百話と言うくらいであるから、百の症例をご紹介するコーナーである。但し、完結まではしばらくかかるだろう。文章を練って、表現するという作業は結構大変なのである。このページを開ける度に新しい項が増えていて、かえってページ訪問者には楽しみがあると思って頂けることを期待し、無謀にも連載することにした。わずかな糧にでもなれば望外の喜びである。
筆者注 2004年くらいにこれを書いている。
第1話(リンパ節切除による強度な下肢のムクミ)
五十台半ばの女性。病名は子宮頸ガンであった。私のところへ来た時には既に、手術によって、子宮、卵巣を全摘していた。
ご承知かと思うが、子宮頸ガンは転移する確率が低く、予後が良好なガンの一つである。しかし、可能性が低いと言っても転移が心配なのは当然の話である。彼女の場合は左そけいリンパ節をまるごと切除していた。転移の可能性を最小限に押さえる為である。さて、手術後、約4ヶ月程で来院してきたのだが、悩みは転移の心配というよりもリンパ節切除によって起きた左足のムクミである。
これは凄かった。これほどの足は見たことがない。右足に比べ、優に2倍ほどはあったろう。当時は足置き台を使わず自分の膝に相手の足を乗せて施術していたのだが、施術が終わった時、彼女の足の重みで急性の膝痛になったくらいである(自分の膝が)。さて、これほどムクんだ足が果たして元にもどるのだろうか。初めての経験である。「もとに戻りますよ」とはとても言えるような状態ではなかった。それ以降、色んな足を見てきたがここまで凄いのはこの人より他にいない。まあ、一週間に一度の通院で様子をみて見ましょう。というのが精一杯であった。
さて、最初の施術ではさしたる変化は見られず、本人も多少ガッカリした様子。このとき、使った技法は特にリンパドレナージュ系の技法ではない。主に押圧系であった。リンパドレナージュもできないことはないが、押圧系の技法は施術が終わった後、8時間~14時間くらいで最も効果が出るものである。つまり、改善効果が持続し、後になって起きる体内の化学変化を期待する技法と言えよう。そう言った意味で私は押圧系を主体にする。それはさておき、一週間後、再来のときが来た。どうなっているか?その日の朝から気になってしょうがないのである。
なんと!元に戻っていた!右足とほとんど変らぬ太さになっていたのである。当然ながら本人も普通に歩けるようになったし、体調もすこぶる良いと大喜びである。本人よりむしろ私のほうが嬉しかったかもしれない。なにせあまり経験がないときであったから、ある種の自信が持てたわけだ。ムクミにはドレナージュという既成の概念への挑戦でもあった。理屈で言えば押圧系(単純推圧)よりもドレナージュ系が功を奏するはずなのだが、この人の場合、単純にムクンデいるのではなく、リンパ節の切除によるもであるから、物理的合理性よりその実体を捉えづらいツボ的効果を狙ったわけだ。それがドンピシャリと当たった。人間というのはたまたま理由も分からず成功するよりも、仮説を立て、自分が思ったように実現することのほうが嬉しいものだ。そう言った意味で印象に残った症例である。
ムクミの話のついでに述べておきたい。普通のムクミの場合はリンパドレナージュを使う。
前述のように私は押圧系を中心とし、あまり使わないのだが、それでも使うときは使う。私が教えた生徒の1人にドレナージュを研究する女性がいて、彼女が開発したドレナージュ技法は中々優れていると思うので紹介したい。彼女は手掌ではなく拳を使う。両手で軽く拳を握りリズミカルにドレナージュするのである。まあ、そのリズムも絶妙なのだが、これがなかなか効果があるようだ。ちょっとかっこ悪いのが難点であるが(なんか猫の手みたいで)手掌の柔らかさや圧迫感が心地良いと信じている者は、足裏揉みに拳を使うのは分かるが、下腿部に拳でドレナージュするなんて聞いただけで取り入れる気がしなくなるだろう。私もそうだった。しかし、結構効くのである。そして案外気持ちが良い。さらにこれを全身に応用したとき、鬱血しているところ(流れが悪くなっているところ)が見事に発赤し、悪い部分が分かるのである。これを見たときはさすがに鳥肌がたった。最初聞いたときは笑って相手にもしなかったのであるが、一つのことを研究した者には耳を傾けねばならないと痛切に思ったものである。だから、今はどんな初心者の意見にも耳を傾ける。そのような習慣を作ってくれた彼女には感謝している。
ついでながらもう一つ。ドレナージュ系と言えば美脚である。所謂、美脚路線という戦略が我々の業態には存在する。ドレナージュが美脚に功を奏するのはムクミがまだリンパ流を持っているうちである。ムクミ、すなわちリンパの滞留はやがて脂肪細胞に吸収され、水分を含んだ太った脂肪細胞に変化する。こうなったときは手技のみで即効性を得るのは難しい。どちらかというとエステ系に分類されるのだが、エステ系ではその場で効果を得さしめねばならない。そうするとそのような状態になった足をその場で目に見えて改善するということができないが故に、評判を呼ばず、路線としては失敗する。脂肪がガンガンついてパンパンに張ってる足を細くするなんて手技のみでやろうとするとえらく時間がかかるのである。
そこでほとんどのエステサロン(痩身を目的とした)は機器を導入する。中周派とか高周波とかである。特に中周派は筋肉を動かし、脂肪燃やす作用が強いようであるが、しかし、人工的な電気が体内の電場を狂わせはしないかという疑念がある。効き目があればあるばど経絡に干渉し、それが数年、数十年のスパンで顕在化してくるのではないか。
東洋医学は数千年に渡る人体実験の結果として今尚、科学的に証明されずとも使われているわけだから、それなりに信用できるものであるが、電気を体内に流すと言う療法は高々数十年である。副作用が出て来るのはずっと先のことではないかと思うのである。痩身のために電気を使うのはやめた方がいいと思うのであるが、それでは商売にならぬというジレンマに陥って入る者も多かろう。
筆者注 なんとも結論のない不思議な論理を展開しているが、手技のみで脂肪を燃焼させるのは不可能である。よって脂肪を燃焼させるには運動が一番良いということを言いたかったわけだ。痩身に電気を使うことは今でもあまり良くないと思っているが、あれから詳しく研究したこともないので、是非についての結論は未だにない。
第2話(膝痛)
膝痛は数限りなく施術している。一つの症例を特定するのは困難なくらいだ。いずれの症例においても功を奏している。リフレクソロジーは膝痛にはよく効くのである。得意分野といってもいいかもしれない。
女性は男性の5倍くらいの確率で膝痛になる。というわけで施術例としては女性が圧倒的に多かった。中年以降の膝痛はほとんど更年期からくる女性ホルモンの枯渇、それにより脱カルシウム現象から軟骨が変形し訴に至るものである。
まあ、とにかく足裏を満遍なく揉み、膝裏もまた丹念に揉み解してあげると、血流が改善し、ある種の復元力が働くらしい。また、突き詰めればホルモンのアンバランスが原因でもあるので、これも同時に改善され効果が持続するのではないかと思っている。
さて、男性の膝痛であるが、実は女性よりも治しづらい。女性に比べ丈夫な膝関節を持ち、ホルモンの関係で脱カルシウム現象も起きづらい。にもかかわらず膝痛を持つということは関節のダメージがかなり進んでいるということだ。
20代の男性が、歩くこともようやくと言う状態で来院した。職業は自衛官。何十キロもの装備を背負い、30キロ~40キロにわたって山谷を越え行軍訓練をするらしい。彼は膝痛を我慢し、訓練に耐えた。それが良くなかったようだ。来た時はもはや膝が痛んでまっすぐ伸ばすこともできず、私の膝に足を乗せることもままならず、ベットを使い、さらに膝の裏に枕を当てねばならぬほどであった。見ただけで膝が変形しているのが分かるし、触った感覚でも相当ダメージされているのが分かった。折角、来たのだから施術はしたが、これは手術が必要ではないかというのが正直なところであった。そして、医者へ行くよう薦めた。
筆者注 このような症例で現在なら医者に行くようアドバイスはしない。当時の技術では限界だったのでそう述べたが、現在、飛躍的に知識、技術が増している。よって、かなり改善させることが出来るケースだ。
民間療法によって、現代医学では治らぬものが劇的に改善する場合もある。だから施術家は一種の自信を持つわけだが、この自信が危険な場合もある。それは、自分の治療技術にこだわるあまり、正規の医療を受けるタイミングを遅らせてしまう可能性があるからだ。
そんな事例をよく見聞きする。どんな病気でも治せると謳っている施術家には注意したほうがよい。連続して改善例があった場合陥りやすい罠である。これは民間療法だけではなく鍼灸などでもそうである。施術家は自戒してほしいものだ。自らの地位を貶める行為になるだけなのだから。
ところで余談だが、彼はこれほどの膝の痛みに耐え訓練を全うした。若しかしたら日本の自衛隊は軍隊として、ほんとは強いんじゃないかと、そのときフト思った。普通なら歩くことさえ出来ぬはずの状態で、装備を背負い、数十キロを踏破したのである。ほとんど拷問に近い苦痛であったろう。治せなかった症例ではあるがなぜか妙に思い出される印象的な例ではある。
ともあれ、中年女性がかかる膝痛にはよく効く。施術家なら是非、挑戦して頂きたいし、一般の方で、膝痛に悩まれている方が回りにいらっしゃれば薦めてみてほしい。
第3話(腰痛)
腰痛は病名ではない。腰痛症という症候群である。その原因で最も多いものが椎間板ヘルニアである。椎間板軟骨が変形し、中にある髄核が飛び出してしまうものだ。そして、それが神経を圧迫し痛みが出る。しかし、経験上、医者が治らぬという者も治せたりしてこの病気は一種の自尊心を満足させる。
ところで何故治るのか?若しくは軽快させ得るのか?
「東洋医学とリフレクソロジー」で少し触れたが、アメリカ人医師、Dr、サーノが「腰痛は怒りである」という本を出版し話題になった。要旨はこうである。耐え難い腰痛を持つ者の腰部レントゲンを撮ると、確かに椎間板が潰れていたりする。ここで当然原因が明らかになるわけだから、治療法として手術なりの選択肢を提示するわけだ。ところが、彼はその臨床経験の中で、レントゲン所見では歩くことさえ苦痛であろうはずの者が苦痛を訴えるどころかテニスさえ楽しんでいるという例に出くわす。逆にレントゲン所見ではさほどの異常がないのに車椅子を使わねばならぬほど強い痛みを訴える者もいるということを知った。
この原因は何か?彼は注意深く、そのような患者を観察し、腰痛の原因は従来言われているような腰椎の器質的な変位によって起きるのではなく、その者が持つ強い怒りが内向することによって起きるとしたわけである。腰椎の変位は痛みを出すキッカケを作るに過ぎないと考えた。まあ一種のトラウマ説である。私が要旨のみを説明すると、そんな結論でいいの?という誤解を生むが、彼の著作はもう少し(といおうか、かなりといおうか)説得力のある事例が提示されている。興味のある方は読んで頂きたい。
東洋医学においては数千年前から心身一如を主張してきた。心の反映として肉体に影響を与え、逆に肉体の変化は心に影響を及ぼすと。東洋医学的見地から言えば、Dr、サーノの説は間違いではない。心の偏重、変調を「怒り」という言葉で代表させたものである。
東洋医学的に言えば、彼の主張は肝―胆の異常から起きた腰痛である。「怒りは肝を傷る」とは東洋医学の原則である。経絡的な変化も当然「怒り」の内向によって惹起せられるわけだから最初に怒りというトラウマがあって、訴に至るのである。
しかし、心の変調は怒りという感情だけではなく不安、恐怖、悲しみ等によっても起きる。
これは腎―膀胱経異常によっても腰痛は起きる、つまり「恐怖」という感情によっても起き得ることを示唆している。(腎―膀胱は恐怖という感情によって傷けられるという原則がる)また、肺―大腸経の異常によっても起き得るのである。(肺―大腸は悲しみ、悲哀という感情によって傷つけられる)
経験上、確かに単純な腰痛はDr、サーノが言うように肝―胆異常(怒りがトラウマになって起きている)が少なくない。しかし、坐骨神経痛に至ってはむしろ怒りではなく「恐怖」が引き金になっている場合も多いのである。つまり。腎―膀胱経の経絡異常である。
40代後半の女性が酷い坐骨神経痛を訴えて来た。彼女は美容院の経営者であった。自身が美容師であるわけではなく、その夫が美容師であって、彼女はその経営管理を任されているわけだ。人も随分雇い、中々規模の大きい美容院経営であるから忙しいらしい。
さて、世間ではよくあることだが、彼女の夫はある程度の成功を収めた後、仕事をしなくなった。経営管理は奥さんがしっかりやってくれるし、美容という仕事も使用人がやるわけだ。どうもその夫は美容師としての技術を高めるという方向性を持たない人のようだ。
それだけならまだいいのであるが、美容院の使用人の1人と仲良くなってしまった(仲良くなるという意味は察して頂きたい)そこで、奥さんの立場である。彼女は美容師ではなく、経理等のマネジメントを引き受けているので、ご主人に捨てられると、自分の切り盛りしてきた美容院を失ってしまう。夫はその仲良くなった美容師を奥さんの後釜に据えたいらしい。そのような状況に置かれた場合、奥さんとしてはどのような感情を抱くであろうか。当然、強い怒りの感情を持つだろう。そんな頃から腰痛が始ったようだ。そして、その腰痛が段々悪化していき、遂には坐骨神経痛になってしまった。経験者なら分かると思うが、坐骨神経痛は酷くなると、「陰湿な痛み」としか表現しようがない実につらいものだ。当然、医者にも行った。医者に行く度、入院、手術を薦められる。しかし、彼女は絶対に入院、手術はしたくないのである。留守しているうちに自分の居場所がなくなることを恐れているわけだ。そのような状況で来院したのであった。
初見で、紛れもなく腎―膀胱経異常が出ていることが分かった。この人は、最初は強い怒りがあったようだが、そのうちそれが、恐れ、恐怖に変っていったのであろう。何度か話しているうち、芯はしっかりしているが、基本的に優しい性格の人であることが分かった。
怒りの感情を長く持てないタイプの人なのである。その頃は、自分の居場所がなくなるという恐怖感のほうが強い状態であることがカウンセリングの中で判明していったわけだ。
腎―膀胱経異常もそれを示している。施術回数を重ねるうち、症状も軽快し出し、明るくなっていった。そしてあるとき、いい意味で吹っ切れたようである。考え方が変ったのがはっきり理解できた。
それ以降、酷い時は車椅子に乗らねばならぬほどの坐骨神経痛がみるみる軽快し、遂には寛解に至ったのである。
心身一如とは心と身体が一体であるというものである。目に見える世界である「肉体」が“陽”であるならば、目に見えぬ「心は“陰”である。“陽”の世界の変化の真因は“陰”の世界にあるとするのが東洋思想である。“陰”の世界である心の変化なくして陽の世界にある肉体の変化はない。結局、病というものは、心の変化なくしては治らないものであるということが分かってきた。心の変化を与えるほどの施術というものが出来たとき、自然に治癒していく。
施術技術によってそれが可能であることも分かった極めて印象深い症例であった。
逆に失敗例も記しておこう。同じような年代の女性で同じく坐骨神経痛である。
経験から甘く見ていた。4~5回の施術で自覚できる改善はあるはずだと。ところがである。全く効果が出ない。普通、時間がかかるものであろうと、施術後の改善感はまず4~5回のうちには必ず出る。それがサッパリなのである。自分でいうのもなんだが、本当に熱心にやった。全知全能を傾けてと言えば、大げさ過ぎるかも知れぬが、何しろ沽券に関わる。まあ、そのような邪念が邪魔したのかも知れぬ。とにかく変化が起きない。ひょっとするとガンの末期で骨髄に転移している為に起きている腰痛ではあるまいか、などと思ったくらいである。(そんな感じもしないし、そうではないことは後で分かった)
自分の施術がここまで相手の身体に無視されるのは初めての経験であった。
働きかけが出来ない。気に反応しない。焦ると益々、良い施術ができないわけだから、今考えると悪循環に陥っていたのである。根本的には最初に軽く、甘く考えていたということだ。その出発点が間違いのもとである。想像以上に歪みが深かった。
そのうち、反応系統も圧反応も読めなくなってしまった。こうなるともうダメである。貴重な時間とお金を使わせて申し訳ない。施術家人生の中で初めてである。「ゴメンなさい、このペースで続けても、私には治せません」と相手に謝った。
私は、このページを読んでいる読者の想像以上に色んな経験をしている。医者から諦めなさいと言われ、仕事が続けられなくなった退職寸前の消防士の腰痛を治し、復職させたこともあるし、ぎっくり腰で動けない人をその日にゴルフをさせるまでにしたこともある。
しかし、そのような経験が逆にアダになることをこの症例で知ったのである。施術者は常に真摯に、そして人の身体というものを決して甘くみてはいけないということを学んだ。頭で知るのと身体で知るのとは大違いである。文字通り、身に染みた症例であった。「初心、忘るるべからず」とは蓋し至言である。
第4話(甲状腺障害)
膝痛、腰痛は整形外科的疾患である。甲状腺は内分泌系であるが、我々のところに来る人達は、様々な部位の疾患を抱えて来る。消化器系や呼吸器系、循環器系、婦人科系、心療内科系、果ては原因が分からないという難病系の方まで。考えてみれば病気の見本市みたいなものだ。来院数こそ少ないが、一種の総合病院並の多彩さである。そしてまたそれぞれに対応できる。何故、対応できるのかというと、人の身体そのものに自然治癒力が備わっているからに他ならない。我々のような自然療法家は、その人の持つ自然治癒力をいかに引き出すかというテーマに取り組んでいるわけだ。その手段として様々な方法があろう。骨格の歪みを治すというのも基本的には自然治癒力の発動を期待するものであるし、そもそも鍼灸、漢方薬の東洋医学は自然治癒力発動医学と言えるものである。私はその方法論として足証療法(リフレパシー)を提唱しているわけだ。最強、最良の療法とまではいわないが、その適応範囲の広さ、安全性、そして効果という面から考えて、他の療法に勝るとも劣らないものと思っている。ある種の人たちには劇的な効果を生み出す。そんな劇的な効果があった例を紹介したい。
40代半ばの女性(この年代、故障が多いですね)。甲状腺機能亢進症とのこと。発症は数年前で、以来、その症状に苦しめられてきたらしい。そして、遂に医者から最後通告を受けてしまった。「一ヶ月以内に手術しないと、どうなっても知りませんよ」と。彼女は通院を続けていたわけだが同じ病気を患い、手術を受けた者とも知り合いになれた。その人達の状態を見ると、手術を受けたくないのである。確かに、甲状腺の切除によって重大な危機からは脱せよう。ところが、その後の服薬等によって体内リズムが崩れ、調子が悪いと訴える人達ばかりなのだ。そのような例を目にした彼女としては、手術だけはどうしても避けたい。ということで何か良い方法がないものかと思案し、知人の薦めで来院となったわけである。
一応の経過を聞き、期限まで何回ほど施術に来れるか聞いた。4回ほどだという。ということは一週間に一度だ。(正直、そんな無茶な!それで手術を免れるほどの改善まで持っていける自信なんかないぞ、と思った)しかし、たっての頼みである。また、ダメ元ともいう。もしそれでダメだったら手術をするというのだ。施術が効を奏さない場合の対処も決まっているわけだ。私は引き受けることにした。
結論から言おう。4回の施術のあと、医者に行った。そして当然検査を受けたのであるが、医者が驚いたそうである。検査数値はほぼ正常。手術の必要なしとのことだった。
足のうらには甲状腺という反射区がある。彼女の場合、そこにはさほどの異常を感じられなかったので、素直に虚実に従って施術した。反射区に忠実に出ている場合もあるし、そうでもない場合もある。足のうらは身体の歪みの投影、つまり鏡みたいなものであるが、必ずしも症状が反射区異常として、現われているわけではない。そこで「東洋医学とリフレクソロジー」で説明したように臓腑陰陽論や五行説によって、反射区異常と実際持っている症状との整合性を図るわけだが、段階が進めば、それさえする必要がない。素直に一番効く部位を特定し重点とすればよいのである。ただ、一番効くという部位を相手の痛みによって判断してはならない。判断材料はあくまで響きである。因みにこの方は肺大腸系、脾胃系であった。ツボが閉じておらず、響きがあるのは幸いであった。
亢進症だけでなく低下症にも効を奏する。20代前半の女性。この人は高校生のときからこの病気に悩まされ、遂には中退せざるを得ない状況に追い込まれた。
病気はどんなものでも辛いものだが、この病気もまた特有の倦怠感、そして気力の不足を呼び、外界との交流を避けたくなるという、特に若い人には若さの象徴である生命の躍動感がなくなり、絶望的な心境になるらしい。高校時代から服薬しており、それでも中々コントールできず、気分の変動が激しい、一種の躁鬱的な症状を呈していた。
残念ながら完治に至らせることはできなかった。しかし、術後、一週間はとても快調であるという。まるで病気をする前に戻ったかのような体調の良さがあるとのこと。このときは2週に一度の施術であったが、せめて一週間に一度、贅沢言えば、1週間に2度来てくれればと思う。しかし、この療法は保険が利かない。日本は国民皆保険制度を取り入れているので医者に行くのが一番安く上がる。同じ先進国でもアメリカなどはバカ高い保険料を支払わねばならず、保険に入れぬ者も多いと聞く。その結果、我々のような代替医療のほうがむしろ安上がりになって、利用する者が多いらしい。一説によると年間5000万人が利用するという。
逆にいうと、日本においてはある程度、余裕がある人でないと来院してはくれない。金銭的な理由で定期的に来院してくれず、彼女のような例がかなりある。残念でたまらない。かといって、1回の施術料が千円とかでは生活が成り立たず、もうこの仕事はボランティアが一番いいということになってしまうが、それでは全く腕が上がらない(上達しない)。お金を取るプロだからこそ、自分の技量に悩み、苦しむ。だから向上できる。難しいところではある。
第5話(ひどい肩コリ)
肩コリは病気ではない。(東洋医学的には未病というリッパな病気の一つではあるが・・・)
さて、だれでも(というと語弊があるが)もっている肩コリを何故取り上げるのか?
