって人の住んでいない実家の草むしりを熱心にやったそうな。
一段落ついたところで、Uターン。当然、帰りも2時間の連続ドライブ。つまり、その日は往復で4時間の車の運転と、ほぼ半日の草むしり&庭の手入れという荒業をやってのけたわけです。
急にこのような負荷をかけるようなことをしたものですから、当然のことながら、身体が悲鳴を上げてしまいます。歪が一気に噴出し、腰痛とは無縁であったらしいのですが、酷く腰の痛みに悩まされてしまい、緊急の来院となりました。
問診表を見ながら、種々お話を聞いているうちに、ふと疑問が起きました。職業欄が空欄だったので、無職かな?と。
年齢的には無職でもおかしくないのですが、仮に退職したとしても、第2の人生で何かかかにかの仕事に就いているのが普通ですよね、64歳なら。
もちろん、興味本意で知りたいわけではありません。我々はクライアントが日常的にどのような負担がかかる仕事をしているのか、知っておかねばならない立場にいるからです。
お仕事はなさってない?という質問に対して、不思議な答えが返ってきました。
「仕事は数年前からしていません。左の踵が痛くなるんですよ。それで、長い間立っていたり歩いたりができなくなりまして・・・」
なんと興味深いことを言うのでしょう。
踵が痛い?左足の踵が痛くて仕事をヤメた?
「踵の痛みの原因はなんと言われました?」と再質問。
「加齢によって、足裏の筋肉が薄くなり、クッションの役割がなくなったそうです。それで踵の骨が直接刺激され、痛むらしいんですね・・・ですから、ジェルが入った靴底を数枚重ねて歩く時のショックを和らげているんです」
(んな、バカな・・加齢で足底の筋肉が薄くなって、踵が痛むなら、老人は皆、踵が痛くならなきゃイカンじゃないですか)
伝統的な西洋医学では説明しようがないのでこんな説明になっちゃうんです。
全く馬鹿げた説明ですが、正規の医療機関でそう言われれば、素人としては納得する他ありません。
もちろん、我々は踵の痛みの大半がふくらはぎのTPから来ることを知っています。
足底腱膜炎の可能性もありますし、骨棘という可能性もないわけではないのですが、それらの診断がなされていないところをみると、普通の医者では分からない原因、つまりTPの関連痛から始まったことを示唆している事例です。
そのことについては内心に収めておいて、さらに既往歴を尋ねると、また驚くべきことをおっしゃる。
「右足のアキレス腱を切ったことがあります。30年ほど前ですけど」
「ほう、右足のアキレス腱?事故か何かで?」
「バドミントンをやってたんですね。体調があまり良くないときに無理したもので、ビキッといってしまいました」
「あらら、それは大変でしたね。30年前くらいですか」
「そうです。でも手術が上手くいかなかったようで、2度手術しています。同じ年のうちに」
(はっはぁ、なるほど~)と思わなきゃ我々の業界ではモグリです。アキレス腱の再建術によって、ふくらはぎの筋肉が短縮してしまっているわけですよ。
普通、右足の話ですから、右半身のほうに症状が出ることが多いのですが、この人のように右を庇っているうちに左側がおかしくなるといことも結構あります。つまり、、この人の左腓腹筋のTP発生の原因は右アキレス腱の断裂なのです。そして、20数年の歳月をかけて、そのTPが活性化し、左の踵に痛みを送って、仕事を続けらなくしてしまった・・と。
タイムスパンが長すぎて、普通はこの因果関係を掴むことはできません。
もちろん、西洋医学では因果関係を全く認めるものではありません。
今般、放射能の問題が取り沙汰されていますが、放射能が恐ろしいのは20年、30年というタイムスパンの中でガンの発症率が高まる、ということじゃないですか。
実は、放射能だけじゃなくて、このような例での身体の損傷というのも、20年後、30年後に思いもかけない症状となって現れてくるわけです。
これを声高に言っても医療関係者は聞く耳を持ちませんから、小さい声で言いますけど、当時、整体的適切な処置をしていれば、原因不明の踵の痛みに襲われることなく、仕事を辞めるということにもならなかったでしょう。
あるいは踵に痛みが出た時点で、整体的適切な処置を行えば、大丈夫だったと思います。
いずれの時点でも縁がなく、こんにちまで来てしまったのは実に残念なことですね。
でも、こればかりはご縁ですから仕方ありません。
今回、腰の痛みということで来院されたわけですが、この症状自体はほどなく沈静化していくでしょう。
しかし、せっかくのご縁なので、ふくらはぎのTP処理とカチカチになったアキレス腱の処置を行い、将来的に起こるであろう予測不能な症状を未然に防ぎたいと思うわけです。
とにかく人間というのは歩けなくなると、急激に弱りますからね。
認知症遺伝子を持っている人は一気にボケていきますし。
正しい整体的処置というのは、人生の最後の10年間のQOLを劇的に変化させ得る可能性を持っているわけです。(もちろん良い意味でですよ)
長い間、この仕事に携わってきて、このことは真実であると神に誓って言えることです。
転ばぬ先の杖という格言があります。
老齢期に入ってしまって、ことが大きくなってからの施術は厳しいものがありますから、早めに何かのキッカケでご縁が出来て、それらを予防していければ良いな、と思いつつ、研鑽に励む日々でございます。
また施術者皆がそうであれば良いな、と・・・・
時々、ギックリ“腰”というよりギックリ“背中”と呼んだほうがいいような部位に問題を抱えている人に出会うことがあります。
先日も30代の青年が来院して、ギックリ“腰”だと言いました。この5~6年で10回!ほど動けないほどの発作が起き、最近その間隔が狭まっていると言います。
ちょっとそれは問題ですね。そもそもそんな頻度でギックリを起こすというのは、かなり珍しい部類です。
問診の後、どの部位に症状が出るか、指し示してもらったところ、腰の範囲ではありませんでした。
胸椎10番あたりの左側の筋肉。
なるほど、この部位でもギックリ“腰”と表現するのか、と妙な感心をしてしまいましたが、考えてみるとギックリ“背”という言葉が一般的ではない以上、ギックリ“腰”としか表現できないのは当たり前です。
痛む部位から言っても、起立筋系のTP活性が直接的な原因ではあります。処置はそれほど難しくはないのですが、なぜそこにばかり集中してTP活性が起きるのか?興味の対象はそちらの方です。
まず見かけ上の脚長差がありました。左側(患側)の足が短いんですね。同じく左足が内旋しておりました。
これが原因なのか、結果なのかは分かりません。モートン足でもありましたから、確率的には足からの原因である可能性は大です。
TP処理を含め一連の施術で痛みを沈静化させました。
標治的な施術は成功です。
それにしてもこの若さでどうしてこんなに歪んじゃったかなぁ、と疑問に思いつつ終了。
そしていつものことなんですが、患者さんってどうして施術のあと大事なことを思い出すんでしょう。施術の前に思い出してよ!
施術後のカウンセリングで「そういえば!5年くらい前に足を骨折したんですよ。それ以降、調子が悪くなったんですよね~」
(お~い、先に言ってくれ!)
「ほう!で、足のどこですか?」
「甲です」
「甲?う~ん・・なるほど・・じゃ左足ですね」
「はい、左足です」
そこから始まってましたか・・よく聞いてみると、ちゃんとした処置をしなかったそうな。肉体労働で日給月給のような仕事らしく、休むと直接収入に響いてしまって、家族を養えないという切実な問題があるわけですね。
ギックリの発作のときもコルセットをギチギチに巻いて、仕事に行っていたのだそうです。(貧困問題というのは即健康問題に関わる・・・)
歪みの応力が転位してそこ一点にかかっていったのでしょう。
足の施術も当然やりましたから、足部拘束もある程度は取れたと思いますが、時間が経ってますから、あと数回は必要かもしれません。
同じような部位にギックリ的発作が起きる例としては、建設業の三十代の男性もそうでしたし、同じく三十代で調理師の人もそうでした。経絡的には「脾」の問題ですから、思い悩む年代なのかも知れません。
まあ、いずれにしてもギックリ的発作がクセになると筋短縮が常時発生しているということになって、歪みが固定されますよね。
すると、背中の痛みだけでは済まなくなります。中高年以降、大きな内蔵疾患にみまわれ、致命的なものになるかもしれません。
我々が正しい認識を持って、正しい処置をしてあげないと、医療関係者はそこまで考えてくれませんし、リラクゼーションマッサじゃ話になりませんし。
逆にいうと我々が最後の砦みたいな存在になるわけだ。これは別に上から目線で言っているのではなくて、一種の使命感ですよ。
我々がやらなくて誰がやるのか!と。
かといって能書きをタラタラと述べれば良いというものでもありません。
それぞれの方法論にはそれぞれの価値があって、それぞれの貢献があるのでしょうが、身体の法則、秘密(それが一部であるにせよ)を知った者の義務として、日々の研鑽を怠ってはいけないと思うわけです。
少し前にネットで話題になりました。
ヨーグルトを餃子のタレに使うと、案外イケル!とのこと。
もともと食いしん坊の私は、今度、家で餃子を喰う機会があれば是非やってみたいものだと思っておりました。
この度、その機会がありまして、試食したところ、噂通りイケましたね。
それにしても、全く違う文化の中で育まれたそれぞれの食べ物です。ですから、その組み合わせを聞いただけで、食べる気が失せる人が多いのではないでしょうか。
実は私もその一人で、なぜ合うかの説明を読む前まで試してみる気も起きなかったのです。
しかし、その組み合わせがなぜ良いのかという理由を知ると、なるほど・・・確かに、これは合うかもしれないな、やってみよ!という気になったわけですが、その説明のどこに説得力があったのかお分かりでしょうか?