実は非常に印象深い2つの例がある。
成功例と失敗例であるが、この連載では失敗例も煩瑣に採り上げるつもりである。普通、施術家は成功例のみを喧伝し、自分の療術の優秀さをアピールする。しかし、神様でもない限り、100%の治癒率というのは有り得ない。あのフルフォード博士(オステオパシーの伝説的ヒーラー)でさえ、治せなかった例がいくらでもある。
勿論、自分の技量の未熟さによって治せなかったと思われる場合はそのように、素直に心情を吐露していきたいと思う。
さて、成功例から。
60代の上品な感じのする主婦の方であった。道理で、ご主人は内科開業医(お金持ち?)であるとのこと。さすがに、内科医であっても奥方の肩コリを治す手段を持たぬらしい。
この人の肩コリは酷かった。どれくらいかというと、まず、一週間に一度必ず温泉に行く。温泉に着くと、すぐにマッサージにかかる。時間は一時間程とのこと。それからゆっくり温泉につかり、身体をほぐす。凄いのはここからである。ゆっくり温泉につかった後、すぐにまたダブル(2時間)のマッサージにかかるというのである。つまり、その日は温泉に入るのに前後して3時間のマッサージを受けるのである。これを一週間に一度必ず行う。そうしないとコリでどうしょうもなくなるというのである。こんな話はあまり聞いたことがない。まあ、お金があるからできるのであろうが。
さて、足証療法の特徴の一つは、足部按圧によって全身のツボが開くというものである。彼女はまだ、本当に身体を緩ませる足部療法を受けたことがないのが幸いであった。
ゆっくりと足底部から圧を浸透させていくと、少しづづ身体が緩んでいくのが分かった。そして、足部の施術が終わった直後、身体がかなり楽になっているので本人が驚いていた。さらにここで帰しては勿体無い。折角、身体が緩み、ツボが開いているのである。彼女の苦しいと訴える部位(肩甲骨周り)を伝統的な押圧技法によって、施術してあげた。足部施術も入れて全部で90分程である。さて、その結果は?(成功例から話しているので察しがつくと思うが)
施術が終わった後、信じられないような顔つきで言った。温泉に入って、3時間のマッサージを受けたよりも楽になったというのである。そして、翌日も来た。「昨夜のように身体が楽になり、ゆっくり眠れたのは何十年ぶりかしら!」とわざわざ報告するためである。まもなく、私は故郷に帰らなければならない(当時、私はさすらいの施術者であった。売れない芸人みたいだなぁ~)その旨話すと、とても残念がっていた。
コリを取ろうと、力ずくで押しても、揉んでも身体は余計に硬くなる。そして、最終的には常識では考えられないような力を要求するようになる。いわゆるマッサージジャンキー化するわけだ。事実、彼女の場合も、彼女の要求する力に応えられる施術者は、行きつけの温泉には1人しかいないという。私はほとんど力は入れないし、無理な押圧はしない。それが彼女に分かるらしい。だから、余計驚いていたわけだ。
この例はうまくいった例であるが、マッサージなり指圧なりを受け続けた人には実際、苦労させられる。ツボが潰れているのである(感受性が鈍くなっているということ)。
さらに足裏を棒などでガリガリ擦ったりする体験を持つ人は最悪である。力を強くすれば満足感なり、爽快感なりを与えることはできるが、そうすると益々、ツボが潰れる。体力があるうちはその人の持つホメオスタシス(身体維持機能)で誤魔化せるが、弱って病気になった場合、対処法がなくなるのである。ツボが鈍感になるというのは間違いなく寿命短縮作用があるのだ。だから、強い押圧ではなく深い押圧をすべきだと提唱しているが、理解している人は少ない。彼女の場合、確かに体幹部のツボは潰れていたが、足裏は開いていた。それが幸いしたのである。
失敗例を記そう。前の例より随分過去の話である。50代前半の男性。この人は実業家で、大変な成功を収めていた。当時、多少のコリを持つ者に対しては、そこそこ満足させ得ていたし、誉められもしていた。いわば天狗になりかけていた時期であった。そして、技法的にはまだ力に頼っていた時期でもあった。
昔、クイックマッサージというのが流行ったことはご存知であろうか。ベッドではなくうつ伏せに座らせる椅子を使うものである。その人は実業家であるから忙しいらしく、あまり時間がないという。そして、酷いコリ症だと訴えた。足揉みも大好きだが、今は肩を揉んで貰いたいということだ。足を押圧しないで肩だけ揉んでもあまり長く効果は続かない(だからクイックマッサージは廃れた)。それを知りつつも、引き受けた。クイックマッサージ用の椅子によってである。さて、その人の身体であるが、まるでコンクリートのような硬さである。全く指が入っていかない。そこで、力を込めた。ところが力を込めれば込めるほど反発されるのだ。今ならその理由も分かるが、その当時はとにかく、反発されればその反発を封じ込められる程の力を持てばいいと思っていた。ところが全く通じない。反発されたまま、施術が終わってしまった。明らかに不満足な様子である。こういうときほど、施術家として情けないものはない。完全に施術家として軽蔑されてしまったのである。失敗例とはこのことではない。まだ、続きがあるのである。実はその日の内に今度は若い女性を施術する機会があった。その女性は体格もよく、それなりに身体も硬かったのである。そこで先ほどの男性のことが頭をよぎり、今度は失敗すまいと思って最初から強圧したわけだ。大失敗だった。
その女性の肩甲骨のスジを傷めてしまったのである。人の身体の感受性は様々である。刺激閾も違う。このときの体験から、押圧とは何かということを本気で考えるようになった。天狗になりかけ、そこそこできるなどと思っていた自分が恥ずかしくなった。自己満足と自己陶酔の世界から別れを告げる記念すべき失敗例ではあっが、以後、押圧の本質というものを求める険しくも困難な旅立ちの日でもあったのである。
第6話(ED)
施術百話は、特に1話ごとのテーマが決められているものではないし、締め切りがあるものでもない。パソコンの前に座り、思いつくままに文字を打っていく。というわけで、西洋医学的な系統など全く無視したテーマが順番となっている。整形外科的な疾患が続いたと思ったら、いきなり、甲状腺疾患がテーマになったりするわけだ。かと思うと、病気とは言えない、肩コリがテーマになるという、HP訪問者からすれば、何とも不思議な順番で並んでいるな、という感想を持たれるだろう。
いずれ、この連載も終わりになろう(いつになるか全く予想できないが)。その時、系統別に並べ替えるかも知れないが、現状ではこのスタイルでいくことをご了承願いたい。
さて、今回はEDである。読者から要望もあった。
ED、一昔前はインポテンツと言ったものだ。現在はあまりにも思いやりのない言葉だということでED(勃起不全)と言うことになっている。(確かにインポテンツは不能者という意味であるから、思いやりがないどころか差別語に等しい)
もともと、足への施術は、中国では性的な魅力を高めるという意味合いがあった。つまり、回春作用を期待するもので、そして、実際に効果があるのである。これは男性、女性を問わない。不老長寿とは性的能力を如何に維持するかということでもある。いやらしいなどと思わないで頂きたい。性欲のあるうちは、人は老いない。見かけ上の老け具合も違うだろう。そこで、セックスを健康法として体系化した医書もあるのである。(医心方、第28巻、房内)この書などをみると、よくもまあ、ここまで微に入り、細に入り記述しているなと思う。そして、古代中国人のあくなき探究心には脅かされる。
それはさて置き、老化による勃起不全にはよく効く。中国で、民間療法として実践されてきただけのことはある。私の経験はほとんど、副次的効果のもので、勃起不全自体を治してもらいたいということで来た人は少ない。これは当然であろう。こういうものは中々、言葉に出して相談しづらいものだ。特に中高年は自然の摂理と諦めている人も多いからである。一抹の寂しさを感じながら。(現在はED専門外来を持つ病院も増えてきているようである)
60代の後半の商店経営者が、膝と腰が痛いといって来院してきた。施術を継続する中で、膝と腰の方はかなり良くなったのであるが、あるとき、小声で、あたりをはばかるような態度でソッと打ち明けた。「先生、実はね、足揉みをやってもらってからね、朝がね!凄いんですよ」最初、なんのことだかよく分からず、キョトンとしてしまった。すると、その人はジレッタそうに、「これですよ!これ!」といって、自分の腕を九の字に曲げて、前腕を何度も上下させて見せた。それで、やっと了解したわけである。所謂、「朝立ち」現象というやつである。その人は大変に喜んでいた。この喜びは、女性には分かりづらいことかもしれない。男として威厳を取り戻せたようなそんな気がするのだろう。私もそろそろ、その人の気持ちが分かりかける年代になり始めている(まだ小僧のくせして生意気言うな!と年配者に怒られかも知れぬが)。
いずれにせよ、それ以降、それに類する話を聞かされたことは一度や二度ではなかった。
EDの原因は大きく二つに分けられる。器質的なものと、心因性のものとにである。勿論、複合型もあるかも知れない。勃起という現象はそもそも、陰茎にある海綿体という組織に血液が流れ込み、いわば充血させて起きる現象である。これは腎臓機能の低下や動脈硬化、糖尿病などによっても機能不全になる可能性が高い。これが器質的な要因というわけだ。足揉みはそれぞれの症状を改善させ得るので、副次的な効果はこの辺から出ているのかも知れぬ。恐らくは血流の改善が一番の要因であろう。或いは脳への反射刺激がホルモン分泌に影響を与えるのか・・・
さて、真性ED(この言葉はちょっと変であるが、全く勃起しない状態と思って頂きたい)の人を診たことがある。これそのものが悩みであり、この状態を改善したいという珍しい例であった。まだ、30歳になったばかりでの青年である。聞けば、性行為は全く出来ないとのこと。深刻なのは、後継ぎが出来ないということだ(当然だ)。奥さんのお父さんの事業を継ぐために、婿入りしたものらしく、その人自体は優秀で、充分期待に応えていただろう。しかし、性行為が出来なくて、子供が出来ないというのは立場上、複雑なものがあると思う。勿論、器質的変位は全くないという病院のお墨付きを貰っていた。ということは完全な心因性のものだ。ちょっと、これは分野が違うのではないかと思ったが、引き受けることにした。何事も経験である。2~3回の施術後、奥さんから電話があった。その口調は明らかに不満を訴えている。当時、私も若くて未熟ではあったが、バカではない。その奥さんの口調、語勢から、その人の家庭内の様子がどのようなものであるかピンとくるくらいの感性は持っているつもりだ。このとき、直感した。私には治せないと・・これはご夫婦で専門医にカウンセリングを受けたほうがよい
のではないか。
今から考えれば、諦めが早すぎた感も否めないが、このまま続けても、お互いストレスが溜まる。保険も利かない民間療法を続けているのにまだ、役に立たないの!という責めるような言葉が、ご主人のトラウマをさらに深めていく。つまり、施術を受けていること自体がプレッシャーとなってマイナスになる。こうなると、どんな療法でもマイナス効果しか生まないであろう。むしろ奥方に対するカウンセリングの方が必要な位である。良き専門医を探すことを薦め、私の施術は数回で終わりにした。人とはかくも多様で繊細なものであるか?東洋医学への関心が芽生えた印象的症例ではあるが、ほろ苦い思い出となって、未だ胸に燻っている。
第7話(手の痛み)
代表的なものでは、手根関節炎やバネ指、突き指などがあろう。
このように手に症状が出ていて、それを足部刺激で治そうとする発想自体が東洋医学的と言っても良いだろう。何故、足を揉んで、手の症状が改善されるのか?
足部反射療法では相対応反射という理論付けをしている。読者には足揉みを専門的に習ったことがない人もいると思うので、この理論を簡単に説明したい。
要するに手と足は同じような部位にお互いに反射が起きるとした理論である。例えば、右足首と右手首は対応関係にあり、右足首を入念にマッサージなりすれば、当然右足首の血行がよくなる。そしてそれが右の手首に触らずとも当該箇所においてそっくり再現されるというものだ。この反射関係を四肢における相対応理論というわけだ。
私は、この理論に実感が持てない。仮に反射が起きたとしてもそれはごく弱いものではなかろうか。むしろ経絡反応ではないだろうか、と。最近ばね指の方を施術して改めてそう思うに至ったのである。そのことを含めご紹介したい。
左手親指がバネ指で曲がらない状態で来院された。私もバネ指は経験があるのでその不便さと不快さはよく分かる。足部での反応の強いところは足心点であった。足心点は腹部丹田との関係が深く、古典では「気の呼吸」を行う重要な箇所としている。(最近はこの部分が潰れている人が多い。つまり歪みが深い人が多いのである)
この方は強い有痛反応があった。一般に初期の頃、足揉みを習った人達は「痛いところが悪いところ、痛くなくなるまで揉みまくろう!」などと教わった記憶があるかもしれない。
ある意味当たっていないこともないが、もう少し認識を深くすべきである。有痛反応のあるところはむしろツボが生きている。足心点の有痛反応が強いからといって、グリグリと擦るような施術をしてはせっかくの生きたツボを殺してしまう。(ツボが閉じる)
そこで、多少の痛みは我慢しては貰うが、響きが痛みによってかき消されないような力で深く按じた。そうすると、はやり腹部に響くようであった。グルグルとお腹が動き、かつ腹部の中が熱くなりそこから外へ向かって何かが発散していく感覚を持ったようだ。
その方は特に経絡反応がよくでる体質の持ち主である。初回からそこまでの感覚を持つ人は少ない。しかし経絡反応が起きやすい人は改善も早いのである。足心点を中心に足揉みをした結果、もう曲がらない指が曲がるようになった。
その後は全身調整と、手の肺経の按圧で、感覚的には80%位治った感じがするというところまで来た(一回の施術で)
相対応反射理論では手の親指の付け根を治そうとすれば、施術ポイントは足の拇趾の付け根ということになるのであるが、それほど単純なものではないのである。
では、すべてのバネ指の人は足心点が功を奏するかというとこれも人によって違う。
経絡治療とは仮に同じような症状でも歪んでいる経絡の種類によって、抑えるべきポイントが違うわけだ。そのようなことは周知の事実として認識している読者も多かろう。問題は足と手に来ている経絡は同一のものがなく、経絡的な判断を足部で行うと全身をカバー出来ないだろうという意見があることである。
これについては既に増永静人師が全身12経を発見したことで解決しているし、観点はちょっと違うが、例えば、胆経の押圧によって小腸経へ響きが起きる場合もある。これは経絡が損傷伝導系であるとの説を裏付けるものだ。したがって、全身12経を持ち出さなくとも全身に影響を与え得る根拠となるだろう。
さて足心点は気の呼吸を行い、臍下丹田への影響が顕著であると述べた。ということは腎経と関係が深いと言える。しかし、臨床経験上、足心点は腎経ばかりか、全ての経絡を統べている箇所ではないかと思うに至った。頭頂部に「百会」というツボがあるが、百脈の集まる(出会う)ところと言う意味で付けられた名だそうだ。足心は足部における百会みたいな存在ではないだろうか。足心という言葉自体は江戸時代の禅僧、白穏によって初めて付けられたもので、中国古典にはない。これは中国医学が湯液分野は別にして鍼術のために体系化されてきた歴史を持つためであろう。足心点は鍼には向かない場所であるし、お灸もしづらい。手技法こそがこの部分を充分に刺激し得るのである。しかし、ここの按圧は相手をうつ伏せし、床(ベッド)で足の甲側を支え、押圧しても角度がつくためと、足甲が床(ベッド)で潰れていくために上手く足心点の底には届かないものだ。
そこで技法的な工夫が必要となり、それを行い得た者がいないのである。
充分に深く、充分に長く圧を安定させる技法が要求される。それを行い得た時、はじめて足心点の真価を得られるだろう。
第8話(糖尿病)
足心の話が出たついでに、糖尿病との関連について述べておきたい。
朝日新聞社の記者が自らの体験をもとに「糖尿列島」という本を出版したのは10年程前だったろうか。この類の本としては名著の誉れが高く、実際参考になった。それによると、現在(10年前から)、日本人の10人に1人は糖尿病、若しくは高血糖だそうだ。ということは1千万人を超える患者(潜在的患者も含めて)がいるということになる。
糖尿病とは何か?とか、そんなことをここで説明しても仕方がない。要するに何らかの原因で糖が細胞に吸収されづらくなり、血液中に糖分が残留する形で、血糖値が高くなる病気のことである。これは血管をダメージさせる。血管がダメージされれば、脳卒中や心筋梗塞、腎臓病が合併症として起きやすい。要するに寿命が短縮される確率が高いのである。
それ故、血糖値のコントロールが絶対に必要な病気ということだ。
さて、糖尿病は数多くの方の施術経験がある。
足揉みはわりと血糖値を下げ得る療法ではなかろうか。実際、劇的に下がった例が数多くある。しかし、完治は無理であろう。下がったからと言って、またもとの不摂生な生活に戻れば、血糖値は跳ね上がる。一生付き合っていかねばならない病気の一つではある。
このような例があった。
ある外資系日本法人の社長。社長になってから20年、休日以外自宅で食事をしたことがないという。米国本社の役員との会食、業界人や政治家との会合、部下との会食・・・昼の仕事もさることながら、夜の会食が仕事みたいなものだと言っていた。
そんなことを20年も続けていたらどうなるか。当然、身体にガタが来るだろう。その方は糖尿病が発現しやすい体質であったようだ。あまりに疲れやすく、異常を感じたので医者に診てもらうと、なんと血糖値が300を超えていた。総コレステロール値は500近くあったのである。このままだと当然危ないではないか。モロに血管系の病気で倒れる可能性が高い。
この方の経営している会社自体は頑張りの甲斐があって、文句のつけようがないほど業績がよかったようである。もう20年も社長をやっているので後進に道を譲り、自分は家族と共に田舎で引退生活を楽しもうと決断した矢先のことであったそうだ。
冒頭に足心点の関連で・・と述べたが、実はこの方も足心点が最も反応する箇所であったのである。しかも、腹部どころか「頭のテッペンまで響く」と言う。足裏から体幹を通って頭頂まで突き抜けていく・・もうこれ以上施術としてやることはない。経験から言ってこのような方は改善が早い。従って、改善は早いという旨を告げた。
結論から言えば、数回の施術で検査数値が正常値に戻った。勿論、摂生もしたようだ。経営している会社を優良企業に育て上げ、その間多くの苦難に打ち勝ってきた人である。克己心は並ではなかろう。夜の会食をキャンセルすることなく、工夫し(食べ過ぎないように、アルコールを飲まないように)、食のパターンを変える努力もしたそうである。そして、無事引退するまで、体調を維持しておられた。念願であった田舎での引退生活をするまで、十数回の施術を行ったが、正常値をずっと維持されていた。
因みにこの方はインスリンも血糖降下剤も投与しなかった。足揉みと摂生によって維持したのである。今も都会の喧騒から距離を置き、田舎で元気に第二の人生を送っているに違いない。
さて、前出のバネ指もこの方の糖尿も同じ足心点が施術ポイントとなっている。西洋医学的には全く考えられない。まるで違う病気で同じ治療法とは。ましてやバネ指と糖尿は病の形態としては違い過ぎる。診る科さえも違うのである。にもかかわらず、同じ足心点で著効を得ている。勿論、バネ指の項でも述べたが、すべての糖尿に足心点が功を奏するわけではない。人によって違うわけだ。これらの現象をひっくるめて、東洋医学では「異病同治」、「同病異治」という。基本的に東洋医学は病名診断を必要としない。身体の歪みを問題とするわけだ。100人いたら100通りの、1000人いたら1000通りの歪み方がある。しかしそのような無制限な歪み方を相手としていたら、煩雑になり過ぎて治療法を確定できない。
そこで、歪み方をある類型に分類する。つまりパターン化するのである。そのパターン化されたタイプ別体質(歪み方)を証というわけだ。
足部療法において、足心点が功を奏するタイプの人は「足心の証」とも言えるわけで、それは病名が何々だから、という判断ではなくなる。
この百話で病名、若しくは症状を単位として取り上げているが、これは一般の人に分かりやすくするためであって、本来は証ごとに取り上げるべきものであろうと思う。しかし、それは無理というものである。だれも理解してくれなくなるからだ。証についてはまた、雑感で述べたいと思う。
いずれにしても、足心点が功を奏する(体幹へ響く)タイプの人はどのような病名がついていたとしても著効を得やすいのである。しかし、完治するかどうかはまた別の話である。
第9話(九州一、身体が硬いと言われた女性)
「あなたは日本一とまでは言わないが、少なくとも九州で一番身体が硬い人だ!」とある指圧師に言われたことがあるそうだ。年齢は50代半ば、4回の開腹手術(卵巣摘出等)の既往歴がある女性である。他所でも指圧等に行くたびに「あなたほど硬くて揉みづらい身体の人はみたことない」と何度言われたことかと、言っていた。
九州在住の方だが、たまたま仕事で東京に出張され、知人の強い薦めで来院された。主訴はとにかく酷いコリで、腕さえ自由に動かせないほどだという。常に身体が重く、常にだるさもあって調子の良いときがないし、このつらさはだれにも分かって貰えないという。
第五話で紹介した「酷い肩コリ」の女性も凄かったが、この方もさすが「九州一?」である。凄いの一言。それ以外の表現方法を知らない。コリが足部まで及んでいて、纏足(てんそく)をかけたような足底と、足甲までシワ取りの整形手術を受けたかのような不自然な皮膚のツッパリさえある。人の身体のような感じがしないのである。サイボーグみたいだ。
しかも、以前は指圧等にはよく行っていて、ツボが潰れている(今はあまり効かないので行ってないとのこと)
“こりゃ、難敵だ・・どうしようか・・”正直なところそんな感想を持ったものである。
しかし、第五話の女性と同じように強くコスルような足揉みは受けたことがないとのこと。そこに一縷の望みを繋いだ。如何に足底まで硬くなっていようと人工的な刺激によらないかぎり、自然に足底のツボまで潰れることは考えづらい。足裏バージンということだ。
セオリー通り、足甲側の楔状骨を中心にまず緩めた(通称フネフネという技法だが、クネクネとフニャフニャの合成語だと思う。技法そのものは私の発案だが、命名は私ではない、多分生徒さんだと思う―足を揉む前に足底筋を緩めるのには最適な技法である。医学的な香りがしない技法の名称ではあるが、受けてみるとまさにフネフネという感じで気に入っている名だ)。
するとかなり足底が緩み始めた。“これはイケルな”という感じがした。足部、特に足心が開けば、身体全体が緩み、身体全体のツボが開く。そうすれば、いかに「九州一」であろうと、整体でコリを取ることができる。これは足揉み師の特権であろう。他の療術に優っているところがあるとすれば、まさにこの一点なのである。身体にはこのような特性があるのに、一般の足揉み屋さんはそのことに気づいてない。宝の持ち腐れだと思う。それどころか、業者がツボを潰している場合さえある。身体が硬いよりも何よりもそのような人が来るのが一番困る。幸いこの人は大丈夫だ。さて、足裏がかなり緩んだあと、足心からいきなりやるか、それとも少陰区若しくは太陽区から押すか、ちょっと迷った。足心からやって圧度を失敗すれば、ツボが奥へ逃げる。また、いきなりだと防衛の為、表面が緊張するかもしれない。この人の場合、そう毎度は来れないであろうから、失敗は許されない。どうしたものか?やはり大事をとって少陰区からやろう―文章にすれば長ったらしいがほとんど一瞬の判断である。少陰に充分な圧を加え、安定させた。手応えありである。さらに太陽区に同じような操作を加えた。そして初めて足心への押圧。どうであろうか。微妙に抵抗していたが、最後、受け入れてくれた。成功である。最初の5分で施術の良否は決まるものである。この時点までで手応えがあればあとの施術は楽でしょうがない。下腿部経絡4ライン、特に、開腹手術を行っているのとコリ症であることから、小腸経(血流)と三焦経(腹膜)を重点に行った。両足で約50分。足の施術が終わった旨告げたところ、「わぁー驚いた。肩が楽になっている!」とのこと。案の定、手応え通りであった。
さて、残り40分で整体をやらねばならない。ここで有頂天になっては失敗する(何度失敗したことか)。施術者はお客様が玄関の戸を閉めるまで気を緩めてはならない所以でもある。足部への施術が成功したわけだから、硬く閉ざされていた身体のツボは開き始めているのは間違いない。これまたセオリー通り、頭部のツボを軽く押圧し、緩ませることにした。あまり時間はかけられないが、ここをやっておくと、施術の効果が長持ちする。また強い瞑眩反応を防ぐという意味合いもある。特に「百会」の気の呼吸を図ることは言わずもがなでもあろう。さらに前頸部、胸部、股関節の外側へと操作を移していった。
面白いことにこの方、足の施術の時はおとなしかったのであるが、整体に移ってからは「わぁー凄い!」とか「効くぅ~」とか「気持ちいっっ~」とかの連発であった。要するに響いているのである。わずか40分の間に50回以上は言ったであろう。こういう人も珍しいが、それだけツボが拘束され、邪気が解放されることが長い間なかったのである。「だれもこのつらさは分かってくれない」という意味がよく分かる。時には唸るように、時には雄叫びのように声を発していた。前頸部の操作の場合、響くといっても普通は前腕までか手の指先くらいまでであろう。ところが、この人は頸部から足の指先まで来るという。あまりに気の滞りがきつくて、足部操作によりルートが開通し、それが一気に流れたのである。これがツボが開くという典型だ。私が意図するところのものなのである。
「先生、手だけで?手だけでやっているの?」私が何か電気を流すような装置を隠しもっているのではないかと思ったものらしい。「勿論、手だけですよ」といったら「信じられない!こんなの初めて・・」ほんとに手だけでやっているのかと疑われたことは何度かある。
これは、足底部のツボを開かせた結果、響きがおきやすい為であるから、足揉みの世界にいてよかったと思う瞬間でもある。他の療術家では中々味わえない喜びではなかろうか。
さて、ちょうど90分の施術のあと、その人は別人のようになった。文字通り“別人”である。眉間の縦皺が取れ、なんとも言えないおだやかな顔つきになったのである。施術前よりも10歳は若返っていた(ちょっとオーバーかな、しかし少なくとも私はそう感じた)。女性は化粧でも衣服でも誤魔化せない内面の美しさというものがにじみ出ることがある。それは生命の輝きともいうべきものであって、少なくとも、疲れを溜めている状態では出ないであろう。
この療法は究極の美容術でもあると思うが、どうであろうか。(大変失礼ではあるが、この方の施術前は中年の女性というよりも疲れきった老婆という感じがした。術後、美人に変身したのである。まるでテレビ番組でよくやる整形前と整形後の違いみたいだった)
かくして九州一?身体の硬い女性は深い満足感を漂わせながら、再会を約して九州へ帰られた。その内、四国一とか北陸一、関東一という方も来られるかも知れない。しかし、足底、特に足心が閉じていなければ大丈夫だ。日本一でも世界一でも・・・足心さえ閉じていなければ・・・(足心を閉じさせる業者は万死に値するぞ!)
第10話(月経困難症)
久しぶりの更新である。先日、雑感(12)の更新をしようと文を書き出して驚いた。なんと文章が書けないのである。もともと文章は得意でもないし、早いほうでもない。それでも何とかかんとかつらい思いをしながら書いていたものだが、しばらく多忙に紛れ、書かないでいたら全く書けなくなくなっていた。ウデが鈍るという程の文章のウデはないが、書かないでいると間違いなく退化するものなんだなぁ~と改めて実感した次第である。
これは施術にも言える。私の場合、文を書くのは余技みたいなものだが、施術は専門だ。しかも、身体に染み込んでいるはずの動作でもある。ところが、しばらく施術を離れると、ホントにカンが狂う。以前、リフレクソロジーの某学院で教えていたことがあるが、そのときは教えることと、総務的仕事が主になり、現場で施術する機会がほとんどない状態であった。辞める一年位前では教えることさえ少なくなった。それから、また自分で独立し施術することになったのであるが、カンを取り戻すのに2年はかかってしまった。
ある芸能の世界での格言である。
「練習を3日休めば、観客にも分かる(芸が衰えていることが)。2日休めば観客には分からないが専門家の目は誤魔化せない。1日休んだら、観客にも専門家にも分からないが自分自身には分かる」と。有名な格言なのでご存知の方も多いだろう。
元に戻るには休んだ日数の倍はかかるという―実感である。
さて、前置きが長くなってしまった。ただでさえ拙い文章であるが、ここは専門外であるということでご容赦願ってしばらくお付き合い願いたい。
生理痛や生理不順等、婦人科系に足揉みはよく合う。内膜症であったとしてもそれがよほど酷くなければ改善される。足揉みは本当に便利だ。勿論、足だけで、すべての人に有効というわけではない。今回は雑感(12)で折角、フルフォード流オステオパシーに触れているのでそれに関連する症例を一つ。
40歳過ぎの方で生理痛が酷いという。痛みが絶頂のときは、お腹を押さえたままうずくまり、一歩も動くことができない。加えて消化器系の不快感も半端ではないくらいあるという。要するに一番痛いときは何処が痛いのか分からなくなるくらい、お腹全体が痛いとのことだ。生理痛が上腹部に及ぶという珍しい例である。
さて、足を精査しても、確かに子宮の反射区近辺には有痛反応が見られるが、その他は特に問題とすべきところがない。足心も閉じているとは思えない。そこで、頭を触ってみた。驚いたことに全く動きが感じられないのである。フルフォード博士がいうところの“ブランク”状態である。また、前頸部その他の響きも極めて弱い。聞くところによると、最近仕事を始めてから、このような症状になったとのこと。明らかにストレスによるものだ。非常に強いストレスが頭蓋骨の動きを止めたのであろう。足だけでも改善されるだろうが、時間がかかることが予想される。次の生理が来た時には改善されているという状態を作りたかった。
足は子宮の反射区近辺を中心に(仙尾骨も含む)施術し、頭部の施術に重点をおいた。頭部はすぐに動き出した。これである種の確信を得たわけだ。次の生理には改善されていると・・その旨話して生理が来るまで数回の施術を行ったが、案の定、症状は極めて軽く、ほとんど出なかったと言っても良いレベルになった。
人の身体は本当に面白い。なんの関係もなさそうな部位の操作でこのような結果を生むこと度々である。ただし、オーダーメードである。その人の弱点(東洋医学的には虚実というが)を見つけ、その部分を重点とする。ところがそれが中々難しいわけだ。また、見つけられたとしても、歪みがあまりに深く、改善に時間がかかる場合も多々ある。
苦しくも楽しい施術家業というわけだ。
現場で常にこういう状態に直面し、悩み苦しみ、そして喜ぶ。
整体、リフレ学校花盛りだが、人の身体は時代とともに変化し、証が変わる。その最先端に身を置くことによって、人に教えることができるのではないか・・“なんちゃって講師”が多すぎるような気がするが・・宣伝のうまい者が勝つという資本主義社会であるから止むを得ないのか。最後、愚痴になってしまった。やっぱり文章のカンが狂っている。
第11話(心臓神経症)
私のHP連載の中では、この百話が一番人気があるらしい。あまり、知られているHPでもなく、限られた人達によって支持されているのだが、それでも楽しみにしている人がいるということは嬉しいことだ。しかし、書くほうとしては百話が一番難しい。細かい部分では、記憶違いもあるだろうし、なにより一つの症例を読み物として仕上げるというのは、私如き文章力では力不足である。既にここまで、原稿用紙(400字詰)換算70枚を軽く超えているが、読み返してみると、表現力が乏しすぎる。そう感じてしまったら書く元気が全く出ないものだ。人は理性より感情や気分に支配されるものである。
それにもメゲズ、また続けよう。自身を鼓舞するしかない。楽しみにしている人が1人でもいる限り・・・
40歳男性、主訴は左肩から胸にかけての疼痛とのこと。つまり、自覚的には心臓に異常を感じるというのである。当然、場所が場所だけに医者に行った。検査の結果、不整脈は見られるものの、すぐに治療を要するようなものではないとのこと。要するに、原因が分からないということだ。
この方の場合、典型的な首の異常から来る症状である。首から出ている迷走神経が圧迫され、不整脈として現れる。疼痛はコリの限界を超えているためである。実はこのような人が非常に多くなってきた。コリを放置しておくと、あまり感じなくなる。それは感じなくなっているだけで、治っているわけではない。やがて、もっと強いシグナルが現われる。その強いシグナルの一つがこの方のような症状なのである。さらに放置しておくと、本当に心臓がダメージされる。本来、非常に強い臓器である心臓がこのような形で弱り、寿命が縮む。なんと勿体無い話ではないか。
幸い、この方は早い時期に来て頂いたお蔭で一度の施術で疼痛が取れた。心臓に対する不安感もなくなったようだ。施術そのものはスタンダードなものである。足部施術で身体を緩ませ、首を重点として行った。勿論、頭蓋の微細な動きも回復させたわけだが、さほど時間はかけていない。60分コースで充分であった。このように来院するタイミングによっては時間もかからず、一度の施術で功を奏する。しかし、症状は取れても、長年溜めてきたコリ(邪気)である。オーバーホールするまでには至らない。しかも、日々の生活でストレスを溜めているわけだ。とりあえず、あと少し通ってもらうこととした。
西洋医学の目覚しい進歩によって、症状を劇的に抑えることができるようになった。その恩恵を受けているお蔭で、平均寿命も延びたわけだ。しかし、症状と原因は全く別のところにあったりする。このような場合、西洋医学的には原因不明、若しくは神経症と診断される。我々は法的には医療者ではないが、大事に至る前に来られれば、その原因を突き止め、除去することが可能だ。折角やるのだから、その原因がどこからきているのか、考えてながら施術することが重要だと思う。そういう考え方が広まれば、所謂、代替医療としての価値が認められるのではないだろうか。
代替、相補という言葉を使っている団体もあるが、相補とはいい言葉だと思う。相補うという意味であるから、西洋医学で不得意な分野を受け持ち、東洋医学やホリスティック医療で不得意な分野を西洋医学が受け持つ。文字通り、相補うわけだ。この考え方が広まれば、どれだけ多くの人が恩恵を受けることになるか。法的整備を含めて、国家百年の大計であろう。国民の生命、財産を守ることが国の役割なのだから。
心臓神経症から国家百年の大計にまで話が飛んでしまった。要するにこの度の方は比較的早いタイミングで来られたからよかったものの、普通は「もっと、早く来てくれればなぁ~」という方が多いからなのである。現行制度では我々のような業種は認知度も低く、信頼性も低い。これは多分に業者の姿勢にも関係している。これについては雑感で述べるべき事柄なので今回は深く言及しないでおこう。
第12話(インソムニア)
“不眠症”のことをインソムニアと言う。医師か、余程の博識でないと知らない用語であったものが、映画「インソムニア」で一躍有名になった。ハリウッド・リメーク版では、アル・パチーノが相変わらず、秀逸な演技を見せていて、インソムニアから判断ミスが起きる過程が活写されている。見ていて、気の毒になるほどの“つらさ”が伝わってくる。やはり、アル・パチーノは名優である、と再認識できる映画であった。そういえば、ロビン・ウイリアムスが初の悪役を演じたということでも話題になったが、ロビン・ウイリアムスは「レナードの朝」でパーキンソン氏病の実態や、ドーパミン、Lドーパの名称を一般に認識させるのに一役買っている。インソムニアといい、パーキンソン氏病といい、病気や症状が映画の題材や“絡み”に使われることが多く、私達のような仕事をしている者にとっては娯楽とともに、貴重な情報源ともなって、映画鑑賞をすることは良いことだと、ひとり納得しながら、毎日のようにレンタルビデオを借りていた時期があった。
このようなライフスタイルをお奨めするわけではないが、私が毎日のようにレンタルビデオを借りて見ていたのは訳がある。実は私自身が“インソムニア”なのである。夜の長いこと、長いこと。小さい頃から筋金入りのインソムニアであった。布団に入っても3時間や4時間は絶対に寝られない。布団の中で、ボウーっとしていても、価値的ではないし、なにより、“つらい”。必然的に本を読むようになった。毎夜の読書が日課になっていたものが、年齢とともに、活字を読むのがキツクなって、ビデオに相成ったという次第。今はDVDか。
それはさておき、自分が不眠症なので、不眠症のつらさはよく分かる。世に不眠症で悩む同輩が多いらしく、睡眠改善剤と称される市販薬が予想以上に売れ、製薬会社の視線が熱い分野だそうである。市販薬の睡眠改善剤程度で改善される不眠ならいいが、中には正真正銘の病気のレベルで不眠の人がいる。
ある人は医師が処方する睡眠導入剤を服用しても3時間しか持たず、3時間後には確実に目が覚めてしまうという。そのまま、マンジリともせず朝を向かえるわけだが、これはつらい。そこで、目が覚めたときにもう一度服用することとなる。そうすると、次にはまた3時間ほど眠れることとなり、なんとか5~6時間の睡眠を確保できる。一晩に2回の服用が必要とのこと。本人はなるだけ眠剤に頼りたくないという気持ちがある。眠剤を服用し続けると、ボケるのではないかと不安なのだそうだが、かといって、眠剤なしでは眠られず、一度でいいから、眠剤なしで“熟睡”したいと強い希望を抱いていて、もし、それができたら、どれほど幸せなことか・・とシミジミと独り言にようにつぶやいていた。
睡眠導入剤、所謂、「睡眠薬」とか「眠剤」とか言われるものが、認知障害(ボケ)を生む原因の一つであると断定する証拠はない。ただ、経験上、物忘れが激しくなるような気はする。それは歳のせいであって、眠剤のせいではないと言われるかも知れぬが、30代半ばで、眠剤初体験のとき、記憶が飛んだ。俗にいう“トリップ”したらしい。何故、分かったかというと、用があって、友人に電話し、ひさしぶり!とお決まりの挨拶をしたら、昨日、電話くれたじゃないか!という怪訝そうな返事。最初、かつがれているのかと思った。しかし、どうも、そうじゃないらしい。本当に電話したようなのだ。全く記憶が欠落している。後で知ったことだが、この眠剤は稀にそのような副作用があるとのこと。それを利用し、トリップするということが一時、流行ったそうである。記憶が飛ぶなんて、気持ち悪いだけではないか、と思うのだが・・。不眠症でもないのに眠剤で遊ぶという感覚が分からぬ。昔は睡眠薬で自殺などと、よく聞いた気がするが、今の眠剤は中毒性も少なく、一回の医師の処方量では死ぬ事は出来ない。つまり、2週間分を一度に飲んでも死ぬことは難しいとのことだ。薬剤そのものの習慣性もまた抑制されていて、タバコのようなニコチン中毒に類したものはない。しかし、記憶が飛ぶという副作用を持つ体質の人間は止めたほうがいいだろう。実に気味の悪い経験だ。これは薬を替えてもらったほうがいい。(極めて稀な副作用だが)
自然療法家として眠剤使用の黙認、ましてや奨励などもっての他と思うだろう。確かに、薬剤は生体にとって異物である。服用しないに越した事はない。しかし、不眠はそれ以上に身体に悪影響を及ぼす。人は夜の休息、つまり、睡眠によって、自然治癒力、ホメオスタシスが発動され、昼間の交感緊張による鞭打ちを癒している。陰陽のバランスをとっているわけだ。もし、それが出来ていないとき、必ず、オーバーヒートする。どこかの時点で身体が破綻するのだ。緊急避難的に眠剤の服用は認めねばならない、と思っているのはそのようなわけがある。これは、不眠症のつらさを分かるからこその考えであって、理屈ではない部分もあるが・・・
ある自然療法家と議論したことがある。眠剤は脳に悪影響を及ぼすのでそういう人が来院したときは必ず、止めるようにアドバイスする、という。では、あなたは不眠で悩んだことがあるのか?と聞くと、布団に入った瞬間に寝ることができると自慢していた。これでは話にならない。さらにこうも言う。ラベンダーのアロマエッセンスを焚きながら寝ると不眠症は改善されると・・開いた口が塞がらなかった。そんな程度のレベルじゃないからこそ、悩んでいるのであって、それで改善できるのなら、とっくに不眠から脱している。
そういうことに思い至らないのか・・情けないというか、頭が悪いというか。
さらに議論は続く。そもそも、人間は寝ないではいられないものだから、あせって寝ようと思うから、ダメなんだと・・自然に任せて、今日は寝られなくとも、明日があるくらいの気持ちを持てば、不眠などなくなる。不眠症は大変だ!というのは製薬会社の陰謀である・・と。
これも重度の不眠の実体を過小評価している。二流雑誌で仕入れた知識の受け売りでしかない。一般論としてはそうかも知れぬが、人間の身体と心はもっと複雑である。いい知れぬ不安や生来のストレス感受性の高さ、加齢によるホルモンのバランスの狂い、既往歴による自律神経の失調・・etcが重なりあっての不眠であって、それらが重症化の原因を形作っているわけである。単一の原因ではない。単に気が高ぶっているだけなら、アロマでも玉ねぎでも効果はあるだろう。考え方をちょっと変えるだけで、寝られることだってある。確かに、人は寝られないではいられないから、いつかは寝る。しかし、重症者は寝ても寝た感じがしないし、疲れが残る。2時間くらいの睡眠が1週間も2週間も一ヶ月も二ヶ月も続くのである。これが身体を傷め、次の病を誘うのである。ミソもくそも一緒にするな!と最後は切れてしまった。早まったことをしてしまったと後悔したが、どうも、民間療法家は心身を単純化する傾向がある。人によって、病態、病勢は違うのだ。それを見極めてアドバイスしなければならない。だから、同じ症状を持つ人であっても、アドバイスが違うことだってある。百八十度違うこともありえる。つまり、正反対のことを言う場合も、ということだ。服用を止めるように言う場合は、重症化していない場合である。これは施術を続ければ、必ず自律神経のバランスが取れ、改善される。
しかし、重度でも改善されることがある。先述したような重症不眠者がここ最近で3人程来ている(軽度は数知れずだが)。重度の不眠と思われたので、特に眠剤についての服用には反対しなかった。ところが、3人が3人とも数ヶ月のうちに眠剤なしで眠ることが出来るようになったという。本能的に薬の使用は止めたいと思っていたのだろう。自主的に服用を減らし、そして止めたようだ。はて、腕が上がったか・・重度だという判断が間違いだったのか・・施術経験からして、自身の体験からして、判断ミスではないような気がするのだが。昔はこのような重度の不眠症を改善することが出来なかったものが、何故、ここに来て、改善するに至るようになったのか、ある意味謎である。
確かに、昔とは技法はかなり異なるし、ツボの取り方も深いかもしれない。だが、皆50代の女性であるから、ちょうど更年期から脱っする時期だったのかも知れぬ。天狗になると、ろくなことはないので、そのように解釈しておこう。しかし、そのうちの1人は少女のころから不眠症で、人生の中で、熟睡した覚えがないくらいだというから、あながち、偶然とも思えぬ節がある。若し、偶然ではないとすれば、世の朗報である。そもそも、私が救われるではないか。そのうち、足証整体の達人が出現し、私の身体を癒して、不眠から解放してくる日がやってくるのかと思うと、ワクワクして夜も眠れない(!?)。レンタルビデオ代、一回分の400円は浮くので、一回の施術代、400円で如何だろう?さらにパブ明生館にご招待しよう。勿論、ワリカンだ。
冗談はさておき、「失眠」という奇穴が足裏にある。「失眠」とは文字通り「眠りを失った者に効く」ツボということだから、不眠症の特効穴という意味である。奇穴であるせいなのか、ここに鍼を打たれたという話は聞いたことがない。場所的には面白いところにあって、三陰三陽で言えば、太陽の下限の真ん中。足心原理で言えば、重力力線の基点そのものである。ここから、真っ直ぐに頭頂を貫く力線が発生するので、不眠に効くというのはうなずけるところである。この部位が、妙に内圧が高い者とか、逆に妙に緩んでいる場合は睡眠障害である可能性は高い。不眠か眠り過ぎかどちらかということだ。当然、私なんかはここに異常感があって、押されると恐ろしいほどに気持ちがいい。「きっくぅ~」という感じがするものである。軽度の不眠などはここの押圧だけで充分だろう。それにしても、鍼でもあまり打たず、お灸も、据えるには非常に不便な部位である。にもかかわらず、ツボ名として残っているということは、やはり、手技が基本であったということが分かる。鍼灸を体系付けたベースになるもの、すなわち、それは手技法であるという増永師の説が鮮やかに蘇り、光彩を放つ。足は面白い。
第13話(毒素排泄)
病名ではないが面白い症例なので、記して置く。
40代前半、女性、既往症、高血糖。
症状としては首の痛みである。普段から首に問題を抱えており、疲れたり、ストレスが溜まると、首のコリ、酷いときは痛みを伴う不快感に苛まれる。
余程、つらくなってきたら、時々、当院へ訪れる人である。継続的にはあまり来ない。つらいときに来るという不定期リピーター。
高血糖のほうは自らの摂生、養生でコントロール出来ているようだ。しかし、首から肩にかけての不快感は如何ともし難いとのこと。
幾度か施術しているが、その都度、楽になる。しかし、疲労が重なると同じような症状がぶり返し、度毎に施術を繰り返しているという状況であった。
首の単純なコリであれば、首を揉めば、楽にはなるだろう。しかし、この人の場合、単純ではない。どう単純ではないかというと、まず、頭蓋の動きに問題がある。頭蓋の動きに問題があれば、首の症状となって現われることが多いのだ。さらにそれだけではなく、肩にも問題があって、肩関節の拘束が強く、ついでに頚椎まで歪んでいる。実に複合的な要因によって起きている症状だ。幼少の頃の事故が影響しているのと、仕事柄、肩に負担をかけるという環境で、すっきりと完治には至らない症例ではあった。
このような場合、生活環境から変えなくてはいけないが、現実には仕事を辞めるわけにはいかぬし、幼少の頃の強い打撲の痕跡を完全に消し去ることもできない。
いつも思うことだが、幼少の頃からの歪みが溜まりに溜まって出てくる症状というのは、完治しずらい。完治しないと考えたほうがいいような人たちもいるのである。
しかし、施術する意味はあって、進行させないという意義と、少しでも楽になれば、その分、有意義な活動ができて、苦しまないで済む。つまり、定期的なメンテナンスが必要な一群の人達がいるということである。確かに自分の健康は自分で守るというのも真理ではあるが、自分では如何ともし難い症状もある。かといって、医者がどうこう出来る問題でもない。この人の場合、頚椎の手術など、かえって危険である。では、どうするか?我々の出番としかいいようがないではないか。
いつも足からはじめて、ほぼ全身的に施術するのだが、大体はそれでスッキリする。ところが、その日はスッキリしない。異様に頭蓋の動きが悪く、やっていて非常に疲れた。生活上、大きな出来事があったようだが、それが影響しているのかもしれない。
エネルギーの解放が起きないのである。そのようなことは度々経験しているので、後日、抜けていくはずであるから、そのまま帰した。一日に出来る限度というものがあるから、止むを得ないわけだ。
施術中は、例の首に響きまくっていたようだ。足の施術の段階からである。さらに全身の要所、要所のツボで首に響くという。全てが首へと・・
このようなことは結構あって、調経作用が働いている証拠でもある。例えば、右五十肩にも関わらず、左足足心区で右肩に響いてしかたがないと言った人もいる。経絡は損傷伝導系なのである。
余談はさて置き、全てが首へ首へと響き、症状を抱えるその付近へ集中してくるのである。それでいて抜けない。なんたることか。響いていて抜けないというのは身体がだるくなってしまう。つまり瞑眩反応が強く起きるのである。何故、今日に限って・・・・
ことほど左様に、同一人においてさえ、状況によって反応の仕方が違う。ましてや、異人においてをや。
本人も今日は変だなぁ~と思ったそうである。響きが強いし、抜けた感じがしないし、術後の楽チン感もない。重だるくなった身体を引きずるようにして帰ったという。
思うに、頭蓋であろう。頭蓋の動きがやけに悪いと感じた、のは前述のとおりであるが、結局、最後まで、動きを回復させたという実感がなかった。今日は無理だという諦めがあったのである。つまり、抜けていくところがない状態である。さらに腕はカチンコチンで、通常に戻せなかった。腕からも抜けず、頭部からの発散もない。これでは、身体が重いのもうなづけるではないか。
さて、気になっていたところ、翌日、ご本人から電話があった。あれから、首の響いていたところ、つまり、症状が一番強い、正にその場所にオデキのようなものが出来たという。その日、帰ってから鏡をみてビックリしたというのだ。多少の痛みと痒みがあったようだが、特に耐えられないというわけでもないらしい。なんだろう?と思っているうちに、身体の重さと首のつらさが和らいでいるのが分かったという。そして、翌日のうちにオデキ様なものは消えた。と同時に完全に身体は軽くなり、首の症状は消失した、のだそうだ。ご本人曰く「ホントに身体の毒素が出るんですね」と。いたく感銘を受けていたようだ。「体内浄化プログラム」と呼ぶ、一連の施術方式を説明したばかりのことであったから、余計に感動したのだろう。
たまたま偶然、その場所に、たまたまのタイミングでオデキが出来て、たまたま、その消失と共に症状が消えた、と解釈するなら、偶然の三乗である。そんな偶然は宝くじの一等に当選するよりも確率は低い。そもそも、その人はオデキができる体質ではないのである。
では、そのオデキとはなんであろうか?本人が言うように毒素なのであろうか。毒素だとすれば化学的にはなんだったのだろう?・・と限りなく追求したくなる。分析すれば、それなりの答えが出ようが、特別な何かではあるまい。東洋医学には便利な言葉があって、そういうもの、身体に好ましくないものを全部ひっくるめて、邪気という。“抜ける”という言葉自体も曖昧なものであり、感覚的なものだ。これは邪気が抜けるということを指しているのである。邪気とは生体エネルギー流の停滞の産物でもあり、停滞そのものを指す場合もある。したがって、眼には見えない。絶対に眼には見えないのか?と問われれば、否と答えざるを得ない。見える人には見える。今はその特別な心眼を言っているのではなくて、邪気が物質化することがあるということだ。邪気が邪気であるうちは、見えないが、古来より邪骨という言葉がある。主に腹部にできる、シコリのことを指していうのだが、邪気は邪骨に変化し得るとしているのだ。つまり、見ることも、触ることも出来ぬ邪気がコリ固まり、遂には誰でも触れることができる邪骨となる。これは物質化の象徴である。
気を動かし、邪気を解消しようとして、抜けるところがなければ、皮膚を通して抜けようとする。このとき、その度合いが強ければ、オデキ様なものとして現われても何ら不思議ではない。発疹として現われる場合もあろう。ただ、全部がそういう出方をするのではなくて、スムーズに腕から、頭から抜ける場合もある。そのほうが多いくらいだ。瞑眩とは、邪気の抜けるルートを充分に確保できない場合に起きるのである。だから、そのルートを確保するために時間をかける。それでも、確保しきれず、瞑眩反応が起きてしまう。これはどうやっても起きるパターンである。防ぐ方法は手加減しかない。医者はさじ加減というが、我々は、文字通り手加減である。手加減するには、相当の実力がなくてはならない。
気を動かせない術者が“手加減”して瞑眩を防いだというのは笑止である。気を動かせないだけだ。
私自身、この手加減が未だ出来ないでいる。どうしても気を動かしてしまう。名医はさじ加減が絶妙であるが故に名医である。手加減、未だしの私は名医ではあるまい(根本的に気を動かせない術者はなんと言ったらいいのだろう?)