賢明な読者ならもうお分かりでしょう。
そもそも、本物の餃子のタレを思い出して下さい。
1 酢
2 醤油
3 辣油
が標準的ですよね。それぞれの割合は好みがあるにせよ。
さて、ここで酢の代わりにヨーグルトを使ってみたらどうか、という発想に至った人がいたんですね。なぜなら、酢もヨーグルトも同じ酸味ではないですか。
こうして、餃子とヨーグルトというあまりゾッとしないような組み合わせが誕生したわけです。
ところが、酢のような尖った酸味ではなく、乳製品特有のマロヤカな酸味が上手く醤油と辣油にマッチして、むしろ中々絶妙なのです。(ヨーグルトに醤油をかけて辣油をかけるということ自体、変な感じに思うでしょうけど)
突拍子もない組み合わせが実は理に適っているという典型的な話で引用したわけですが、このような事は世の中に結構あると思います。
「常識にとらわれない斬新なアイデア!」とか「ユニークな発想で常に一歩先をリード!」とか言われているものも、この餃子とヨーグルトみたいな組み合わせであることが多いのではないかと思うわけです。
餃子とヨーグルトも、誰も発想出来ない奇跡のコラボみたいな印象を受けますが、タレに酸味を使うというところに気がつけば、なんのことはない、手品の種を明かされた気分になります。
ですから、斬新な発想というのはなんの下地もない、あるいはなんの基礎もないところに突然出てくるものではないということが分かりますね。
その分野の基本をしっかり叩きこまれているところに応用が生まれるわけです。しかも、それは応用というよりも、新しいジャンルの開拓とさえ映ることもあるのです。
こうして、様々なジャンルで様々なコラボが生まれ、様々なアイデアとして実現していくわけです。
真にオリジナリティがあるというのは実は少ないんですね。
新しいアイデアの大半は既存のものの組み合わせを変えることによって生み出されていることに気がつけば、それだけで、かなりのアイデアマンになれるではないですか。
料理好きなら、餃子とヨーグルトの種明かしを知るだけで、10や20のレシピがその場で思いつくかもしれませんし。
このように触発を受けながら、次々と連鎖反応的に新しいものが生まれていくわけですが、現代はネットという媒体があるため物凄いスピードでそれが行われる時代だということを是非知っておくべきでしょう。
逆にいうと主体性がないとそのような情報に振り回されることにもなりかねませんから、依存し過ぎてもよろしくありません。
むしろ、上から目線で(これを他人にやったら嫌われますから、あくまでも内心的に)、『なるほど~そういう切り口で来たか。材料は古いけど新しく見せておるなぁ』くらいの感覚で捉えることが重要だと思います。
「餃子とヨーグルト」のフイルターを通して自分のビジネスをときどき見つめ直すことも必要だと思う次第です。
(今回は整体から少し離れた話題になりました)
我々が相手にする痛みの種類でもっとも多いのは、筋筋膜痛、つまりトリガーポイントが関与する痛みです。
しかし純然たる炎症による痛みもまたあるわけで、このような症状を持つクライアントも当然混じってきます。
「痛い」という分類の中で(1)TP活性による関連痛なのか、(2)炎症性のものななのか、(3)それら複合的なものなのか、をその訴え方だけで判別することはできません。
つまり、同じような痛み方をするわけです。厳密の言うと脳はその区別ができないのです。
実はこのことが痛みの実態に掴もうとする者(我々)には厄介な問題となるわけですね。
一つの例ですけれども、膝痛の方が続けて二人来ました。
同じように膝の内側が痛いと言います。
経絡的には脾経、TP的には内側広筋に問題があるわけです。
同じような部位が痛いのですが、その歩き方からして、一方のほうが重症のような気がしました。
しかし痛みの度合いだけで判断することも出来ません。
例によって通常のTPの処理、その他整体療法において標準的な方法論で両者とも施術しました。
ところが一方は改善したものの、もう一方は(重症だと思った方)は全く改善する気配さえありません。
さて、こういう場合、どうしましょうか?というお話です。
TP関連痛のおいても、メンケン反応が出たり、治癒が長引いたりすることはあります。しかし、この例はどうもそういう感じでもない・・・
そこである質問をしました。
痛み止めを服用してるか?