ところで、この人の場合、邪気の抜け道は症状を持つ部位の皮膚であった。邪気が抜けるルートというのは、基本的には竅(きょう)という人体の穴である。目、耳、鼻、口(ノドを含む)、尿道口、肛門。健常者は全部で九つ(目、耳、鼻は各二つづつある)あるから、九竅とも言う。この九竅から、抜けきらぬ場合は四肢や頭部から抜けていく。そして、四肢、頭部で抜け切らず、気の動かし方が強い場合、皮膚から抜ける。邪気が強いと発疹、オデキ様のものとして現われるのである。少ない症例ではあるが、人の身体というのはこのような現象もあるということだ。実に不思議で面白い。
第14話(過敏体質)
民間療法等に対する批判の一つに、正規の医療を受ける機会を遅らせてしまうというものがある。つまり、施術者が自分のやっている療術方式を過信するあまり、その治療体系の中でしかモノを考えられず、患者の最良の治療選択を奪ってしまうというわけだ。
所謂、カリスマと呼ばれる施術者にその事例が多く、美空ひばりの病気治しのために協力した玄米療法の大家などが有名であろう。(この場合、施術者というよりも食養指導家であるが、同じことだ。彼女の寿命を縮めたと言われて、雲隠れしてしまった)
確かに、人の身体というのは全て医学で説明することはできない。また、対症療法であるが故にその限界もあろう。だからと言って、自分が行っている療法、療術が全ての意味で他の療法を凌駕しているわけでもあるまい。かといって自信なくば、誰がそんな者の施療を受けようと思うだろう。実はここに難しさがある。
絶対の自信と謙虚さを持ち合わせなければならないのである。一言でいうと、視野を広く持つということでもあるし、ここまでやってダメなものであれば、素直に他の可能性を認める度量のことでもある。また、ここまでやってダメなものと判断する際にはそう判断できるだけの技量に裏づけされていなければならない。しかし、その両方を兼ね備えている施術者は実に少ない。自身が何度もそのような場面にぶつかり葛藤し、悩み、苦しんだ施術者にして初めてそれを伝えることができると思うのだが、小器用な者が頭で考え、施術センスよりもむしろビジネスセンスや営業センスで療法のスクールを運営している現状では、伝える中身さえない。実体験として伝えることができる講師は日本に一体どれくらいいるのだろうか。
全く怪しいものだ。
さて、前置きが長くなってしまった。30代前半の男性。愁訴はギックリ腰からくる坐骨神経痛とのこと。結論からいうと実に7ヶ月間の休養が必要であるほどに酷いものであった。年齢から考えて、それだけの休養をとれば、大体は治る。若いということは素晴らしいことで復元力は半端ではない。いつも、50代、60代、70代の層の受療者を相手にすることが多いので、痛感するところである。若いということは、本当に素晴らしいことなのである。なんと若いころを粗末にして自分の身体を扱ってきたことか。これはある年齢にならないと如実に実感できないものだろう。
彼の場合、一度だけ施術した。その時はギックリ腰を起こして日が浅く、炎症が強く出ては困るので、抑え目に、整える程度に留めた。気になったのはその過敏な体質である。身体のどこを触っても痛がる。その痛がりようはちょっと普通ではない。刺激に対する感受性は人によって違うのは言うまでもないが、個人差のレベルを超えている感じであった。
人は身体のどこかに炎症を持っているとき、その発痛物質が全身に廻り、刺激に対して過敏な身体状況を作り出す。この場合、重度のギックリ腰からくる炎症で、それが過敏な体質を生んでいるのであろう、と判断した。これが後、悔やむことになるのである。
彼は遠隔地からであったし、また、収入もないため(歩行も困難なため、仕事を辞めた)、「近くの保険の利く接骨院にでも通って無理をしなければ、一ヶ月もすれば、良くなるよ」くらいのアドバイスをした。彼は言うとおりにした。歩いて、通える接骨院の常連となり、またそこの先生のアドバイスも忠実に守った。
ところが、良くならないのである。正確には、腰の痛みは良くなっているのであるが、坐骨神経痛様な痛みは全く改善されない。一ヶ月程経って、アドバイスを求める電話があった。腰痛治しの神の手を持つ12人という本を本屋で見つけて、そこに自分も通える接骨院が一つだけ紹介されていたというのである。そこは気功(外気発功)を応用するらしく、「神の手」だけあって、相当に実績を上げているとのこと。
「こういうのって、どうでしょう?」
「なるほど、気功療法か・・まあ、接骨院だから、安いんでしょう?」
「普通の整体院よりはずっと安いです」
「なら、やってみる価値はあるかもですね」
こうして、彼は神の手を持つヒーラーのもとへ通うことになった。
実にそれから、40数回を超える通院を敢行することになったのである。だが、良くならない。彼は遂に決意した。どうせなら、本物の気功師、本当の達人にかかろうと。
(神の手も充分本物であるキャッチフレーズだと思うが)
そしてネットで調べ、結論からいうと、二人の気功師の施療を受けることとなった。
世の中には凄いレベルの治療家がいるものだ、という書き込みから、見つけたものであった。その凄いレベルの治療家はどんな腰痛でも1回、長くても3回で治すという。そして、その師匠スジに当る気功治療家はもっと凄いという。なんだか、その世界はよく分からないが、一抹の不安を感じさせる触れ込みではある。
常識的には容易には信じられない話だ。しかし、そういうこともあるかもしれない。不安と期待が入り混じった祈るような気持ちであった。なんでもいいから治ってくれ!可哀相で仕方がない。収入もなく、かといって就職できるような身体の状況でもない。一度の施術であったが、行きがかり上、アドバイスした責任もある。これでダメだったら、遠いけれども、お越しねがって、私がやるより他ないであろう。
こうして二人の気功家にかかったが、やはりダメであった。どうしても、お尻の痛み、踝の痛みが取れない。坐骨神経痛様の痛みである。
電話で報告を受けながら、私は覚悟を決めた。お越し願おう。
いくつかやりとりしているうちに、思わぬ言葉を聞いた。
「前に前立腺炎をやったときとよく似た症状なんです・・」
「えっ、えっ、今、なんと言いました?」
「前立腺炎・・」
「それだよ、それ!前立腺炎だよ!」
全て合点がいく。異常に過敏になっていたのも、治らないのも。炎症性の過敏はギックリ腰だけのものではなく、前立腺炎からくるものであってもおかしくはない。お尻の筋肉に内臓反射が起きて痛むことも理屈に合う。そこにトリガーが発生して踝の痛みが関連痛として起きる。根っ子の部分は前立腺からきているのだ。
初検で見破れなかったのは実に悔しい。反射区には「前立腺」というものもあるが、過敏すぎて有痛反応をもとにすることはできない。無痛診断は如実に現われていなかった。
また、腹証は腎虚である。これはギックリ腰、坐骨神経痛の証とも合う。東洋医学的な診断では特定臓器の異常を判別することが出来ないのである。
しかし、超能力はないにしても、よく既往歴を問いただし、現状を考えてみれば、推論することは可能であったはずだ。勿論、整形外科での受診を薦めたが、整形外科では前立腺炎の診断はまず出来ない。腰椎に異常があるかどうか調べるのが関の山である。
なんとも間が悪いというか、これに気づく者が本人も含め、誰もいなかったわけである。
ギックリ腰が引き金になって、前立腺炎がぶり返したのか、慢性的な前立腺炎によって、ギックリ腰が引き起こされたのか、それは分からないが、少なくとも当時は複合的な要因が重なっての症状だったわけだ。
すぐに、泌尿器科の受診を薦めた。多分、前立腺炎の診断が下されるはずだという旨を述べて・・彼はその日のうちに受診したが、果たして、前立腺炎であった。
であるならば、それを治せば、症状は消える。気功とか温熱、光線療法などをやってきていて、尚、治癒してないわけだから、自然治癒は望めまい。こうなったら、一刻も早く、薬剤によってでも炎症を消すより他ないだろう。
現在、彼は腰は言うに及ばず、お尻の痛みはほとんど気にならなくなった。踝の痛みもなくなり、足裏の違和感に移っている。
ところが、不思議なもので、それらの症状が軽減されると、もともとの持病である膝痛が出てきている。今まで、坐骨神経痛様の痛みばかりが目立ち、膝痛など感じなかったものが感じ始めているようなのだ。不自然な体勢での歩行などで、膝や股関節に負担がかかったものであろう。或いは、経絡虚実の移行ということかもしれない。しかし、この程度であれば、大丈夫だ。方向性としては治癒に向かっている。
教訓として得られるものは、限度を超えた刺激に対する過敏さというものは身体のどこかに炎症を持っている可能性があるということ。そして、それは症状として現われている部分に限らず、内臓の反射による可能性もあるということ。であるから、初検カードだけに頼らず、既往歴をよく聞きだすこと。そして、内臓の炎症等が疑われれば、すぐに専門医の受診を薦めるということ、等である。
それにしても、腰の手術まで考えた人である。これで手術したらどうなっていただろう。
7ヶ月間に渡って苦しんだ腰~坐骨神経痛様の症状が、たった10日の前立腺炎の治療によって消えた。人の身体を正確に把握することは難しいことなのだ。だから、もうこれでいいというゴールはない。足揉みを極めたとか、整体を極めたという施術者をたまに見かけるが、それだけで、その人はインチキだと思っていい。また、現役の施術者であることを止めて教えることのみに専念している講師も信用できない。日々、受療者に向き合い苦悩している者だけが生徒にフィードバックする材料を持ち得る。スクール選びは慎重にすべきである。特に開業希望者は・・
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第15話(非歯原性歯痛)
前話で人の身体を把握するのは難しいという話をした。それに関連する話題を提供したい。
これは他でもない私自身に起きた話である。一部の生徒さんには伝えてあるが、実に興味深い話なので、シェアしておきたいと思う次第である。
ある休日の昼下がり、突然、歯が痛くなった(左上奥歯)。実は歯は丈夫なほうではない。今までの人生の中で何度か歯痛に苦しめられてきた。上顎洞まで腫れあがったこともある。歯痛は嫌なものである。ご経験のある方も多数おいでだろう。
さて、その時の痛みは半端ではなかった。まるでキリをねじ込まれるような痛みが襲ったのである。どうしようもなく痛い。その前兆みたいなものはなかったわけではないが、これほどの激痛に突然襲われるなんて、考えてもみなかった事態である。大人になってからの記憶ではどんな歯痛でも泣くほどではなかったが、このときばかりは泣いた。大の大人が歯痛で泣くなんて実に情けない話ではないか。その情けなさがさらに悲しい感情を呼び起こし(たのかどうかは分からないが)、休日でもあったし、誰もいないので号泣することにした。誰に遠慮なぞいるものか!という感じである。
あまり読者に想像して貰いたくはないが、40も半ばのいいオッサンが歯痛で号泣しているのである。しかも、仕事では一応、先生と言われている人物がである。如何に痛かったかを知って頂きたいために、あえて恥じをさらす次第である。
ところが、不思議なことに号泣した後、痛みが治まったのである。泣くという行為は感情の解放であることは知っていたが、それにしても身体の痛みにまで、影響を与えるとは・・新たな発見であった。身心一如とはよく言ったものだぁ~と感心してばかりはいられない。しばらく経ってまた痛みの発作みたいなものが起きた。また号泣した。するとまた、痛みが軽減した。こりゃいいぞ!痛みをコントロールできる!などとノンキなことを考えていたが、結構、深刻な問題である。翌日、施術中に発作が起きたら大変である。まさか「ちょっと歯が痛くなったので、泣いてきます」と言って施術を中断するわけにはいかないではないか。歯は治しておくべきものだ。そこで、ネットで休日診療を行っている診療所を探してみると、割と近くでやっていることが分かった。予約の電話を入れて駆け込んだものである。
歯医者が好きな人はいまい。私も大嫌いである。あのドリルみたいな音を聞くだけで、いや想像しただけで、ぞっとする。しかし、そんなことを言っている場合でない。とにかくこの状況を脱しなければ・・その一心であった。
ところが、場所は保健センターの一室であって、必要な設備が整っていないのである。当番医と思われる中年の医師が一通り歯を見て「多分、この歯が炎症を起こしているのでしょうな。薬を出しておきますから、それで痛みは治まるでしょう。明日、改めて近くの歯医者に行ってください」というのである。拍子抜けしてしまった。夜間、休日診療とはこんなものか・・まあ、歯痛くらいなら、こんなものなのかもしれない。しかし、出された薬を見てガッカリであった。ボルタレン(消炎鎮痛剤の一つ)なのである。この程度の鎮痛剤では治まらないのである。当然、自分でも売薬(市販薬)最強の消炎鎮痛剤であるメフェナムサンカプセルという薬を服用してきている。それでも、一向に効かないわけだから、ボルタレンで痛みが治まるとは思えない。今、医療費削減の方向性が強く、本来医家向けの薬がドラッグストアーで手に入るように規制が緩和されつつある。制酸剤であるガスター10などもそうであるし、消炎鎮痛剤メフェナムサンカプセルもその一つであろう。歯医者の処方する薬で売薬にないものといえば、抗生剤かステロイド系くらいだ。その抗生剤かステロイド系の強いものでないと、この歯痛には無理だと思っていた。全く、生半可な知識というものは結構邪魔だったりする。これではプラシボー効果(心理的な効果)も期待できないではないか。それでも、有効成分は違うものだし、一応、医家専用の薬でもあるから、淡い期待をしてみたものの、やはり、全くといっていいくらい効かなかった。ボルタレンより号泣の方が効く。一体、どんな歯痛なのだ!今風の言葉でいうとマジにヤバイ!という感じである。
とにかくである。最悪でもこの痛い歯一本抜けば治まると信じて、まんじりともせず、一夜を過ごした。そして、近くの歯医者を探した。今はネットという便利なものがあるが、どうも麻布というところは、歯医者一つ選ぶにも敷居が高くて困る。立地もいいし、小ジャレタところばかりである。ということは経費も随分かかっているだろう。ということは保険外診療を薦められたり、余計な診療をされまいかなどと勘ぐってみたり、なかなか決らない。そんなこと言っている場合でもないのに。根っからの貧乏性なのだ。えーいっ!とばかりに一番近いところにした。すぐ裏の歩いて一分のところである。今日こそ、このクソいまいましい歯痛から開放されると思い、おもむろにネットに載っていた電話番号をプッシュした。なんと、混んでいて予約が取れないという。そうであれば余計に行きたくなるのが人情というもの。とにかく痛いのだ!と必死に訴え、強引に予約を取ってしまった。自分のお客は逆キャンセルし、駆け込んだわけだ。
ああ、これで解放される!歯医者に駆け込んでこんな安堵感を感じたのは初めてのことであった。ドリルでもペンチでもなんでも持って来て、どんな治療でもいいからさっさと抜いてくれ!という心境である。若い先生であったが、一通り歯を見て、触診する態度が頼もしい。う~む、選択は間違いではなかったぞ!(触られただけで技量が分かるのである、手技法と同じだ)
「では、レントゲンを撮りますね」
(あいよ、レントゲンでもCTでもMRIでもなんでも、好きなだけ撮ってくれ!)まな板の鯉である。どれだけ、痛みから解放されたいか、どれだけ癒されたいか、私の心の声を聞かせたいものだ。歯医者は世の中に絶対必要な仕事だな、などと、普段、全然思わないことを思ったりして現金なものである。
さて、レントゲン写真も出来上がり、いよいよ治療の時が来た。はてさて、どんな診断が下るか。ワクワク、ドキドキ・・女子高生ではあるまいし。
しかし、思わぬ言葉が医師から発せられたのである。
医師「武田さん、武田さんの歯の痛みは歯が原因ではないですね」
武田「?・・・・?」
医師「虫歯による炎症も見られませんし、歯周病による炎症もないです」
武田「?・・・・?」
医師「これは何かの関連痛と思われます。なんとも、不思議な話だと思われるでしょうが、歯を抜いたり、治療したりすると、かえって悪化するケースもありまして、私のところでは治療できないですね・・」
武田「?・・・・?」
何を言っているんだ、この歯医者は。全く予期しなかった答えなのである。歯が痛いから歯医者に来ているのに、この歯医者は歯が原因じゃないという。しかも、ここでは治療できないともいう。きつねにつままれたような気がした。それを察したのかどうか、言葉は続く・・
医師「歯のペインクリニックに行かれたほうが宜しいでしょう。ここから一番近いところを調べておきました。ここからだと、水道橋にある東京歯科大学の外来にそういう科があります。そちらに行かれたほうがいいですね」
武田「東京歯科大学・・ペインクリニック・・」
かろうじてオウム返しに答えた。
医師「そうです。勿論、私の判断が間違いだという可能性もあります。ですから、セカンドオピニョンをとるべく他の歯医者に行かれてもいいでしょう。しかし、私は他の歯医者で間違った診断をして治療し、悪化させるということを恐れます。ですから、直接、大学病院に行かれて診察されることをお奨めします。そこの医師は基本的には歯医者ですから、経験も豊富だと思いますから・・」
武田「はあ・・分かりました・・」
なんだか分からないが、関連痛というのは理解できる。トリガーポイント理論は知っているし、実際使ってもいる。しかし、それが歯に及び、ここまでリアルに歯痛として感ぜられるものなのか・・驚きを禁じえなかった。まだ、半信半疑ではあったが、この医師の誠実な態度はどこか信頼に足るようなものを感じさせたので、言うとおりにしてみようと思ったわけである。
帰って、速攻、ネットで調べた。確かにそういう科は存在した。「非歯原性歯痛」という実に興味深い言葉と共に・・
字句どおりに解釈すれば、歯が原因ではないのに歯が痛い症状であるということだ。先の医師の説明を漢字六文字で表現せよという問題が出されたら、この言葉が正解になるに違いない。
すぐに予約を入れるべく電話した。専用回線が載っていたのだ。これまた、予約が取りずらい。そんな混んでいるわけ?私のような患者がそんなにいるわけ?と思いながらも必死である。先ほどの歯医者からの説明、つまり診断を告げ、薦められたのだと。もう、痛くて我慢できないと(実際、そうなのだが)・・すると、なんとか翌日予約が入った。
大学病院にまで来てしまった。たかが歯の為に・・ホントにここで治るんだろうか。仕事も出来ず、商売上がったりである。歯も痛いが懐も痛い。いよいよ、名前を呼ばれ、診察である。問診の後、普通の歯医者のように歯を見せて、さらにドクターは視診、触診へと移る。そしてお決まりのレントゲン。レントゲン写真を現像するまでしばらく待つ。これもお決まりのコースだ。写真が出来てもう一度呼ばれた。
「う~ん、確かに虫歯、歯周病の炎症は見当たりませんね。これで激痛があるというのは・・・多分、これでしょう」と言って、頭蓋と筋肉モデルを持ち出し、指を差したのは側頭部である。
「ここの筋肉は噛むのに非常に強い力が加わりますので、疲労しやすいのです。寝ているとき、歯軋りしたり、強い肩コリなんかでも影響を及ぼします。多分、この筋肉が疲れ切って、関連痛として歯の痛みを感じているのだと思います。若し、痛い歯の治療をすれば悪化しますよ」
そう言えば、思い当たる節がある。昔、中耳炎(左)をやったときに、側頭部が腫れあがってしまった。非常に痛い思いをしたのだが、中耳炎の治療とともに痛みは消失した。しかし、違和感だけは残り、特に疲れが溜まってくると、違和感が強くなる。現に今も違和感を感じている。自身納得できた。この症状は間違いない、側頭筋にトリガーポイントが発生して、関連痛として起きていると・・それさえわかればノープロブレム、モーマンタイである。自分で治せる自信がある。病院の治療は一過性の麻酔と光線療法、そして、安定剤の一種のような薬の処方であった。しかし、この治療を受けなくとも、治せる。この分野は私の分野でもあるのだ。
側頭部から頭頂にかけて、丹念に自分で押圧し、足りないところはバイブレーションマッサージ器の力を借りた。結論から言うと、4日で完全に痛みは消失した。あの痛みがウソのようだった。
痛みのパターンを断ち切るのに、一過性の麻酔が功を奏したのかもしれない。しかし、麻酔を打たなくとも治せるのが分かったのである。直感的に治せると・・人は治るなと思ったときは本当に治るものだ。うまく説明できないものだが、顕在意識より賢い、潜在意識が告げているものなのかもしれない。
それにしてもと思う。筋肉が疲弊し、それがトリガーとなり関連痛として歯痛様な症状が出るとは・・しかも、まったく歯痛としかいいようのないリアルな歯痛である。これほどリアルな歯痛をだれが歯が原因ではないと思うだろうか。自分がこのような目にあったので少し、調べてみた。勿論、歯痛はほとんどが歯に原因がある。つまり歯原性の歯痛である。しかし、決して少なくはない確率で私のような非歯原性歯痛に苦しんでいる人も多いのだそうである。ある人はいくら歯医者に通ってもよくならず、歯医者を転々と変え、悪くもない歯を治療されて、さらに悪化し、何年も苦しんできたと言う。ようやく、専門外来に巡りあい、治せたとのこと。その間、数年、私のような激痛が発作の如く起きて、我慢してきたのだ。考えただけで、気の毒であるし、苦しみは想像してあまりある。
私が行った専門外来はその看板を掲げたその年だけで2600人の患者が来たというではないか。まだまだ、知らずに苦しんでいる人も多いという。特に最近、過度のストレス、過労、コリにさらされている人が多くなっている。それが原因でこのような症状を呈するわけだから、割合はさらに高まっていると推測されているのである。
しかしよくぞ近所の歯科院は見破ってくれたものだ。(小川歯科院の院長先生、有難う!あなたはプロの鑑だ!)