相当痛いらしいので、痛み止めは医者からもらっているものを飲んでいるとのこと。
さて、次の質問。
その痛み止めは効くか?
非常によく効く・・・との答え。
これはTPの関与がまだ少なく、膝の軟骨部分が現在進行形で磨り減り、骨が削られていくときの痛みを感じているんですね。
ちょうど虫歯が神経を侵食していくときのような痛みです。
虫歯を手技で治せないように、この場合もすぐに痛みを止めることはできません。
さて、どうしたら良いのでしょう?
内側広筋TPは膝にかなり近い部分にありますので、あまりTP処理にこだわると、膝の内部の炎症を強める可能性があます。
こういう場合は即効で治すことはできませんから、TP処理も熱心にすることは禁忌でしょう。
じゃ、何をするのか?
膝近辺に触らないことです。
膝の裏を軽くほぐす程度なら良いですが、それ以上はしないようにして、足首と股関節の操作に重点をおくことにします。
そう!三関節原理ですね!
膝は足関節と股関節の補正器官であるという原理基づいて行う手技です。
一見、施術の物足りなさを感じるかもしれませんが、このほうが膝の負荷が減って、炎症の治まり方が早いのです。
じゃ、全部そうしよう!というと、もう一例の方のようにTP処理によって、一発寛解する場合もあるわけですから、使い分けというのが重要になってきます。
その指標、区別が一律に決めることはできないにしても、炎症が伴う痛みは当然、消炎剤と痛み止めが良く効きます。
代わりに手技が効かない。
TP関連痛はこれと逆になるわけですね。
というわけで私が発した質問の仕方も覚えておいて損はないでしょう。
とは言え、中々機械的には決められないものです(だって人間の身体ですから)
ある種の勘みたいなものでしょうか。
それにしても勘が外れることもあるわけですから、やっぱり複数回の施術のチャンスが必要なんです。
施術の軌道修正という意味でもね。
逆にいうと治療系の場合はリピートを前提に施術をしないと、ドンピシャ一発寛解ばかりではありませんから、ダメなんです。
肩こりとか、ちょっと身体が疲れたとか・・そういう癒しを求めてくるクライアントさんは別に次回の予約はどうでも良いのです(どうでも良くはないけれども)
癒しを求めてくるクライアントさんと治療を求めてくるクライアントさんの割合はその施術家によって違うでしょうけど、クライアントさんが治療を求めてきているのであれば、決然と、次回の予約を勧めねばならないのは、修正をかけねばならないことがあるからに他なりません。
テレビも時々、永年の疑問を解き明かしてくれる場合があって、中々バカにできないことがあります。
頭皮が硬い人は近年非常に多くなっていて、皮膚が数センチすら動かないという人がザラにいます。
昔は7センチくらいが平均だったらしいですから、驚くほどの変化ですね。
多分、シャンプー&リンスのせいだとは思いますけど・・・
まあ、原因を追求しても仕方がありません。
ご存知のように頭皮という分類は髪の毛が生えているかどうかだけの問題で、実は顔面と一体になっているわけです。
ですから、頭皮がブヨブヨだと顔もまたシワが寄りやすく、老け顔に早くなるということになりますよね。
ところが、硬い頭皮の持ち主はシワがなく若く居られるかというと、これがそうでもありません。