歯の治療をされたら、今ごろどうなっていただろう。私は幸運であった。
もっとも単純な歯痛=歯医者の治療という図式が成り立たないケースもあるのである。
人の身体を把握するのは本当に難しい。前話と同じ結論である。
あれから半年以上が過ぎたが、非歯原生歯痛の発作は一度も起きていない。疲れが溜まり、怪しくなると、側頭筋のトリガーが活性しないように自分で処置している。トリガー理論は経絡理論とも似ていて、症状があるとことが必ずしも原因ではないという、東洋的思想の西洋的表現でもある。勿論、トリガー理論は完成されたものではなく、かなり大雑把で拙劣な部分もある(歴史が浅いので仕方がない)。しかし、具体的な筋肉名が出て来るので、分かりやすいし、筋肉解剖の勉強にもなる。月一回トリガー勉強会を開いているのは、私の非歯原性歯痛が一つの契機となっているである。思わぬ副産物であった。
第16話(高脂血症)
ご承知のとおり、血液中の過剰なコレステロールや中性脂肪は動脈硬化の原因となる。さらに動脈硬化は血管系の病気、例えば、心筋梗塞、脳卒中のリスクを高める。成人における三大疾病のうち、実に二つまでもが高脂血症を遠因とするわけだ。場合によっては直接的な原因ともなり得る。このコレステロール値を正常レベルまで下げるというのが、疾病のリスクを減らす方法論として、重視されてきた。薬剤でコレステロール値をコントロールするという発想は現代医学では当然のことであるし、また、油物を控えるという食事制限、節制もまた、重要なことであると思う。
しかし、薬剤でコレステロールを溶かす治療は、思わぬ副作用を生むこともある。腹痛程度であれば、まだいいが、身体のあらゆるパーツはコレステロールを基本材料としているため、体質によっては筋肉が溶け、神経が侵され、取り返しのつかない状態に陥った例もある。食事制限もまた、基本的に自覚症状がないだけに難しいものだ。仮に出来たとしても、今度は必要なビタミン、ミネラルが不足し、所謂、ダイエット症候群になる可能性もある。
仮に薬剤による副作用もなく、節制も上手く出来たとしよう。実はそれでも、コレステロール値が下がらないという一群の人達がいるのである。身体自体が過剰なコレステロールを生産する体質なのだろう。まだ人類が飢えていた時代に獲得した体質とも言えるかもしれない。私が昔人体質と呼んでいるもので(家族性高コレステロール症)、案外多いものだ。一口に高脂血症と言っても、中性脂肪が多いのか、総コレステロール値が高いのかによって、処方される薬剤は異なるが、その選択を間違うということは考えづらい。医者もプロだからだ。考えられる最良の処方をしたとしても、目に見えた改善がないという例も多いのだ。
治癒機序については詳しく分からないが、そのような例の人に対して、足揉みが功を奏するケースが結構ある。ある60代の女性。当然、医師から薬の処方を受けていた。かなり長期に渡る治療であった。食事も医師の忠告を良く聞き、自分なりに気を付けていたとのことだ。しかし、全く数値に変化が現われなかった。総コレステロール値は大体300前後ということである。正常値は150~せいぜい220位であるから、かなり高い数値が常態であったといえる。あまりにも効かないので、薬を止めたとのことであった(勿論、医師の同意がある)。
さて、この方、都合10回ほどの施術を行った。高コレステロール症を改善することが目的ではなかったが、劇的に改善されたのである。190台にまで下がった。どのような治療を行っても、下がらなかったものが正常値の範囲に治まったのである。
実はこのような劇的なケースは初めてではない。前にも500という信じられない数値の男性がいて、施術の継続の中で(8回)、200近くまで下がった例もあった。この時は、その男性自身の食生活にかなり問題があって、それを改めたということだったので、それが功を奏して、改善されたと思っていた。であるから、施術自体の貢献については過大評価できなかったわけだ。しかし、今回のケースは、特に生活を変化させたわけでもないし、ましてや、薬も止めている状態での話である。これは施術が功を奏したと考えるのが自然であろう。
高脂血症を何とかしてくれ、といって施術院に飛び込んでくる者はいない。時々、このような数値の変化を伝えてくれる人達は別の身体の悩みで来た人達である。であるから、私も、ご本人も知らない状況の中で、改善されているというケースは相当にあるはずだ。それにしても何故?という疑問が湧く。血流が改善されて・・云々であれば、お風呂に入っても、温泉でも改善されるだろう。毎日、風呂にゆっくり入る者は高脂血症とは無縁で入られるはずだ。しかし、そうでもないことは経験で分かる。そもそも家族性高コレステロール症は体質の問題である。体質というのはそう簡単に変るものではない。コレステロールを生産しやすい体質は大げさな言い方であるが、遺伝子レベルの操作が必要だとも言える。施術によって、体内環境を整える、或いは良好にする何か、例えば、スイッチのようなものをオンにしたのではないかと思えてならない。
ツボ押圧を嫌う療術家もいる。ツボを押したところで、一時的に筋肉が緩み、一時的な改善感、つまり、コリ感の軽減程度しか期待できないという論法である。私は少々、見解が違う。東洋においてツボの概念が発達したのは、「気」の流れを変え得る窓口、つまりスイッチの役目をそこに見たからだと思っている。ツボが経穴という名で、ある程度特定されているのは鍼灸の刺激の強さ故に、やたらメクラ打ちすると、害があるからであろう。しかし、手技においてはむしろフレックスにツボを取ることに重点を置けば、よりその者固有のスイッチを探せるものと思う。その人の最善のスイッチを探す作業としての施術だと思えば、施術自体の考え方も変るだろう。このスイッチの話は長くなってしまうので、また項を改めて(施術雑感にでも)論じたい。いずれにしても、期せずして体質を変えるスイッチをオンにしたに違いない。そのスイッチがどこにあったのか?多分、単独であったのではなくて、複数のものであったような気がする。ちょうど暗証番号みたいなもので、一つ欠けてもロックが解除されない類のものだ。今の手技法が慰安の為の賤業だと言われているのは、暗証番号を忘れ、ロックされたままの身体の操作しようとしているからである。また、人々も手技に過大な期待をするわけでもなく、手っ取り早く、15分程でコリが軽減されれば良しとする風潮でもある。こうした風潮に甘んじて、小手先の技術ばかりが先行し、手技が持つ本来の実力を知らずいる者達が癒しブームに乗っかり多数派になってきた。足揉み(リフレ)にしてもしかりである。足にはロックを解除する重要なツボがたくさんある。しかも名もなきツボがである。せっかく、スイッチに触っているのに、スイッチを入れきらず、素通りしてしまう。間抜けな話だ。これは私についても言っているのであって、他人事ではない。少なくとも数年前までは全く間抜けな奴であった。
第17話(寝違い)
寝違いはつらいものである。私も昔はよく寝違いを起こしていた。首を固定して活動するのはコルセットでもつけない限り不可能であるから、なんだかんだといって、治癒が長引いてしまう。その間、実に憂鬱な気分である。あまりツライので、鍼灸院に行ったり、指圧に行ったり、瀉血療法をしてもらったりと、色々なことをしてみた経験がある。結論から言って、いずれも却って酷くなってしまった。瞑眩反応で一時的に痛みが増すというのではなくて、悪化してしまうこと度々なのである。考えてみれば、それも当たり前の話ではある。寝違いというのは基本的に筋の断裂である。小規模な肉離れといってもいいだろう。微細な筋の断裂があれば、当然、微量の出血を伴い、炎症を起こしている状態だ。その部分に圧をかけたり、鍼を打ったりすれば、炎症が強まる。却って、傷口を広げることになるわけだ。そのような経験もあって、寝違いの人には、直接患部には触らないという方針になっている。今なら、常識的にそのことはわかるが、昔、自分が患者だったとき、とにかく、なんとか楽にしてほしいという気持ちで、痛いのを我慢して施術を受けていた。
してみると、たまたま、私が行ったところの施術者は腕があまりよくなかったということであろう。腕が良くないというか、基本的なことを知らなかったのかもしれない。(私自身もであるが。そのときは素人であるから、仕方ない)
さて、寝違い様の症状を訴えてきた女性がいた。普通、後ろ首に来るものであるが、その方は前頸部の痛みを訴えている。胸鎖乳突筋か、斜角筋の断裂であろう。珍しい寝違いだ。
触ってみると、酷く熱い。間違いなく、断裂による炎症を起こしていることが分かった。
さて、どうしたものか、治療方針を立てねばならない。足は当然やる。患部にもっとも遠い部位で影響を与えることができるからだ。ただ、それだけだと改善は遅い。いつも成功している手であるが、肩甲骨の際に圧痛があるはずなので、その部分もやらねばならない。これは結構、功を奏する。特に長い期間症状があって、固着した状態の寝違いにはよく効くところだ。しかし、この方、症状が出てから、それほど期間が経っていない。と同時に寝違いの部位が前頸部ということもある。足と肩甲骨だけではまだ不充分だろう。ふ~む、どうしたものか。とにかく、早く治してあげたい。治りきらずに寝違いクセがついてしまうのはなんとしても避けねばならない。私が若いころ、苦労したので、そんな思いはさせたくないわけだ。そこで、思い出した。クラニアル・マニピュレーションは局所的炎症に効くということを。局所的炎症?今まで実感が湧かないものであったが、目の前のクライアントはまさに局所的炎症ではないか。では頭蓋療法も行おう!
頭蓋縫合部で2箇所ほど拘束があった。それをリリースして、施術のフィニュッシュ!私的には結構上手く行ったほうである。術後、予想されることは血流、リンパ流は当然改善されているので、痛みが一時的に強まるということである。しかし、患部には直接触っていないので、我慢できない痛みとか、悪化というケースはない。純然たる瞑眩反応である。
その旨、伝え、72時間以内に良くなるから心配しないようにとも言った。
果たして。結論からいうと、当日の晩にかけては腫れ、痛みが強かったようである。しかし、翌日の朝にはそれもおさまり、その日の晩にはキレイサッパリと痛みがなくなっていた。完全な痛みの消失である。あれだけ、炎症が強かったのであるが、修復力というか復元力が人よりあったのであろう。断裂は修復されたのだ。72時間と言ったが、24時間で完治である。なるほど、局所的炎症に効くというのは本当であった。
第18話(五十肩)
五十肩というのは不思議な症状である。ある日突然、肩に痛みが走り、挙手が全くできなくなってしまう。原因は肩関節周囲の炎症の場合もあるし、関節自身の中に含まれている潤滑剤(ヒアルロン酸)の不足でもあるという。いずれにせよ、正確な原因はまだ良く分かっていないようだ。原因の分からないものは対症療法するより他なく、長い人で、2年くらい苦しめられる。しかし、始まった時と同じように、いつの間にかキレイサッパリと治ってしまうわけだ。不思議な症状であると言った所以である。私自身も30代でこの症状に苦しめられたので、つらさはよく分かるつもりである(こうして百話を書いてみると自分も随分色んな症状を経験してきたなぁと思う)。30代で起きると、三十肩とでもいうのだろうか・・四十肩とは聞くけれど・・老化の通過儀式という人もいるので、人より老化が早かったのか・・複雑な心境ではある。
余談はともかくとして、この五十肩を即効的に治す方法はない。一発で治したという施術者もいるが、それは五十肩ではなくて、単なる肩の痛みである。若しくは治りかけのものであるか、或いは、ごく初期のものであるか・・いずれにせよ、継続され、進行中の五十肩を一回の施術で完治させることはできないのである。できないが、痛みを軽減させ、早く治すことはできる。
経験からいうと、五十肩には、西洋的な運動的手技より、東洋医学の経絡的なアプローチの方がよく効く。絶対やってはいけないのは、施術者が無理に肩を挙上させるやり方である。一時的に肩が上がるようになるが、後に症状を増悪させ、回復を遅らせる。結構、その手の施術をやる施術家がいるが、今一度、クライアントの経過を確かめながらされたほうが良い。(昔、流行った施術方法である。その場の効果に目を奪われて後の経過を考えない典型の施術)
五十肩は肩に目を奪われてはならない。必ず、首や胸や上肢に強いシコリがあるものだ。シコリというと、物理的な固まりみたいなものをイメージされるかも知れぬが、そういうものばかりではなくて、つっぱった状態も含めて考えて頂きたい。肩を動かさず、首、胸、上肢を入念に補瀉すれば、かなり回復が早まる。上肢では心経、心包経、下肢では胆経、胃経、腎経が功を奏する。下肢では肩を押さえながらというのは無理かと思うが、上肢は肩を軽く押さえて操作すれば尚良い。また、五十肩の大半の方は、悪いほうの肩が前方へズレている(まれに後方へのズレもある)。このズレを矯正するかどうかの判断は微妙である。まだ、その時期ではない時もあるし、ズレを矯正することによって頓挫的に軽減される場合もある。これは何度か通って貰って判断するしかないだろう。個人的にはリスクは避けたいので、様子を伺いながら決める(決して挙上するわけではないので最小限のリスクだとは思うが)
さらに五十肩で重要な考え方は、長い間、肩を中心とした上肢の拘束があるので、それを庇うように身体の各所に歪みを生じてしまうということである。五十肩そのものの痛みで苦しんでいるうちは、他の部位に気が回らず、肩以外は正常だと思うだろう。しかし、違うのである。微妙な歪みを生じさせ、症状が治まったあと、その歪みが全面に出て来る。そして、他の症状を誘発するのである。当人はまさか五十肩が原因などとは思わず、また対症療法的な治療法を選ぶことになる。こうして、歪みが蓄積され、限界を超えて大病に至るわけだ。実は五十肩の治療に限らず、局所的な症状でも、常にこのことを頭に入れて施術を行わなければならない。全身的な歪みを元に戻しつつ、対応していくべきものなのである。
60歳の女性。一年ほど五十肩で苦しんでいた。あまり苦しいのでヒアルロン酸注射を何度か打ってもらい、来院時は最悪の状態からは脱け出していた。しかし、まだ腕は完全には挙がりきらず、寝ていて上肢が痛み、目が覚めることがあるという。都合8回ほどの施術。4回目くらいから、相当に良くなっている実感があったという。最初は2週に一度、最後の4回は一ヶ月に一度の頻度で施術を行った。結論からいうとほぼ完治した。病勢が弱まり、治る段階にあったというのが、良かったのかもしれない。最終的には万歳が出来るくらいになったのであるが、年齢的にも歪みが蓄積される状況であったし、肩を拘束されて一年ということでもあるから、他の歪みが結構あって、苦労した記憶がある。しかし、全身的に調整できたので、満足できる結果であった。
現在、50代の女性が五十肩で来院している。病勢がかなり強い状態である。この文章を書いている時点では2回目の施術が終わっているが、症状の大きな好転は未だない。この方、左の症状を訴えているが、実はその前に右肩をやっている。右が治ったと思ったら、左にきたという珍しいケースである。この場合、前述のように、悪い方の肩が前方へズレているのではなく、古傷の右肩が前方へズレている。であるから、現在悪い左肩が後方へズレているように見える。
右肩が完全に治りきっていないのである。聞くところによると、右肩五十肩のとき、治りかけに、上肢の挙上訓練をしたという(ジムのトレーナーの薦めによって)。正直、この訓練は時期が早すぎたように思う。完全に治らないと挙上は禁忌であることは既に述べた。歪みの二重構造を持っていて、結構、難敵である。後日経過を報告しよう(忘れなかったらネ)
随分前の話。あるデパートで足揉みの宣伝を兼ねて、リフレのショートコース施術に駆り出されたことがある。年齢は50代だと思うが、中年のご婦人が来て、両足で20分位の施術をして差し上げた。
そのときは特になんの感想も言っていなかったが、翌日また来て、実は肩が痛くて挙がらない状態だったものが、痛みが消え、挙がるようになったと報告してくれた。片足10分位であるから、足心を中心とした安定持続圧を深く、深く入れた記憶がある。肩の反射区など触りもしなった。足心区以外、施術出来る時間が与えられていなかったのでしょうがなかったわけだ。わざわざ報告に来てくれて恐縮したが、それにしても、一回の施術でこうまで、功を奏するとは・・当時は驚いたものである。前述のように本格的な五十肩ではなく、単にコリが極限に達し、肩に痛みが出たものかもしれないし、五十肩であったとしても、本当の初期だったと思う。いずれにせよ、足裏もまた、肩に対する影響力が強い部位であることが再認識された事例なので、印象に残っている。
※筆者注:現在、五十肩についての見解は、この記事を書いた時点でのものと違う部分がある。五十肩の原因は全て明らかになっている。 そして対処法も確立している
第19話(メニエール)
めまい、耳鳴り、そして周期的な発作性。典型的なメニエールの症状を抱えた30歳の女性。
西洋医学でも中々決め手になる治療法はなく、一種の宿痾(しゅくあ)となる可能性が高い病である。命に別状はないが、発作が起きると、立つことも適わず、日常生活に重大な支障を来してしまう。業病といえば業病だろう。普通は中年以降に起きやすいのだが、この方のように、30歳そこそこでも起き得る。内耳器官に関係することは間違いないが、はっきりと原因が分かっていないものである。分かっていないからこそ、決め手になる治療法がないわけだ。自律神経異常でもあるため、西洋医学では分野がまたがってしまうのも、根治できない理由の一つかと思われる。
さて、整体的にはほとんどの場合、頚筋、若しくは頚椎に異常が認められる。この方の場合もまた、首に異常なシコリをみた。
首に何故、そのような異常が出るのかは、人それぞれであろう。ある人はムチ打ちの経験者かも知れないし、ある人は内臓の機能が低下していて、それを支配するところの経絡が、生活習慣や常習性の寝違いなどで歪み、内臓との関連で固定される場合もあるだろう。根本の原因は人それぞれで特定することができないが、現象としての原因は、首に異常が出るということだ。この方の場合、特にムチ打ちなどの既往歴はなかった。「証」は三焦に出ていたが、これは横頸部の硬さを裏付けるものである。また、肩井ラインがほとんどの場合、硬いので、その表れかとも思う。
驚いたことに(だから、百話で取り上げるのだが)、この方、足首の骨折を経験していた。足の異常が首にまで及ぶことは、我々の世界では当たり前のことであるが、そこから、メニエールに移行してしまうパターンは初めてのケースである。しかし、施術方針は明確になったのでかえって良かったのかもしれない。
方針としては、まず、骨折痕の滞りを丹念に揉み解し、腹証では三焦への重点、そして頸部のシコリの解消(それほど簡単には取れないが)、というものである。勿論、上肢、下肢を初め、全身的な基本手技は必要である。
初回でかなりの改善があったようである(本人の実感として)。しかし、発作は周期的なものであるため、油断はできない。案の定、ある種の生活リズムの乱れから、発作が起きた。しかし、小発作とも言うべきもので、本人の自覚としては、施術のお蔭で小さな発作で済んだという感覚であった。このように考えてくれると非常に有り難い。治癒に近づけるからである。施術を継続して、一年近く、22回の施術でほぼ完治という状態になった。まだ若く、病歴もそれほど長くなかったというのも効果が出た要因の一つであろう。
今、振りかえって考えてみると、クラニアルを使えば、もう少し早く改善できたのではなかろうかという感想である。当時はクラニアル的技法は知らなかったわけで、頭蓋の動きを知る術もまた知らなかった。恐らく、リズミック・インパルスは正常ではなかったであろうと推測できる。まあ、済んだことは仕方がない。結果オーライである。
メニエール氏病には直接関係ないが、フルフォード博士の言葉を引用したい。
ちょっと長いが翻訳原文のまま引用しよう。
“何ヶ月か前、45歳の男が差し迫った声で助けをもとめる電話をかけてきた。その数か月前から心臓発作のいろいろな症状に苦しんでいるが、何人かの医師に診てもらってもいっこうに楽にならないという。困ったことに、医師による検査や心電図ではその男の心臓になんの異常も発見できないというのである。ほとんどの医師は生化学的な検査や機械に頼りきっている。だから、検査の結果が正常値を示すと、医師はわけがわからなくなってしまうのだ。
男が心臓以外のところも診てもらうべきかどうかをたずねると、その必要はないといわれた。心臓に異常が発見されれば心臓は治さなければならないが、きみの心臓は異常とはいえないというわけだ。
私の患者にはそういう人が多いのだが、どの医師からも満足な答えが得られないとわかった時点で、その男もわたしのところにきた。
しらべてみると、男はずっと昔に左ふとももの骨を折っていたことがわかった。手術のあと、りっぱに繊維組織が再生していたが、そのことによってある筋肉が支障をきたし、それが首の筋肉に影響をおよぼした。首の筋肉が縮まったか、あるいはふにゃふにゃになったかして、首の筋肉をまともに支えることができなくなった。ともあれ、男のからだはバランスを失い、頭蓋骨の底に近い部分の背骨が歪んでいって、そこから心臓につながる神経を圧迫しはじめた。それで心臓がうまくはたらかなくなった。心臓の病気というより、ずっと昔の脚の事故が原因だったのだ“
(翔泳社刊・いのちの輝き―プロローグより)
これぞ手技法的身体の見方である。そのエッセンスが凝縮されている名文なので、あえてご紹介させて頂いた。勿論、西洋医学的な所見で説明できて、かつ西洋医学的処置を必要とする例も多いはずである。しかし、それだけでは苦しみから救われない人もまた多い。手技をまともに治療として考えない日本の医療事情もあって、慰安的な手技に終始したり、あまりにもスピリチュアルな部分に偏向したりしているが、ココロの問題は即、身体の問題でもあり、どんな症状(それが精神的なものであっても)でも物理的な肉体的な異常(原因)が必ずある。それを見つけ、原因を除去する。それに尽きるわけだ。そういう姿勢をもてば手技というのは極めて広範囲に、かつ威力のある治療法となるはずである。
私がメニエールのうら若き女性を救い得たのも、そうした姿勢があったからに他ならない。偶然よくなったのと、そう考えて、よくしていったのとでは全然違う。
技法は手段であって、目的ではない。であるから、技法的なもので慰安との区別はできない。区別するのは原因を分かろうとする姿勢があるかないか、その一点である。
※ここからは(20話以降)teacup掲示板にパスワードロックにて連載したものである。文体を「ですます体」に変えた。
第20話-猫背
Aさんは60歳近いのにボーイッシュな感じ。キレイで素敵な中年女性です。
見た感じ、どこも悪くないような人ですが、実は結構ボロボロ。
蛇背(ヘビゼ―背骨が蛇行している)ではないのですが、極端な猫背です。
猫背が珍しいわけではありません。皆さんの周りによくいるのではないでしょうか。
しかし、この方の猫背は限度を超えているような感じです。
首から肩にかけて、そして肩甲骨際。もうほとんど手指が受け付けないくらいなのです。
また、背候診でいえば、心、脾のあたりに負荷がかかりここもガチガチ状態。
本人が言うには「これでも良くなった方なんです、一番酷いときは首のあたりにコブみたいなシコリが出来て、苦しくて苦しくて・・・」とのこと。
現在の状態でも充分凄いコリなのですが、それより酷いというのは余程のものだったのだと思われます。
もう一つの硬い原因はとにかく強揉みする整体院でほぐしてもらっているとのことでしたから、筋防衛反応が起きてしまっているからでしょう。
でもご本人はそのお蔭でここまで良くなったというので、なんとも言いようがなく、内心忸怩たる思いがします。
一回目の施術では本人のいうとおりに凄い猫背とそれに伴うコリに圧倒される思いでした。
これなら普通の揉み屋さんは「揉み潰し」「引き剥がし」みたいな施術をやりたくなるだろうな、と納得するくらいです。T150施術ですから、初見ということもあって、どこが反応し、どこが拘束されているか、注意深く観察しての施術となりました。
終わって、所見を述べて、瞑眩が出る可能性について言及しました。
二回目の施術。やはり瞑眩が出たらしい。前回の施術後、まもなく右首に張りを感じ、しばらくその状態が続いていたとのこと。
こちらとしては揉み返しが起きるほど強い力を加えているわけでもなく、なおかつ強圧にさらされてきた身体です。瞑眩反応であると断言できる材料がありました。
ご本人は納得した様子。
全体的に多少身体が緩んだ感じはありました。右首の張りを完全に抜くべく操作を加え、終了です。
さて、三回目。ご本人曰くにはあれから瞑眩反応も出ず、とても身体が楽だといいます。
ところが、腹証で驚きました。小腸、腎、膀胱、そして脾(ヘソ周り)で酷い邪骨を感じるのです。過去2回の施術ではこうではありませんでした。
一瞬疑問がよぎります。(身体は楽になっていっているのにどうしたわけだ?)