経験では、頭皮の硬い人ほど、ある時期から劣化がガガーっと来て凄いことになるわけです。なんというのでしょうか、変貌する感じとでもいいましょうか。
経験則ではそうなんですが、上手く、その現象を説明できないでいました。
それがテレビ出演した専門家によって、説明がなされ、なるほど~と得心したのです。
この専門家もあくまで私見と断って説明していましたから、完全には解明されていないようなのですが、なんせ、経験則を共有しているというところに、ある種のシンパシーを感じたのですよ。
こういうことらしいです。
頭皮が硬いということはそのまま顔面筋の硬さに通じます。 突っ張った状態ですからね。そうすると、表情筋を普通の人よりも動かせないということになるわけです。
つまり、筋肉を使わないでいるとどうなるか?という単純な問題に置き換えられるわけ。
退化し、最終的には廃用しますよね。
なるほど~と思いましたね。そうか・・・実に単純なことだ・・・と。
ある時期、一気に老け込むという現象は一種の廃用性老化の具現化ですよ。これでキレイに説明がつきます。
同じことがリフトアップ手術にも言えますね。リフトアップしますと、シワが伸ばされますから、まあ、若く見えるようになります。
アンチエイジングの切り札みたいなものですね。
ところが、これもある時期、とんでもない化物顔に変貌してしまうわけ。
やはり同じなんですね、無理やり吊り上げていますから、表情筋運動が減少してしまわけです。
すると当然、筋肉の廃用性萎縮=老化ということになる。
この場合、とても悲惨なのは、無理に皮膚を引っ張っている状態で廃用性の老化が襲ってくるわけですから、メチャメチャ不自然な顔に見えるわけですよ。
脳にインプットされていないような顔になるので、人間というよりも、やっぱ化物っぽいのです。
とても残念な人々としか言いようがありませんが、自分で選択した報いですからしょうがない。
それは特別ですが、頭皮の問題で劣化が一気に進むという現象は、これは防げますよね。
普段から頭皮をマッサし、表情筋も運動させれば良いわけです。顔面按摩功なんか良いではないですか。プラス頭皮のマッサージ。
これは自分でできるから良いですよね。
お金があれば人にやってもらうというのが一番良いのでしょうが、自分でもできる部位ですから、風呂に入りながら顔面のみならず、頭皮もマッサする習慣をつけたら良いのではないでしょうか。
特に頭皮が硬いと思われている方はそうしたほうが良いと思いますね。
私事で恐縮ですが、私の頭皮も最近硬くなってきています。
若いときは柔らかく、将来絶対ハゲることはないな、と思ってました。
まあ今も頭髪は無事ですが、それにしても、若い頃から比べると頭皮が硬く、余裕がなくなっています。
反比例するかのように顔面が弛んできてますしね。
年齢的なものがあるので、ある程度は仕方ないのかもしれませんが、ちゃんとケアーしておいたほうが良かったのかも・・・です。
まあ、男ですから、そういうケアーは全く頓着したことがありません。
化学剤を使ってイジリ過ぎるのも逆効果ですが、少しは気にしたほうが良かったかな、と反省しております。
これからシャワー時には入念にスカルプマッサをしようかな・・と。
え?もう遅い?