最近、吹き出物に悩まされていると術前に言っておりました。
(とすれば腸系の問題が前面に出てきているのか?)
毒素排泄のあるパターンとして吹き出物が出る場合があります。
(さては隠れていた真因が姿を現してきたかな?)
邪骨を無理やり取ろうとしても取れるものではありません。
普通の腹証よりは時間をかけましたが、また後で考えようとばかりに基本手技に戻りました。相変わらず、酷いコリでしたが、何か体質というか、エネルギーの質が変わった感じがします。
そして最終章のクラニアルに突入。
クラニアルはいつもにまして力強いリズムを刻んでいます。
ここで確信しました。腹証での邪骨はやはり真因が前面に出てきたものだ、と。
クラニアル後、腹部の邪骨は縮小しておりました。
術後、本人の感想は前2回よりも良好で、まっすぐ立てる&背が伸びた感じがする、というもの。個人的には「身体に中心軸が通った感じ」と呼びますが、その感じを得られると予後良好になります。おそらく、何回か瞑眩反応は出るでしょうが、継続すれば吹き出物の悩みは解決しますし、邪骨も消失するでしょう。
さて、このような極端な猫背の人の場合、どこに注意を向けたら良いのでしょうか?
猫背だけに限りませんが、やはり呼吸の制限があるかどうかだと思います。
このとき、足の施術はとても便利です。なにせ、施術しながら呼吸を観察できるのですから。胸郭の動きに注意を払い、二段呼吸になっていないかどうか。腹式と胸式のバランスはどうか。見慣れてくると横隔膜の正しい動きが腹部に広がる様子も分かります。
世間では腹式呼吸の重要性を言っていますが、実は腹式呼吸が多すぎてもダメなのです。
その証拠に女性は寝ているとき以外は胸式呼吸をすると言われていますが、男性より長生きします。バランスが重要なのです。このクライアントの場合、やや二段呼吸気味で、猫背の影響が出ているようでした。当然、腹部に広がる波みたいな動きが阻害されています。
最初に右足が少し短いのを見ておりましたから、右の横隔膜が若干下がり、肝臓を圧迫している可能性もあります。吹き出物の原因は肝臓もまた一つの要素なのかもしれません。
(あとで聞くところによると、付き合い酒には気前良く付き合い、最後、焼酎のロックを飲むくらいだと言っていました)
肝臓の反射区もやや腫れ気味だったのです。
T150施術はやりながら気になったところを重点に出来るので、あとは両肩の制限を解放するのに時間を割きました。これでだいぶ楽になったようです。猫背ですから、肩が前方に変移していました。
こうして、徐々にその人の持つブロック、制限を解放しながらやっていきますと強圧しなくとも緩み、回復に向かうものなのです。
第21話(不定愁訴色々)
Bさんは今年42歳の女性。コンピューターのオペレーターです。
一日8時間、週5日もコンピューターに向かいます。
ご承知のようにコンピューターの操作はとても疲れるものです。マウスクリック症候群などという言葉もありますように、腱鞘炎にも罹りやすくなりますし、目も疲れますし、肩も首もコリます。さらに冷房が一定方向からのみきて、知らず冷やして、ホルモンのバランスを崩します。Bさんは典型でした。
コリも腱鞘炎も冷え性も慢性的な疲労も訴えています。月経前緊張症でもありました。
また痛みでは後頭部の痛みを強く訴えており、満身創痍という感じなのです。
当然、だるさが抜けず、気分がすぐれないわけです。
「これは限界かも・・・」と思ったらしく、得意なコンピューター操作で検索し、当院を見つけ出したとのこと。星の数ほど整体院があるのに当院を見つけ、わざわざ遠くから来るというのはこれも何かの縁なのでしょう。手助けできることがあれば・・と、切なる願いで向き合ったのでした。
いつものとおり、足から診ていきました。
全息胚的にもエネルギーの流れ的にも左右差はなく、膝でのブロックもありません。気になるのは明らかな運動不足によるムクミです。それ以外、足での問題はないようでした。
そして、呼吸の観察をしながら施術を開始したのですが、やはり呼吸が気になります。
胸郭の動きが良くないようなのです。呼吸筋のコリも影響しているのでしょうが、それよりももっと本質的な胸骨の動きが悪い感じです。
(相当にストレスがかかっているのでは?)と思ったことを覚えております。
基本手技を行いながら、様子を見ることにしました。
Bさんは痛みの感受性が強く、打ち抜くような圧が使えません。そろりそろりとツボ刺激というより気圧的な施術方法を取り、一通りの基本手技を終えました。
腹証での所見は肺-大腸です。やはり、呼吸の問題が絡んでいるに違いありません。
親指側が腱鞘炎になったのも本質的にそれがあったせいでしょう。
しかし初対面なので胸骨へのアプローチは遠慮しておきました。
他で代用できると思ったからです。
さて、Bさんの本丸はクラニアルだろうとにらんでおりました。
そしてクラニアルに移りましたが、案の定です。
触った感じだけでも硬いのがわかります。
そしてCRI。やはり弱い。どうひいき目に言っても力強いとは言えないわけです。
(ここまで全身整体をやって、尚この程度なら、推して知るべしだな)と心の中で呟き、全力で動きの回復を図ることにしました。
幸いなことにBさんは痛みの感受性も強いのですが、「気」に応答する感受性も強いようでした。一連のクラニアル操作でミルミル動きが回復してきたのです。
もう大丈夫だと思ってフィニッシュ!
術後、Bさんの満足感はとても深いように見えました。
本人が不快であると思っていた症状は全部消えたようです。
しかしBさんのような症状はこれで終わりということがありません。何回通えば、完治するというものでもないのです。ライフスタイル(仕事も含めて)と密接にリンクする症状だからです。とにかく、まずはニュートラルに戻してあげるというのが目標になります。そしてその目的は達せられました。
種々所見を述べて、また、疲れが溜まると思いますが、そのときはいらしてくださいという言葉で締めくくりました。笑顔で帰るBさんを送り出し、役に立てなぁという満足感がありました。
さて約2ヶ月後、またBさんから予約の電話がありました。
そして来院してもらい、詳しくその後の経過を聞きました。
前回の施術後一ヶ月はウソのように調子が良かったのですが、一ヶ月を過ぎると、ちょうど仕事の忙しさのピークにぶつかり、相当なストレスに晒されたようです。月経前緊張症の特徴であるイライラ感が沸点に達したとのこと。そして、その反動か、今度はウツ傾向に陥り、どうしようもなく気分の低下があって脱することができないと言います。遂には医者にいって極軽い安定剤を処方してもらったというではありませんか。
Bさんには悟られないようにしましたが、内心焦りました。
今は軽い安定剤で済むかもしれませんが、これから本格的な更年期を向かえます。そのとき、更年期ウツのドツボにハマル可能性があります。
木の実ナナという女優さんが告白しておりましたが、更年期をキッカケに始まるウツはまるで生き地獄のようで、何度も自殺を考えたというのです。そのほか、クライアントで苦しむ人を見たのは数限りありません。
そのコースを辿らせたくありませんでしたから、前回にもまして注意深く施術することにしました。
前回の所見がそのままぶり返したような感じです。呼吸の不都合も元に戻っていました。
2回目でしたから胸骨へのアプローチも加えました。
さらに種々基本操作を行い、各重点を設定しながら行いましたが、やはり前回と同じようにクラニアルが本丸のようです。
前回と同じです。閉じておりました。
しかし、前回と同じで回復するのも早い。
前回は後頭部の局所的な頭痛でしたが、今回は頭全体に広がる頭痛とのこと。
ですから、横向きでの側頭骨へのアプローチも取り入れ、考えられるかぎり縫合部へのアプローチを試みました。すると、施術した側はもう頭痛が取れたといいます。
(なんと正直な身体なんだろう、これなら期待できる)とばかりに本格的なクラニアルを行いフィニッシュ!
前にもまして効果があったようです。ウツ的気分はもうどこへやら、です。
心身ともに元気になった様子。顔色の輝き、声の質、そして全体から漂う雰囲気、まるで別人です。今回も施術が上手くいきました。
しかし、前述の如く、この症状はライフスタイルと密接にリンクしておりますので、これ以上ない!というレベルまでニュートラルに戻しても、またストレスが溜まり、ホルモンのバランスが崩れます。施術者が生き方を変えろ!といくら失礼のないように諭したしたとしてもそんな簡単に変えることができれば苦労しません。そんなことは分かっているのです。さらに仕事を変えろなんて言えるわけがありません。そのつもりがあるなら別ですが、今の時代、中年以降、就ける職種は限られています。本人がその気になったとき以外、一施術者のいうことなど、まず聞いてもらえないのが普通。せいぜい、日常的に気をつけること、摂って良いもの、悪いもの、証をみて水分を多めにするか少なめにするか、どう冷やさないようにするか・・などくらいだと思います。
しかし、施術によってある時期を乗り越えますと、またしばらく健康でいられます。またある年齢でガタがきてもそれを乗り越えると、またしばらくは曲がりなりにも元気でいられるのです。あまりにも酷い生活を送っているなら別ですが、そのある時期、乗り越えるのに手を貸すというのも施術家にとって重要な役目である場合もあるのです。
第22話(手こずってる膝痛)
膝痛についてはすでに百話の中でも書いていますが、種類がたくさんあります。関節そのものの問題、腰から来ているもの、三関節原理が適用できるもの、等々。いずれすべてが関連するのですが、これもまた程度の問題があり、てこずる場合もあります。
以前、80歳のおじいさんが膝関節の変形で痛みを訴えてきました。完全に変形し、もう年齢から考えると元には戻らないケースでしたが、痛みそのものはなくなりました。変形は多少よくはなったとはいえ、やはり、戻りません。この場合はこれで良し、としなければならないでしょう。痛みがなくなるだけでも、生活のクオリティが随分違うものですからね。
さてCさんは40台前半の主婦です。3年前に左膝を強打したらしく、それ以来、膝の違和感を抱えていました。さらに一年前、尾骨を酷く打ったらしい。そのときくらいから本格的な膝痛が出るようになったのです。病院に行って、膝の水抜きをする治療と接骨院での光線療法などを繰り返してきました。
現在は右膝に症状が移り(よくあるパターン)、難儀しているようでした。
原因は間違いなく、左膝の強打と尾骨の強打が重なったものです。これは素人でも分かる問題ですが、もともと左膝にトラウマを抱えて生まれてくる場合が多いので、ダブルの要因ではなく、トリプル要因によるものでしょう。
リフレクソロジーという手技は膝裏のアプローチを加えると膝痛にはよく対応できる方法論ではあります。それに三関節原理を加えると膝痛にはとても威力を発揮します。
そうしたことで80歳のおじいさんでも痛みがなくなったわけで、ある程度の自信はありました。
まず、膝の可動域を調べます。これは膝痛に限らず、膝拘束は色んな症状を呼びますから、大概、初見では行う検査です。簡易法としては足を伸ばしたまま、膝の皿がどれくらい動くか、を調べれば良いのでそれほど時間がかかるものではありません。
Cさんは皿の動きが悪くなっており(両膝)、明らかな拘束が見られます。
しかしこれくらいなら大丈夫だろうと、少々甘くみておりました。
都合4回の施術。ある程度までは良くなっているのですが、完治というところまでいきません。
勿論、三関節原理、オーソドックスな足証原理、などを駆使し、さらに全身の流れをよくしているのですが、それでも痛みが完全に抜けないのです。一ヶ月に一回という施術の少なさも関係するのですが、それにしても、経過が遅い。
余程打撲ショックの沈下があるのでしょう。完全にショックが中に入り込んでいる状態ではあります。何年やっても、状況を見誤る場合があって、このケースはそれに当てはまります。特に尾骨の強打を軽く見すぎておりました。
尾骨のショックが仙骨に及び、さらに腰にきております。
そこが肝(キモ)だとは思うのですが、中々、腰が緩まないのです。勿論、腰を緩めるために腹証もかなり深いところまで入れたことはいうまでもありません。それらを全部やってはいるのですが、ある一定以上にはよくならない。つまり自発的治癒力が発動しないんですね。
見た目には変形もないですし、特にてこずるような兆候は見当たりません。
年齢から考えても、さほど時間がかかるとは思えないようなケースです。やはり、見た目で誤魔化されてはいけないという教訓でしょう。
4回くらいの施術でまだそれをいう時期が早いという意見もあるでしょうが、私としては診立てを誤ったという負い目を感じるわけです。気に反応しづらい体質というのもあるのですが、それにしても、T150施術ですからね。4回目の施術の効果はまだ報告を受けてませんが、少なくとも3回での施術は期待通りではないという意味で不本意です。
治りづらい、または自発的治癒が起きづらい一群の人たちはいますので、即効で治そうなどとは考えておりません。診立てを誤ったという一点において不本意なわけです。
尾骨のショックというのはかほどのものだということを改めて認識したケースです。
やはりショックは身体の中に残るものです。特に尾骨は背骨全体に影響を与えてしまいますから、気をつけたほうがいいですね。
これからの方針としてはとにかく、腰まできてしまったショックを抜くということになるでしょう。改めて技法を考えていくということになります。経過をみながら。
最後に一言。整形外科でよく行われている膝の「水抜き」についてですが、水が溜まるというのはそこに熱があって、冷やす必要があるので、水が溜まるわけです。自然摂理なのです。そこで水を抜くと、冷却水が抜かれるということになりますから、また熱を持ちます。そして、また水が溜まる。そしてまた抜く。するとまた溜まる・・・こんなことを繰り返していますと、とても治りづらくなってしまいます。自発的な治癒の力をドンドン減衰させているわけですので、よほど、自然治癒力の高い人(若い人)でないと、それにもメゲズ治りきるということがなくなるわけです。ですから老人の場合、その処置を信じてやり続けますと、結局、歩けなくなって、人工関節へまっしぐら、ということにもなりかねません。
水が溜まりますと、不自然ではありますから、膝の違和感を強く感じてしまいます。痛みが一時的に強くなったり、膝が曲がらなくなったり、と一種の恐怖感を感じるものです。しかし、それを乗り越えませんと、あとで厄介なことになるわけです。
ただし、痛み止め薬が服用回数さえ限定すれば、痛みの回路を遮断し、治癒を促すことがあるように、あまり酷いと水を抜くことにも一定の意義があるものです。
そこのバランスをどうとるか。
整形外科の名医なら経験的に知っているのですが、なかなか名医にめぐり合うことはできないものです。
※膝痛は体重がモロにかかるだけに治しづらい症状だと他の治療法では言われております。
我々はその中でもかなり有効な手段を持っており、足証、三関節、腰、腹証のアプローチで治りづらいのであれば、他の方法論ではまず治せません。
鍼に行っても20回の通院など少ないほうです。接骨院なら100回を超える回数にもなるでしょう。今回の例は施術者として贅沢な悩みではあるでしょうが、何度もいうように診立て(尾骨の影響力)を見誤ったという意味で参考になるのではないかと思いまして記述した次第です。
第23話(治療が困難なケース)
小児の場合、特に頭蓋に問題がある場合は治療が困難になることが多いものです。
何故なら、じっといませんので。
クラニアル系の手技は少なくともじっとしているということが前提になりますから、いくら小児が反応しやすく、治療の効果が出やすいと言っても、常に動いて気を散らしていると、ほとんど効果が得られなくなります。
D君は今年5歳になる可愛い男の子です。早産-帝王切開で生まれてきました。そうしないと切迫流産の危険があって仕方なかったという母親の話です。内容を詳しく聞くと、現代医学の発達があったおかげで無事生まれてきたことは間違いないようです。昔なら、助からなかったでしょう。母親の命さえ危ない例ではありました。これはもう仕方ありません。
さて、D君は普通の子に比べ少し成長が遅いようです。爪先立ちで歩くクセが抜けず、それを心配して連れてこられました。ざっと診ると、骨自体の変形はさほどありません。少し、X脚気味かな、というくらいです。全体のバランスの問題だな、ということで、脚の矯正を子供ですから負担のかからないようにしてあげました。何度かしてあげるうちに行きつけの整形外科医から「随分良くなったねぇ」と誉められたとのこと。母親はとても感謝しておりました。しかし、私としてはまだ充分な施術をしてあげた実感がなく、爪先立ち歩きも治っていません、素直には喜べないわけです(感謝されても実感が伴わないときは喜べないものです。私が特別ヘソ曲がりというわけではありません。施術者なら分かって頂けるものと思います)
やはり頭蓋の問題があるに違いありません。
帝王切開は子宮内圧力が一気に減圧されるので、通常の産道を通って増圧を経る出産とはまるで違ったものになります。
産道を通る前に減圧されると頭蓋が一気に広がりそのとき脳膜が限界まで引っ張られます。
それがもとに戻れば問題ないのですが、大概、伸びきった脳膜の残滓が歪みとなって固定してしまうのです。それが正しい脳脊髄液に循環を妨げ、なんらかの脳の異常となって現れます。D君の場合は知能には異常が出ませんでしたが、身体を微妙にバランスする小脳の働きが少し弱いようなのです。それが爪先立ち歩きの原因かと思われます。
さらに頭蓋の問題の特徴的症状である鼻、中耳の問題も出ていました。
要はクラニアル適応なのです。
しかし、前述した如く、おとなしく頭を触らせてくれません。常に話、動いているわけです。原因が分かっているのにアプローチできないもどかしさというのは施術者にとっては拷問にも近いものがあります。
仕方ありませんので、反射区を利用し、足の施術に重点をおいて行っておりました。
一年程通った後、足の施術では限界があることを悟りました。D君の場合はやはりクラニアルなのです。それで一旦、中止することにしました。(現状ではできることがないなという意味で)もう少し、大きくなってクラニアルが完全にできるようになってからにしたほうが良いというのが本音だったのです。
数ヵ月後(三ヶ月かな)、また電話がありました。
やはり、治療を続けたいという親の意向がありました。治療をやっているときと止めてしまったときの違いを親の感性で敏感に感じ取ったのかもしれません。
いずれにしても滅入るような気分です。(まだ三ヶ月では大して変わってないだろうなぁ、またまたストレスが溜まる施術になるのか・・・)私もまだまだ修行が足りません。
そして再開。
どこが違うか?と問われても上手く言えないのですが、子供というのは三ヶ月でも相当に変わってくるものです。何かが違うような気がしました。
そして、なんと、クラニアルの一部をおとなしく受けているではないですか。
じっと、黙ったまま、目を見開いたままなのですが、それがまたいじらしくて可愛いものです。オーソドックスクラニアルの前にフルフォードクラニアルを施したのが良かったのかもしれません。わずか数分でしたが、ホントにじっとしてくれていました。頭蓋が少し緩んだのが分かりました。合計30数回の施術の中ではじめて手応えを感じたのです。
このままいけば、成長とともにおとなしくしてくれている時間が長くなるに違いありません。かなり強い脳膜の歪みがあるのですが、子供です、施術さえ完全に出来れば、かなりその拘束が取れるに違いありません。
第24話(転倒によるムチ打ち症)
「ムチ打ち三年、牡蠣八年」っていうくらいで、本格的なムチ打ち症を完治させるのは時間がかかります。まあ、一週間に一度のペースの施術であっても3年はかかるでしょう(重症の場合)
さてEさんは30代になったばかりの美人さんです。女優さんでもおかしくはないかなと思われるくらい。そのEさんが転倒し、顔面で受身を取ったとのこと。当然、美人顔がお岩さんのように腫れ、悲惨な状態に陥りました(それにしても顔面で受身をとらなくてもよさそうなものですが・・・酔ってたそうです)
私のところに来たのは事故から2週間が過ぎていました。顔の腫れは引いていたものの、まだ額にキズが残っている状態ではありました。キズや外傷についてはどうしてあげることもできませんが、Eさんのそのときの問題は転倒時、首の角度が悪く、そのことでムチ打ち様の症状が出てしまっていたことです。
Eさんは元々が首の状態が良くなく、それが原因で様々な不定愁訴に悩まされていた方です。
そこへもってきてこの度のムチ打ちです。首の不快感がないわけがありません。
腕に痺れが走ったり、非常に強い首から肩にかけてのコリなど、ムチ打ち後遺症の典型を訴えておりました。
「ムチ打ち三年・・・」ですから、内心、(困ったことになったぞ・・)と思ったものの、事故からさほど時間が経っているわけでもなく、自動車事故による酷いムチ打ちでもありません。一回では無理かも知れませんが、ナントカなるのでは、とムチ打ち系の施術を入念に行いました。
ムチ打ち系の施術と言っても特別な技法があるわけではありません。硬くなってしまったスジや逆に緩んでしまったスジを基本操作の中で探し、丹念に元に戻す作業です。
頚椎は右へ変移しておりました。三番と四番です。さらに環椎と軸椎にも異常が見られ、6番7番はコリコリ状態でした。カウンターストレインや頭軸圧法、考えられる限りの技法を用い、対処いたしました。勿論、クラニアル系も欠かせません。
意外に忘れられていることですが、ムチ打ち症は腹部に出ることが多く、Eさんの場合も腹部小腸経ゾーンに出ておりました。それらの処置をすることは当然です。
一通りの処置を終えて、どうか?と尋ねたら、随分楽になっているとのこと。
処置が早かったのでショックが沈下しておらず、瞑眩反応もさほど気にすることはないと思いましたので、そのまま、「楽になるでしょう」と言って帰したのでした。
それから、Eさんは目の回るような仕事の忙しさだったそうですが、ムチ打ち症状が出ず、乗り切ったとのことでした。
勿論、これで完治とはいきませんが、ムチ打ち症に関してだけ言えば、あと一回くらの施術でショックを取り除けるでしょう。