遅すぎるということはないと信じたい・・・
漢方は専門ではありませんし、仮に勉強したところで、正式な漢方の流儀に則って(身体に触り診断を下す)、処方を決定するのは法律違反になるため、全く無駄になってしまいます。
そういうこともあって、正規に勉強する動機がなく、今日に至っているわけです。
しかしながら、日本の歴史において、幾多の名医は漢方界から生まれているわけですから、影響はずいぶん受けました。
流派はあるにせよ、日本の漢方にもっとも影響を与えた書は「傷寒論」でしょう。この傷寒論は症状とそれに対応する処方が記載されている、いわばバイブル的存在です。
しかし、この傷寒論にもっとも忠実な「古方派」でさえ、名医と言われている人達は基本方剤の中で様々な工夫をしていくわけです。
このことをご存知「さじ加減」というわけですよ。現代では慣用句にもなっていますね。
また、さじ加減のみならず、症状に対応させ、処方を決める際にも全く違った発想を取り入れる場合もあるのです。
すり鉢を例にして、そのことを述べている名医もいます。すなわち、すり鉢をすり鉢としてだけで使うのは面白くないだろうと。水桶にも使えるし、灰を入れ炭をおこせば暖もとれる、逆さにすれば踏み台にだってなる・・・
現代人からみれば、ずいぶんヘンテコリンな例えですが、漢方方剤というのは傷寒論に書かれているようにある症状に一つの薬方を対応させるのじゃなく、それに精通すれば一見、つながりのないような症状にこそ著効がある場合があって、それこそ醍醐味だと、そういう意味なんです。
そういうことに勘が働いてピンとくるのが名医の名医たる所以だろうなと思ったものです。
こういう漢方家達の影響があるので、少し捻って考えるクセみたいなものがずいぶん早くから付きました。
例えばリフレでの反射区の考えも初期段階から「腎臓」の反射区は腎臓の関連だけで考えるのは面白くない、と。
リュウマチに良いのはデトックス効果から当然として、東洋医学的には骨髄支配が腎だから、骨粗鬆症に応用できるに違いない・・・(これはのちにビタミンD2が腎臓から生産されることが発見されて正しいことが分かりましたけれども)
何かを手がかりにして応用していくというのは何も小生の天邪鬼的性格からきているわけではなく(ま、それもちょっとあるけど)、漢方家の影響が強いのです。
基本が叩き込まれていないのに応用ばかり考えていてはダメなんですけどね。
まあ、一応基本が出来ていると仮定するなら、日本漢方の名医達の考え方というのは非常に参考になると思います。
トリガー・ポイント理論も経絡説も同じで、まず基本を叩き込んで、すり鉢を逆さにして踏み台にしたりするわけですよ。
例えば、ハムスト筋のTPはとてもデカく人体にできるTPの中では一番大きくなるかもしれません。しかし、このTPの関連痛はそんなに離れた場所に出るわけではなく、せいぜい殿部、あるいは膝裏、そんなもんでしょう。
しかし、ここが短縮するということは骨盤を後傾させますので、腰椎に非常に大きな影響を与えます。
つまり間接的に腰痛の原因になっている可能性があるわけです。直接的な関連痛では腰痛の原因には成り得ません。(そういう現象は認められていない)
ところが述べたように、間接的な原因には成り得るわけで、歪みの筋筋膜連鎖という概念にも通じてくるわけですし、経絡的な発想にも通じてくるわけです。
このようにTP理論一つとってもその応用を考えれば、あらゆる可能性を秘めているわけです。
ここらあたりがTP理論を基にした治療家に欠けているところでしょうね。だから、西洋にも日本漢方のような歴史があれば、またちょっと違った解釈になると思います。
ある理論を手がかりにはするけれども、ドグマに陥ることなく、その影響性を全体の中で考えていく・・・こういう考え方は何も漢方だけにあるものではありませんが、少なくとも小生は漢方から学んだわけです。
また名医も晩年になると、わずか30数種類の処方によって衆病を治した、とあります。
これもかなり影響を受けておりまして、結局、シンプルになっていくわけですよ。
しかし、最初からシンプルじゃないんですよ。
習いたては500種類くらいの処方を覚えこみます。机上で勉強しているうちは(これだけのことを覚えているのだから、ほとんどの患者を治せる!)という錯覚に陥るのだそうな。
しかし、実践に出てみると、どの患者の症状も微妙にテキスト(古典書物)の症状とは違うような気がしてきます。
そして、処方する方剤を決定することができず、途方にくれる・・・とまあ、そこから出発するわけですね。
それから研鑽を積んで、一応名医と言われるくらいになります。そのときは大体、100種類から200種類を使いこなしているわけですね。
さらに、晩年になると「その術、神に入り」と形容されるほどになります。このとき使う方剤はわずか30数種類。
500種類の方剤をマスターしたのち、30数種類のさじ加減だけで、500種類を使いこなす以上に効果を出すわけです。