ムチ打ち症はその重症度と共に事故が起きた時間の経過によって治しやすさが変わってきます。例えば、今回のように2週間前の事故と3年前の事故とでは同じような程度の事故であっても全然違うのです。
自動車事故によるムチ打ちは賠償問題や保険補償の問題で、症状が固定するまで病院通いが強制されます。私たちのような療法にいくら通っても補償の対象にはならないのです。
医者通いが悪いとはいいません。しかし、現代医学での治療は手術するのでなければ、牽引治療くらいしかありませんし、この方法はあとあと問題を残すことにもなります。
従いまして、我々のところに来るのは事故から随分と時間が経ってのこととなります。
ですから、大概は苦労する施術になるわけです。ムチ打ち三年・・・という格言は三年前の事故なら三年かかるという意味でもあります。早い時期に来て頂きたいのはやまやまなのですが、先に述べましたように我々の療法は保険補償の対象から外れているため、自腹ということになり、どうしても来るのが遅くなってしまうわけです。
今回の件は保険や賠償問題が絡んでいるわけではなく、早速に来ていただいたので良い機転となりました。
第25話(治さなくとも感謝された例)
この表題はなんとも奇妙なものと感じるのではないでしょうか。
病名はずばり肩板症候群。正式には肩・腱板症候群です。
Fさんは上品な感じが漂う50代の奥様です。最初は五十肩ということで、ご紹介で来られました。五十肩には程度がありますが、整体がよく適応する一つの症候群とは言えるでしょう。入念にT150施術を致しました。
少し楽になったとのこと。実は最初のカウンセリングで気になったことがありました。
ウチへ来る前に接骨院通いをしていたのですが、そこでの治療はどう考えてもタイミングを誤ったものとしか思えないのです。具体的には痛いのを我慢させ、挙上できないのを無理やり挙上させるという方法論をとっていたらしいのです。Fさんはあまりにも痛いので、その旨を何度訴えても「これをやらないとスジが固まり挙がらなくなる」の一点張りでとりあってくれなかったと言います。一ヶ月治療を受け続け、我慢したのですが、一向によくならず、というより余計に痛みが増して、さすがのFさんもここはダメかもと思ったらしく友人の紹介でウチへ来ました。
気になったというのは、そこでの治療の際に肩の腱を傷めたのではないかということなのです。知識の浅い、かつ成功体験があって自信過剰の施術家が嵌る落とし穴です。接骨院は一応、柔道整復師というれっきとした国家資格者なのですが、制度上の欠陥があるのか、ウデのある先生とまるでウデのない先生に極端に分かれます。どうもFさんがかかった接骨院の先生は後者のようです。
気にはなっていたのですが、施術後、楽になったということで次回の予約を取り、そのまま帰しました。
さて、2回目。
経過を聞くと、施術後2~3日楽だったものが段々元に戻り、痛みが増してきたとのこと。
ここでまた肩板症候群を疑ったのですが、施術後2~3日は楽になっているとのことでしたから、もう少し、様子を見ることにしました。そのときもT150施術です。
さて、3回目。
経過を聞くと、同じようなパターンです。しかし、さらに痛みが増し、眠れない状態だとも言います。勿論、悪いほうの肩へのアプローチはしていません。軽く手当てするだけですから、施術によって悪化するということはまず考えられません。
詳しく、状態を聞いて私も遂に決心しました。
「Fさん、Fさんの症状は、最早、五十肩ではなく肩板症候群というものになっているかもしれません」当然、Fさんはその症状を知りませんので説明いたしました。
「肩板症候群というのは肩の深層筋か腱が断裂し、言葉として適切かどうかはわかりませんが、ちぎれかかっている状態のことを言います。レントゲンでは分かりませんのでMRIを撮る必要があるでしょう、状態、程度によっては手術が必要なケースさえありますよ」
意外なことを言われてFさんは戸惑っていた様子ですが、なんとなく自分の症状が普通じゃないと思っていたらしく、熱心に聴いてくれました。
しかし、一つ問題がありました。Fさんは極度の閉所恐怖症で前にMRIを撮ったときにはパニックに陥ったらしいのです。
問題というのは色々重なるものです。
「なんとかなりませんかねぇ、診断が確定しませんと、私としても忸怩たる思いで施術をしなければなりませんし。自然に修復されることもありますが、それも程度の問題ですから」等々のことをお話しました。Fさんは余程つらいのでしょう。医者に行ってMRIを撮る旨を確約してくれました。ただし、行き付けの病院にするとのこと。内科専門で整形外科はないとのことですが、気心知れたドクターなら、なんとか我慢できるという理由です。
内科というのは気になりますが、MRIを見れば断裂しているかどうかは分かるでしょうし、すぐに整形外科を紹介してくれるでしょうから、良しとしなければなりません。どういう診断が出ても知らせてくれるという約束をして帰っていきました。
最初、ホームドクターから(何もMRIまで撮らなくても・・)と言われたそうですが、そのことも予想しておりましたから、予め、「ドクターに否定的なことを言われるかもしれませんが、そこを頼み込んでください」と言ってありました。Fさんは私の言を信じ、断固として撮ってください!と頼んだそうです。
幸か不幸か私の予想が当たってしまいました。
肩板に穴が空いていて、そこに血腫が発見されました。
すぐに整形外科医院を紹介してくれたそうです。
整形外科医の診断も同じでした。しかしすぐに手術は必要ないでしょう、とのこと。
注射とリハビリで少し様子を見ましょう、というものです。
あまり症状が改善されなければ手術ということになる、らしいのですが、手術は避けたいところです。
Fさんから電話がかかってきて、随分と感謝されました。「先生が言ってくれなかったらどうなっていたことか」と。治せないのに感謝されたという珍しい例です。
Fさんは病院の治療と併用して当院にも来ることにしたようです。
リハビリと聞いて接骨院での経験がトラウマになっているようなのです。ドクターが監督する中でのリハビリですから、前の接骨院のような間違いはしないとは思いますが、誰も指摘しなかった症状を私が指摘したということで、今後も施術とアドバイスを受けたいのでしょう。診断が確定しましたし、心置きなく施術できますので、継続施術を引き受けました。自己治癒力が最大限高まり、手術しなくて済むよう全力を注ぐつもりであることはいうまでもありません。
しかしこの度の症例は色んな問題を提起しております。
肩板症候群は最近、クローズアップされている症候ですが、プロならそれくらいのことを知らねばならないと思います。ましてや接骨院の先生が肩板を傷めるなどということがあっていいものでしょうか。単なる五十肩のほうが圧倒的に多いのは認めますが、その治療によってタチの悪い症候群に移行させてしまってそれにさえ気づいていないのです。アメリカなら途方もない損害賠償を請求されるでしょう。
第26話(人体の不思議)
Gさんは30代後半のシステムエンジニアです。
3年程前に2度来られました。
症状は酷い首、肩のコリ、そして背中の痛みです。
原因は10年前に加害された自動車事故によるムチ打ち後遺症と思われます。
24話でご紹介したようにムチ打ち後遺症は時間が経過すればするほど、治しづらくなり、施術者泣かせの症候群ではあります。
Gさんはすでに10年を経過しておりましたので、(中々厄介だなぁ)と思ったことを覚えております。
2度来られたのですが、その後、プツリと来なくなってしまいました。施術が合わなかったのか、私との相性が合わなかったんだろうなぁと思って、それそれで忘れておりました。
すると、3年ぶりに電話がかかってきて、施術の予約が入りました。最初、思い出せないくらいでした。
実際、来られて、足を見てはじめて思い出したという次第です(よくあることです、カルテを見ても、顔を見ても思い出せない、しかし、足を見ると思い出す)
実はGさん、あれから転勤があって、海外にいたとのこと。この度、また東京に戻って来られ、ウチを思い出して再来したとのことでした。
こういう場合は施術家としては嬉しいものです。忘れずにいてくれたという事実は結構、やりがいを生むものです。ご経験のある施術家も多いのではないでしょうか。
さて、Gさん、前と同じような症状に苦しんでいました。
アメリカにいたので、日本のような整体はなく、カイロプラクティックを受けていたらしいのです。興味がありましたので、「本場のカイロはどうでしたか?」という質問したところ「う~ん、ちょっとピンと来ないですね~、身体が解れないし、あんまり良くなった感じはないんです。自分には合わないのかもしれません」とおっしゃっておりました。
さもありなん、です。現在の症状を楽にしてあげるという東洋的な発想がカイロにはありません。筋肉が硬くなっていたら、そこを柔らかくしてあげるとか・・・そういう発想がないんですね。カイロプラクターはアメリカでは手技の医師というステータスを持っていますから、マッサージ師のような真似など出来るか、というプライドがあるのかもしれません。いずれにせよ、カイロでは楽にならず、相当に我慢していたらしいのです。
当然ながら我々はクライアントの身体を楽にしてあげるというのが、まずは当面の目標になりますので、ウチの施術で楽になったようです。背中の痛みも抜け、背筋も伸び、喜んでおりました。そういう現実の成果の中から、本質的な治療を含めていくという考え方はある意味、東洋的医学的な発想でもあり、日本の整体のほうがクライアントに親切な手技だと思うのですが、如何でしょうか。
いつも上手くいくとは限りませんが、その発想そのものに私は価値があるのではないかと思う次第です。
余談はともかく、何が「人体の不思議」なのか?
実はGさん、後頭部に脂肪の塊があるのです。
これはムチ打ち直後から出来始め、少しづつ大きくなっていったとのこと。
そういえば、3年前もあったような気がします。しかし、ここまで大きければ、気になってはっきり覚えているはずです。聞くと、あれから段々大きくなって、ここ一年くらいはこの大きさで落ち着いているとのことでした。
最初は心配したらしく(当然ですよねぇ)、医師に診てもらったらしい。悪性でもないどころか、良性の腫瘍でさえなく、単なる脂肪だという診断だったとのこと。
痛くもないし、日常生活に差し障るでもないので、そのまましておいて、切除は考えていないようです。しかし、どうしてこんなものができたのか、気になるところですから、理由を医師に尋ねたところ、「ムチ打ちからきているのでしょう」ということで、訳が分かりません、と言っていました。
しかし、私にはその理由がハッキリ分かりました。つまり、医師の言っている意味がです。
どういうことか?
ムチ打ちによって頚椎にズレが発生して、頭の重心が変わってしまったのです。そのままではバランスが悪く、頭を支えていられないので、錘(おもり)を後頭部に発生させ、バランスを保つということをやってのけたわけです。一番害のない脂肪の塊という方法を選んだのでしょう。ですから、Gさんは後頭部に脂肪の塊があってはじめてバランスが取れる身体になっている、という訳です。
若し、ここで切除したら、バランスが崩れ、良くてまた出来るか、悪くすれば、もっと酷い愁訴に苦しむことでしょう。切除しないのはナイスな判断だと言えます。
頚椎のズレがなくなれば自然に退縮すると思いますが、何せ10年も固定された歪みです。
ムチ打ち三年・・・どころじゃないかも知れません。
よく見ると、脂肪の固まりは、ほぼ後頭部の真ん中にあるのですが若干右にズレております。このことから、損傷進入角度が分かります。やや左側から衝撃が襲ったものと思われます。
ただ、もう十年も前の事故ですから、身体のあちこちに代償的な歪みが発生して、身体全体からは読み取れません。本人も覚えていないようです。
それにしても、人体とは不思議です。
なにか不都合があると、必死にバランスをとろうとして、自分の持っている部品(この場合は脂肪)を使えるだけ使って涙ぐましい努力をするものなのですねぇ。
そんな身体を大事にしないと罰が当たるのかもしれません。
私なんか罰が当たりまくりだろうなぁ。
身体の歪みというのはこのような代償作用から来ている場合も多く、その部分単独での矯正は何の意味もないどころか、害にさえなる場合もあるのです。
あらためて人体の妙を思い知らされた例ではあります。
第27話(継時性構造疲労症候群)
継時性構造疲労症候群とは主に下肢の歪みから、時間の経過とともに上へ上へ、と歪みが転位していき、遂には訴に至るというものです。
そういった意味ではあらゆる症状が該当する可能性があります。
内臓障害、整形外科的症状、内分泌系、・・・など全て含まる可能性があるのです。
下肢は建物で言えば、基礎-土台となります。その基礎-土台が狂っていれば当然その上にある建物本体は傾くに決まっています。
建物は歩きませんから、傾くくらいで済みますが、ヒトは歩くという行為を通じて歪みの応力が身体のアチコチに転位し、限度を越えたとき、強い症状となって現れるのです。
勿論、人体は建物のように硬直した存在ではありません。様々な歪みを補正し吸収できる構造をもっているのですが、それがあまりにも長く、また、酷い場合は無事では済まないのです。こうして現れた症状全般を指して「継時性構造疲労症候群」と呼ぶわけです。
さて、40代後半の女性。同年代ですが、とても若く見えます。外見は若いのですが、身体的には60代~70代のような歪みを持っておりました。
まず仰向けに寝たとき、膝が浮いてしまってベッドに膝裏が着かない状態です。まるで変形性膝関節症のような感じでした。
にもかかわらず、膝の症状は特に訴えているわけでもなく、主訴は腰痛でした。
あるとき、我慢していた腰痛が限度を超えたように感じ、さすがにどうかなってしまうと思ったのでしょう。AKA治療を行う整形外科を探し、治療に行ったのでした。
実はこの方、医療関係者ではありませんが、印刷会社に勤めており、医学の専門書などを編集したりして、下手な整体師などよりはるかにその方面の知識はあるのです
。
AKA治療について説明する趣旨ではありませんのでネットなどで調べて頂きたいと思います。
ともあれ、AKA治療を受け、それなりに効果を感じていたようです。
しかし同時に何か物足りなさも感じ、ある種の不全感をぬぐえないようでした。
そんなおり、ネット検索で当院を知り、来院された次第です。
膝の状態は述べたとおりです。さらに下肢の状態はまず外反母趾が右足に強く出ています。極端に右なのです。また、右足の股関節が外旋し、さらに前方に転位しておりました。
右です。極端に右側が歪んでいるタイプなのです。
これではどこかがおかしくなるのも無理はありません。
第1回目の施術はT150コースでしたので、全身的なアプローチの中で、右側の下肢の潤滑を良くする施術を行いました。
術後、しばらくたってから、サンキューメールが来ました。
それによりますと、どこがどうなっているのかブラックボックスのような感じの身体が、何か明瞭になったような、例えて言うなら、もつれた糸が解れかけてきたようなそんな感じがします、とのこと。言いたい意味はよく分かります。
この方、ここまで酷い歪みがありますと、腰痛という単独症状ではなく、あらゆる部位が拘束され、動きが鈍っていたわけです。それが、腰痛の緩和とともに、首の痛みや肩のコリなどが明瞭に現れ、それを良いシグナルと本能的に感じ取ったのです。
実はこういう感性は珍しい。
普通は今まで感じなかった痛みや不快感があると、施術に不信感を感じるものです。東洋医学でいう「瞑眩反応」なのですが、それを説明するのに苦労するくらいなのですが、この方は何も言っていないのに、そのような解釈をしたわけです。
また言うには、悪化していく痛みと良くなっていく痛みの違いがよく分かります、と。
こういうクライアントさんばかりなら苦労しませんねぇ。
知識とともに鋭い感性もお持ちの方のようです。
さて、2回目。
2回目以降はT150施術ではなく60分施術です。
下肢の潤滑とともに首などに現れた症状にアプローチしました。
実はこの方、右の外反母趾が酷すぎるので、テーピングの仕方を教えておりました。
すると、熱心に毎日行っていたそうです。
こういう方はやりがいがあります。
仕事時間の後半になると、テーピングが緩んでくるとのお話でしたから、より複雑な(と言っても3行程しかありませんが)を教えました。
特に外反母趾の痛みは出ていませんでしたが、そのことによる身体のアンバランスが改善を遅らせていると判断したからです。しかし、これは自分でやらなければならないことですので、普通、外反母趾の痛みがないと、面倒がってやらないものです。
この方は熱心にそれをやったのでした。
漠然としてはいますが、なんとなくバランスが良くなった感じを持ったのでしょう。
3回目も同じ施術です。
症状的にはやはり良い感じできているとのこと。
膝の浮きも随分改善されておりました。
首も緩んでおりましたし、頭蓋のCRIも正常に近いものがあります。
ただし、非常に長い間の歪みですから(中学生くらいから外反母趾だったそうです)、そうそう簡単に完治するほど世の中甘くはありません。
今しばらく通院する必要があるでしょう。
また思わぬ「瞑眩反応」が出る場合もあるに違いありません。
でも乗り切ると信じております。
しかしある種の感慨に浸ります。
つい半年位前なら、このようなクライアントさんに対応できたかどうか疑問です。
あまりにも強い歪みと症状に圧倒され、症状の緩和程度で誤魔化していた可能性大です。
歪みが複雑化している昨今、それに対応できる手技の進化が必要と痛感している次第。
根底に流れる思想は変わりませんが、個別の手技は進化する必要があるのです。
「門外不出の幻の秘術」などとよく宣伝するのを見かけますが、門外不出であるが故に時代遅れになっている可能性が大でしょう。またホントの幻にしか過ぎない場合も多いものです。公開し、広く症例を持つことによって新たな症状に対応できる手技が生まれてくるのです。「継時性構造疲労症候群」に対応できるようになったのが最近の収穫ではあります。
第28話(頚部・頚椎と顎の関係)
少し特殊なケースかと思われますが、頚部、頚椎と顎の関係を端的に示している事例ですので記したいと思います。
Fさんは30代、女性の方。コリが強くなって、限界に近くなりますと、来院されるという不定期リピーターの一人でした。
初検において、違和感を持ったのは、下顎の左側だけが突出し、左側だけを見ればまるでプロレスラーのアントニオ猪木みたいだったのです。
こういう場合は女性の顔のことでもありますし、生まれつきのような感じでしたから、あえてそのことにはふれないようにしておりました。訴はとにかく酷いコリということでもありましたから。
不定期で来院されるようになって2年以上が経過しておりました。
あるとき、手術をする決意をしたと言うわけです。
はて?何の手術か?とよく聞いてみれば、顎の手術だと言います。
そのとき私は、見映えの問題で美容整形手術でも受けるのだろうと、思っておりました。
手術が終わってから、術後のリハビリを兼ねて来院するとのこと。
勿論、異存はありません。ドクターに施術しても良い時期をよく聞いて、OKが出ればいらしてくださいと申し上げました。
そしてその時期がやってきました。
手術の跡が生々しく、かなり黒ずんではいたのですが、ドクターからOKサインが出ているわけですし、患部に触れることもないので、施術を行うことにしました。
美容整形手術だと思っていたのですが、会話の端々で、どうも違うような気がします。
結論から言うと、血管腫が骨の中まで達して、それで下顎骨の肥大を招いていたものらしいのです。生まれつきだろうと思っていたのは私の完全な誤りであり、単なる先入観だったわけです。
しかし、本人もそれまであえて言っていませんでしたし、知ったとしても、整体適応症ではありません。
その病気について知ったかぶりもできませんから、教えを請うことにしました。
すると、医学的には非常に珍しいもので、部位から言っても、その病態(骨まで達する)から言っても稀なものとのこと。
そういうこともあるのか!と驚いた次第です。
そのことについてはある意味、どうすることも出来ません。
今現在、自分の出来ることで、楽になって頂くという施術ですので、詳しく訴えを聞きました。
当然のことながら、手術後の麻痺感、口が開かない、首や肩の酷いコリ・・などなど顔の手術を行った者特有の愁訴です。
しかも、病院で行うリハビリ(温熱、マッサージ、鍼など)は効いている気がしない、もっと辛らつに言えば、「何の役にも立っていないような気がする」と少し不信感さえありました。
盲腸の手術でさえ、術後はしばらくの間、不全感に悩まされます。ましてや顔の手術です。
しかも、大きく骨を削り取るような手術なわけですから、これは仕方がありません。
ドクターには、焦っても仕方がない、数年のスパンで考えてください、と言われたそうです。
まあ、どこまで楽に出来るか分かりませんが、少なくとも、保険の範囲内で行う病院のリハビリなどよりも楽に出来るはずです。それらの愁訴を少しでも改善することに全力を注ぐことにしました。
しばらくの間の入院生活のため、足腰がなまっており、やや浮腫み気味でもありましたから、T150施術でまずはオーソドックスに足裏から行い一連の手技を施しました。
当然、愁訴である肩や首も入念に行います。
最後、ネック&クラニアルは定石ですが、ここに時間をかけるべく施術の調整を行い、30分以上の配分を行うことにしました。
驚いたことに、右側の首が異常に張っています。
単に張っているという感じではなく、なんと表現したら良いのか、うまく説明できません。
矛盾した表現ではありますが、張りながら、緩んでいるような不思議な違和感を感じたのです。
とりあえず、それが許容の範囲に収まるようにと時間をかけ、下顎には触らないように顔面骨の動きをよくする施術にも時間を割きました。
この辺でよかろう、という自身の満足感が出るまで行いました。
施術後、「あ~首が楽になっています!!」そして・・
「信じられない!口が・・口が開きます!信じられない!!感覚も戻っています!!」
いたく感動した様子でした。
施術した側から言うと満足できる結果なのですが、この度の教訓は何か?