日本的といえば実に日本的な話でございまして、小生も日本人の端くれですから、こういう話が大好きなんです。
単に好きなだけではなくやってて実感するのは、漢方薬と手技という違いがあるにせよ、経験を積めば積むほどその技はシンプルになっていくということです。
種々の技を学び、また開発していくわけですが、それを消化したのちは、シンプルな技に吸収合併されていくようにして、単純になるわけです。
こうして「単純推圧」って生まれていったんだろうなぁ、と。
アンドルー・ワイル博士が記述するところによると、フルフォード博士の施術はどんな症状の患者が来ても、全く同じことをやっているようにしか見えなかった、とあります。
つまり、頭を触り、少し揺らし、パーカッション・ハンマーでそこここをバイブして、それで終わり、と。
こんな単純なものが数々の伝説的な効果を生んだ手技だとは到底思えない、と正直なところを吐露しているわけです。
実際はおんなじことをやっているわけではなく、微妙なさじ加減で違うことをやっているのですが、見た感じがみな同じに見えるわけです。
まあ、そういうもんなんです。見た目では違いが分からないほどシンプル化していきますね。
でもさすがにワイル博士は気づいていくわけですよ。もしかすると、自分はとんでもなく非凡なものを目撃しているのかもしれない・・・と。ここらへんはさすがです。
だから漢方の名人の晩年の処方がいかにシンプルであっても、どれほど的を得ているものなのか、ということが逆に分かるわけです。
分野は違うのですが、患者の治癒力を引っ張り出すという共通項があるので、似てくるのでしょうね。
ガンの三大療法と言えば、手術、抗癌剤、放射線のことです。免疫療法もかなり研究はされておりますが、活性リンパ球療法などはワンクール数百万円も取るクリニックもあるくらいで、到底庶民の手の及ぶところではありません。
また、あまりにもデータに不備があり、延命率が何パーセントになるのかさえ、明らかになっていないのです。
そのようなことを考えると、現時点おいて普通の生活水準者は三大療法の他の選択肢がなくなってくるではないですか。
ということで今回は三大療法の中の特に抗癌剤と放射線療法について考えてみたいと思います。
抗癌剤と放射線は確かにガンを叩く力があります。ガンが退縮し、或いは進行がストップする現象はよく知られているところでしょう。またそういう効果がなければ、現場の医師が使うはずがありません。
医師にも悪人はいますが、大多数は善良で真面目に患者の生命を救いたいと願っている人たちなわけですから。
しかし、抗癌剤や放射線の欠点はガンのみならず、正常細胞まで、特に肝心の免疫細胞まで叩いてしまうというところにあります。
ここのところが、なんとも言えないジレンマですね。
免疫力が下がれば、ガンは増殖します。しかし、放っておけばガンは広がり死期を早めてしまいます。
前門の虎、後門の狼。
結局、どれくらいその人の免疫力が損傷することなく(機能しながら)、薬、或いは放射線によるガン退縮効果を維持できるか、という個人レベルの体質の問題になってしまうわけです。
具体的にいえば白血球の割合が減少することなく、抗癌剤なり放射線を受け入れることが出来る身体の強さが求められるのです(これを一言で体質というのですが)。
統計をとって平均化すれば、明らかに延命効果があるという数値が出てくるので、現行の三大療法が認められているわけですね。
というわけで、小生は現状、データが存在する療法を否定するほど蛮勇の持ち主ではありませんし、また無責任でもありません。
自然療法家の中には三大療法を完全否定する人たちもいますが、学問的批評に耐えらる強固なデータを持って否定している人は皆無です。
数百万円もする免疫活性リンパ療法でさえ、延命率のデータがないというのは述べた通りで、カウンセリング料だけで2万円も取るのはどうかしています。こういう医師のほうがむしろ、悪徳医師なのではないだろうか、と勘ぐりたくなりますね。(民間療法家なら推して知るべし)
それはさておき、普通、ガンの場合、マッサージは禁忌となります。同じ手技なので押圧を使った整体もまた禁忌だろうと思われるのですが、全く事実に反しています。
先に述べたように、自分自身の免疫機能を維持しながら、ガンを叩く薬剤や放射線を受け入れる身体の強さを持ったときに生存率が高いわけです。
この「自分の免疫機能を維持しながら・・」という方法論が西洋医学ではないわけです。
一時、漢方薬(特に十全大補湯)がガンに効くと話題になったことがあります。では、全部のガン患者に有効か?というとそうではないということが分かった時点でブームが下火になりました。
熱しやすく冷めやすい国民性の特長がよく出ている現象でした。
十全大補湯など漢方薬を使う意義はそれでガンを治すということではありません。抗癌剤や放射線などで傷ついてしまった免疫機能を回復させ、または維持させるのに有効であったわけです。
しかし、漢方薬はその人の体質(証)を決め、それに合った処方をしないとあまり効果が出ないのです。そこのところの理解が西洋医学の医師側には足りません。
その人の証をドンピシャリで決定できるほど漢方に造詣が深い医師は残念ながら、多くはないのです。ある種の名人芸を要求されるのですから。
そうしたこともあって、漢方でガンを・・・ということは廃れたわけです。
もし「証」を高い確率で決定できる素養を持った医師のもとで併用するならば、依然、非常に有効な方法であると思います。
この分野は漢方界側からもう少し意見があって然るべきだと思うのですが、なにせ保守的な業界です。触らぬ神に祟りなし、を決め込んでいるとしか思えません。
本題に戻って。
手技法界からの言及もないのが現状です。
確かにこの分野に踏み込みますと、かなりインチキな臭いがしてきますし、常識を持つ者なら身の危険(法令違反)を犯してまで、そのことを言うことはしないでしょう。
それでも、あえて言いたいと思います。
小生、数多くのガン患者を施術する機会がありました。
手技法界の中では相当に多い部類ではないか、と思います。また、実際に施術する機会も多いわけですから、風聞によって見聞きする機会はダントツに多くなるでしょう。
その中で、人とは簡単にダマされるものだということを知るわけです。
例えば、ガンの標準的な医学的治療法を拒否して助かった人がいるとします。
その人の例で言えば、その人の採った行動は正しいわけです。
しかし、同時にそういう方法を採って、亡くなった方も多くいるのです。
語られることが多いのは、標準的治療法以外で助かったという例なのですが、決定的にアンフェアなのは、標準的治療法によって、助かった人も非常に多いということです。
圧倒的に標準的治療法を採用する人が多いわけですから、当然ながら、亡くなる方の絶対数が多いに決まっています。
その部分だけを取り出して(標準的治療法で亡くなったこと)、そういう方法論を否定し、ある種の民間療法を宣伝している例も数多くあって、そしてそれを信じてしまうわけです。
「藁をも掴む思い」という患者の心理を巧みに操る悪徳業者と同レベルだと思われたくないため、良識ある手技法家は沈黙するのでしょうね。(よく分かります、その気持)
ガンの種類など、まだ分かっていないことがあるので、軽々に論ずることは出来ませんし、いくら豊富な施術経験があると言っても、学術的な統計値があるわけではありません。したがって、断定することは当然出来ませんし、その発言に責任を持つことも出来ません。
その上で、あえて言えば、整体療法を併用したケースの再発率は低くなる印象を持っています。
これは整体自体にガンを治す強力な効果がある、というわけではなく、先の漢方薬に見られるような免疫システムの復元、または損傷を最小限に抑える効果があるからではないかと、思うわけです。
放射線や抗癌剤がガンを叩く、しかし同時に免疫システムも叩いてしまう・・・その部分を補う効果があるのだろうと。
特に自己免疫に応答する種類のガンには有効なようです。
(免疫システムに応答しない種類のガンもあるようですから、事態は複雑なのです)
子宮ガンが数回の施術で手術する前に消えたという症例があるのですが、この場合のガンはおそろしく免疫に応答する種類のものであったのでしょう(子宮ガンはウイルス由来のモノが多いということを考えると、辻褄は合いますね)。
マッサージが交感緊張を生むのに対し、押圧主体の整体は直ちに副交感神経優位に導きます。本来、これは指圧の利点であったものなのですが、業者が温泉やサウナで、健康な顧客の要望に応えるうちに体重移動による強い刺激と早いリズムを身に付けてしまい、失われてしまいました。
これではマッサージと同じで、深い安寧を与えることが出来ず、免疫システムが発動するところまでには至りません。それどころか、血流速を早めて、かえって禁忌となるでしょう。
これがガンには全く効果がないと言われる所以なのです。
しかし逆に、ゆっくり、静かに、深く、痛みを与えず深層に達するような圧を送りますと、述べたように直ちに副交感神経が優位になり免疫システムが稼働し出します。
この効果が抗癌剤や放射線、または手術による激しい免疫システムの損傷を最小限に防ぐことにつながり、結果として、再発リスクが低くなるということなのでしょう。
しかしながら、このような施術は気を使い、施術者にとっては大変であるかもしれません。ましてや、本人同様にいつ再発するか!というリスクに耐えながらの施術になりますので、労多く効少ない仕事になる可能性だってあるわけです。
結局、この分野に言及せず、避けて通るほうが無難といえば無難、賢明といえば賢明ですね。
しかし・・・果たして、それで良いのでしょうか・・・
未だ決めかねている案件の一つです。