下顎の開閉は下顎単独で行っているわけではなく、ほんのわずか、クラニアル部分もその動きに連動し、下顎が開くと同時にクラニアルが上向きに動くのです。
(下を向いて口を開けてみれば分かります、とても開けづらい)
さらに頚椎3番、4番が機軸になってその動きをサポートするということです。
右側の首が張っているような、緩んだような不思議な感覚は、後天的に出来た左下顎骨の突出が手術によって取り去られ、バランスを保っていたものが、支えを失ったかのように、不安定になっていたものなのでした。
26話(人体の不思議)で述べたように、ヒトはその個性にあわせ、絶妙なバランスを自らとるものなのです。このクライアントさんは、その調整しなおし作業のプロセスにあったわけです。それを促進してあげたということが、この度の改善感につながったのでしょう。
麻痺感が改善したというのは、手術のショックによる顔面骨の拘束が、施術のよってリリースされたということになります。
なぜなら、医者の薦めにより、フェイシャルマッサージを続けても一向に変わらない状況だったのですから。
筋筋膜の問題よりも奥の問題、すなわち、骨の拘束、最近気に入っている表現を使えば、顔面骨関節の不潤滑の問題だったわけです。
ネック&クラニアルの施術技術がこのような「証」を持つクライアントに絶大な威力を発揮したという例なのですが、応用が利き、広い範囲に適用できるものだと改めて思い知りました。
※顔の手術でしかも骨を削り取るという凄惨なものであるが故にこのような訴に至った特殊な例だと思うのは間違いです。経験上、歯を抜くというようなよくあるショックでも拘束は起こり得ます。特に親知らずの歯を抜くのに難儀した経験をお持ちの方は顔面骨の潤滑不全に陥っている可能性が高いものと思われます。顔面骨の潤滑不全は未病的な発現は勿論のこと、美容的な観点からも大きな問題を生み出します。こうなると、通常のエステ処理は単なる気休めにしか過ぎなくなり、かつ一時的なものと申せましょう。
第29話(80歳)
80歳でなおカクシャクとしてらっしゃる方もいます。
しかし、大概の方はどこかに故障を抱え、ツライ思いをしている人のほうが多いのではないでしょうか。
Hさんは今年84歳。
昔(大昔?)は大変な美人さんで、田舎でしたから、ハキダメに鶴、みたいな感じでしたよ、と紹介者がおっしゃっておりました。
今もその片鱗がありまして、上品な感じのする、いかにもという感じのおばあちゃんです。
愁訴は腰痛です。
老人性のもので骨や椎間板自体がつぶれかかっていて、病名をつけるとすれば脊柱管狭窄症ということになるのでしょうが、なにせ御歳です。医者が治療することができないのも止むを得ません。手術という手段さえ取れないのです。
いつも「痛い、痛い!」と暮らしているのですから気の毒です。
少しでも楽になればということで来院されました。年齢から考えても、長い時間、同じ姿勢はよろしくないということで、T150施術は止め、90分コースにしました。
さて、高齢者の施術はとても気を使います。
骨が脆くなっているわけですし、現実に痛みがある場合、無造作な処置は悪化させる心配さえあります。
どこまでやればいいのか?と正直、模索、手探り状態の施術ではありました。
手探り状態の施術が功を奏するはずもなく、まず第一回目の施術は満足できるものではありませんでした。
ちっとも良くならないのです。
2回目の施術。
前回の施術の感触から、(これは施術の仕方を変えたほうがいいなぁ)と思い、椎間関節の潤滑施術をメインに置きました。
まあ、大丈夫だろうという判断です。勿論、ちょっとでも嫌な痛みがあれば言ってくださいと前置きしてあります。気持ちよいレベルであるかどうか確認するため、頻繁に声をかけることにもしたのです。
これはキツイかな、と思って聞いたら、思いの他、大丈夫のようです。
続けることにしました。
途中、何箇所か「痛い」と言いましたが、概ね、イメージどおりの施術ができました。
施術後、あ~ら、不思議、痛みがなくなったと言います。
「治っちゃったみたい」、と合掌礼拝されたのですが、そんなことで治るはずがないことは経験で知っています。
私の関心はいつまでこの状態を維持できるか、ということです。
14日後の予約を取って帰られました。(私が指定したのですが)
3回目の施術。
前回の経過をお聞きしました。
施術後3~4日は痛みも出ず、順調だったようです。
それを過ぎたあたりから、序々に痛みはじめ、ついに来られる3日ほど前には元に戻ってしまったとのこと。
ある意味、予想通りと言えば、予想通りです。
加齢からくる腰痛はそんな簡単なものではないのです。
前回に準ずる施術を行いました。
また、楽になったようです。
経過から言って、10日に一回なら元に戻りきるということにはならないだろうという判断で、次回は10日後に設定しました。
4回目の施術。
日常生活が少し改善したようです。
痛みもMAXでは出ていません。
つまり、元に戻りきってはいないようなのでした。
予想通りで、思わず笑み。
さて、この方、完治するでしょうか?
やっている私が分からないのですから分かるわけがないですよね。
実は自信がありません。
ヒトは70代後半から急速に復元力が低下していきます。
(腎機能は健康な方でも半分以下に低下してしまいます)
施術による改善と自然的悪化のイタチごっこの様相を呈するのです。
84歳ともなると、推して知るべし、でしょう。
年中、痛い痛いと過ごしているわけですから、少しでもQOLを高めるという意味では施術の意義があるというものです。
しかし、完治する見込みがない、という状況での施術は施術者自身が内心忸怩たる思いを抱きながらの施術になってしまいます。
これは思いの他、疲れるものです。
施術家業の長い間、こういう場面に幾度も遭遇しながら慣れるということがありません。
割り切れば割り切れるようなものかもしれません。
しかし、やっぱり割り切れないのです。
長い間には施術を受ける意思があるのに亡くなってしまった方もおります。
母なる自然がその仕事を止めたとき、ヒトは旅立つのですが、それは自分の力の範囲を超えた現象であるということを充分に理解していても、やっぱり悲しいわけです。
ご高齢の方の施術をやる度に、抱く感慨ではあります。
できればやりたくない!などと30年も早い生意気なことを考えてしまうのは未熟なせいなのでしょうか。
このような問題に悩みまくった先人もいます。
勿論、私とは比べるべくもない天才ですが、その一人、吉益東洞が言いました。
「医者はヒトの生死に関わるな」
その心は・・・
「寿命というのは天命であるから、医者如きが左右できるものじゃない、助かるか助からないかなどと考えるのは不遜、傲慢でさえある。ただ、目の前の病人を治療することに全力を傾けよ。全力で病魔を追い出す手段を考えろ!天運あれば助かるし、天運なければ助からない。だから、生きるか死ぬかに関わってはならない」
これを敷衍して考えれば、
「完治するかしないかを考えること自体が傲慢である。ただ目の前のクライアントが楽になるように全力を尽くせ」ということになるのでしょう。
漢方史上最高の天才医、吉益東洞の境地にはあまりにも距離があると思う昨今です。
吉益東洞の言は実力の裏づけがあってのものなのです。
ヤブ医者がこんなこと言ったって全然説得力がないですわね。
第30話(風邪の後遺症)
風邪の真っ盛りのとき、手技は適応ではありません。
薬で症状を抑え込むのが関の山でしょう。
それでも、手技は早く治すという手助けは出来るのですが、かえって発熱したりと、瞑眩反応も出るわけですから、触らぬ神に祟りなしを決め込むのが得策かも知れません。
まあ、その前に風邪引いたから施術してくれ!というクライアントもいないでしょうけど。
ところが、風邪が長引き、コリや毒素が抜けず、後遺症ともいうべき症状に苦しめられている人もいます。こういう場合は、風邪の最盛期も過ぎ、コリの問題、毒素排泄の問題が主になりますので、手技が適応となるのです。
三十台後半の女性、三週間前に風邪を引き、鼻水が止まらなくなりました。あとノドの痛み、咳などがあったとのこと。発熱はなし。
さらに、湿疹が首周りに出て、これが酷く痛いらしいのです。
身体を動かすにもだるく、具合が悪いのと相まってどこへも出かける気がしない。若しくはやる気が起きないという典型的なウツ状態でもありました。
私のところへ来たのが風邪の症状が出てから、三週間が過ぎておりました。
主訴は述べたとおりであるのと、頭痛です。
中々復帰できなくて、「自分が情けない」とも。
とにかく、具合が悪い。活動できない。鉛のように重い。加えて頭痛。
鼻水や咳などの症状は治まっていたところから、手技をやる時期かな、と思い施術を引き受けることにしました。
鼻水や咳、首、頭痛などの症状から、上半身のコリと内臓の機能低下、そして身体を動かすことができない、ということでしたから、極端な運動不足に陥っていることが分かります。
T150施術で全身的なアプローチが一番良いでしょう。その中で上半身のコリを取り、頭へのアプローチに時間を割かねばなりません。
T150施術ですので、あわてる必要はありません。
施術中、やはり運動不足が祟っているのでしょう。下半身系の手技にかなり痛みを感じたようです。特に股関節を伸ばす手技などはかなり効くようでした。
縮んだ筋筋膜を適度にニュートラルに戻し、あとは椎間関節の潤滑なり、コリを取るなりすればかなり楽になるはずです。
やっていて少しづつ緩んでいくのが分かりました。
さて、頭部への施術に移ったとき、驚いてしまいました。
この方、何度も施術をしているのですが、頭の感覚が全然違うのです。
ほとんどセメント袋状態。頭コリも極限に達し、CRIも感じられないのです。
(こりゃ、参ったなぁ、クラニアル以前の手技、つまり頭部のコリを解さねばこの状態からは解放されんだろうなぁ)という感触です。
長い間、鼻が詰まっていたのも原因かと思われます。
なんにせよ、現実にそういう状態なのですから、今ここでそれを解決しませんとマズイことは間違いありません。
左側が特にそうだということでしたから、左側に時間を割いて、入念に頭のコリを取ることにしました。すでに首は柔らくしておいてありますので、きっと功を奏するに違いありません。
案の定、左半身全体を終えたとき、「全然違います!抜けました!」と言っておりました。
じゃ、それでいいのかというと、そうではありません。右側をやらないとバランスが取れないわけですから、元に戻る可能性もあります。
しかし、左側より時間が短く済むものです。
とりあえず、右半身も終え、再度あお向けでクラニアルに移りフィニュッシュ!
あまりにも状態が悪かったので、これはもう当然ながら、別人に生まれ変わったような感覚になります。
「もっと早く来れば良かった!」という感想なのですが、ノー、ノーです。
手技をやり、それが特効的な効果を生む、というのは述べたように時期という問題があるわけで、このクライアントはその時期だったのです。
これが、風邪の最盛期、つまり症状が一番強い時期だったら、おそらく抜けません。
施術家の立場だけで言うと、運不運ということにもなります。
その場で特効的な効果があるのか、それとも抜けないのか、という違いは施術ストレスの問題なのですから。
施術家なら一度ならず夢見るのは、とにかく一発で抜き、その症状を取ってあげられるそういう施術家になりたい、ということではないでしょうか。
しかし、それは夢想にしか過ぎません。
その時期、状態によって、同じ人であっても、効果が違うわけです。
ある時期にぶつかると、2~3日経って、徐々に抜ける場合もあるでしょうし、あるときはスパンを短くして何度も来て頂かねばならないときもあります。
それを確定的予言できれば良いのですが、神ならぬ人の身です。誰が確定的な予言などできるでしょうか。
自分の経験からいうとこうだろうな、と思えるものの、それがいつも正しいわけではないのです。だから、一生研究、修行なのです。
千差万別のシチュエーションの中で千差万別の個人を相手にするわけですから、これはもうやむを得ないことです。
この度の教訓は弱った内臓を活性化するということ。
運動不足に陥った筋群をできるだけニュートラルに戻すとうこと。
首から上の症状を強く持っていた場合は頭部の筋群を解すのに時間を割くということ。
当然CRIは弱いので、クラニアルもまた欠かせないということ。
この四つのポイントを頭に叩き込んで施術を行えば、時期であるならば、一発で抜けます。
時期でなければ数日、様子を見るしかありません。
数日経っても変化が見られなければ、早いスパンでもう一度行うより他ないのです。
追記
風邪の後遺症が身体に固着し、後々、重大な病の原因となることがあります。
CRIがないので当然といえば当然の話です。
風邪は万病の元というのは、何も短期スパンだけで言っているのではありません。
中長期において、まるで打撲のようにジワジワと組織拘束を進行させ、かつ内向させる場合も想定しておかなければならないのです。
「早めのパブロン」よりも「良い時期に手技」が風邪の対応策としては優れています。
第31話(乳がん)
癌は聖人達の御用達病と言ってもいいほど、古今東西の聖人と言われる人たちが罹る病気であると発表した本が一時売れたことがありました。
なるほど、聖人であるが故に何かと気苦労が多く、ストレスも溜まるのか・・と妙に納得した覚えがあります。
さて、乳癌。これには苦い思い出があります。
一ヶ月に一度、来院されていた人が、数回目の施術を終えた矢先、乳癌が発覚したのです。
これは分からなかったですね。
癌の発見は難しいものです。自覚症状もありませんし、体表面での異常があっても、それが癌なのか、単に腫瘍なのか、また全然違うものなのか、検知する術はありません。
その方は手術を選択したのですが、すでに三年が経過し、定期的検査も特に問題なく、極めて順調な経過を辿っているのが救いですね。この分でいきますと、5年経過はほぼ間違いないところではないかと思っております(月一度の施術はずっと実行しております)
あるとき、見知らぬ女性からメールを頂きました。
そのメールの数ヶ月前に乳癌だと診断されたとのこと。
小生のHPに「ガンとリフレクソロジー」という拙論が掲載されておりますが、それを何かの検索キーワードで見つけたようでした。
それで、乳癌に罹っている患者さんが来院しているかどうか?そうであれば、成否はどうか?という内容のメールが来たわけです。
正直に答えましたよ。
過去色んなケースがありますから、うまくいった例、いかなかった例など。
こういうメールに対しての返信はとても難しいものです。
ガンが治るなどと喧伝すれば詐欺師でしょ。
かといって、ウチでは取り扱いできません、とやれば、突き放された感じで、ただでさえデリケートな心理状態ですのに、ショックが大きいわけです。それだけで悪化するかもしれません。
随分、考えた末、なんとかかんとか返信したものでした。
すると、一度来院したいとのことで、実際、お見えになりました。
40歳(ガン年齢のはじまりですね)の事務系の仕事をされている女性。
詳しく聞きますと、右乳房に4センチ大の癌があり、今はホルモン療法を行っているとのことです。悪性度は中位。
手術の予定はその時点から約半年後とのことでした。
緊急を要するほどのものではありませんが、これは本人しか分からない葛藤があるはず。
(なんで私が?よりによってなんで私が乳癌なの?)
察するに余りあります。
しかし、お見受けしたところ、非常に冷静な様子。さほど暗さも感じませんし、物事をよく理解できる知性的な感じもするのです。
こういうクライアントさんなら続けられるかも、と思ったものです。
別にクライアントさんを差別するつもりはありませんが、どうも相性が良くない人もいますからね(ほとんど直感的なものですが)
乳癌のファーストチョイスは胸骨です。
胸骨際から出るリンパ管が乳腺へとつながっているのですが、このとき、胸骨の微細運動が阻害されると、リンパ流がブロックされてしまいます。
胸骨の微細運動というのは外傷性の打撲より、精神的なショックや過度のストレスが続くと拘束されやすいものです。
胸骨というのはある意味、感情の座なんです。
施術する前にそのことはもう一度、頭に入れておきました。
あと足脈では、確かにそういう目で見れば、右の胃脈が取りづらかったですね。
(胃脈は乳腺を通りますが、タダチに乳腺の異常をあらわすものではありません)
反射区でいうと明らかに右の子宮反射区の有痛が強いようです。
これはよくあるんです。
子宮と乳腺というのは同じレセプターを持つ細胞がありますから、乳腺異常が子宮の反射区に出ることも結構多い。
某足揉み団体の一番エライ人にこの質問をぶつけたら、言下の元に否定されましたけど。
(こりゃ、他人を当てにしてたら駄目だわ、と強烈に思ったキッカケでした)
実際に施術を続けていくと、やはり、胸骨に違和感を感じます。
胸骨へのアプローチというのは直接的には出来ません。
その周辺を丹念にほぐすより他ないわけです。かといってデリケートな部分ではありますから、男性施術者はクライアントに不快感を与えないように工夫もしなければならないわけで、非常に疲れる施術です。
あとは下部頚椎とその周辺が非常にコッていて、これはちょっと許容を超えているようです。しかし、全体からの感触では(この身体だったら、こういう病気にも罹るだろうなぁ)というほどの歪みではありませんでした。
癌というのはそういうこともあるので、厄介なのです。
いずれにせよ、全体からの印象で、良い機転を辿るような気配がします。
適当なことを言って、ヌカ喜びさせるだけでしたら、万死に値する罪だとは思いますが、経験から言えば、意外に歪みが少なく、体内環境を整えることが出来る旨を伝えました。
少し安心した様子。
後日、再検査したらしいのですが、癌は小さくなっていたそうです。
薬の副作用も全くなし。
自律神経症状もなし、ウツ的気分もなし、不眠もなし。
ただ、下部頚椎周辺が異常にコルというのはあるようです。
ここら辺が課題だとは思いますが、施術を続け、この症状がなくなれば、本当に良い転機となるでしょう。
第32話(股関節異常)
股関節異常の症例も多くなりました。
先日、クライアントの奥様の話を聞いたのですが、日頃からゴルフなどをやる活動的な奥様だったそうです。
しかし、50代の前半から、なんとなく股関節に違和感を感じ始め、気にはなっていたのでしょうが、実際痛み始めるまで、極端に言えば、放っておいたらしい。
そのうち、痛みで身体を動かすのも大変な状況になり、深刻な事態に陥りました。
ついに人工股関節の話まで出たそうです。
担当の整形外科医が言います。「また、ゴルフを楽しむためには、もう人工股関節装着の手術しかない」と。
悩んだ末、どうしてもまた、ゴルフをやりたい!この手術さえすれば、またゴルフが出来るんだ!というわけで手術に踏み切りました。
術後の経過も良く、リハビリに専念し、復帰したのはいいのですが、今度はリハビリ専門の医師が言います。
「人工股関節を装着して、ゴルフなんてトンデモナイ話!少しでも人工股関節を長持ちさせるには、普通人のように活動するわけにはいかないのだ!」と。
話が違う!と言っても後の祭り。確かに痛みからは解放されたのですが、ゴルフも出来ず、日常生活もかなり制限を受けている状態だそうです。
西洋医学も医師によって、また、専門によってかなり見解が分かれるものなのでしょうが、これではあまりにも、違い過ぎるのではないでしょうか。
いずれにせよ、人工股関節の性能が相当に良くなっているといっても、また手術法が確かだといっても、全く人工のものを自分の身体の極めて重要な部位に入れるのですから、最後の手段であろうとは思います。
さて、今話のクライアントはこの方とは全く別の60歳女性の方。
身体が動かすのが大好きで、始終、スポーツや日常の生活で忙しく動き回っていたらしい。
最初は膝が痛くなったそうです。しかし、湿布を貼ったり、或いは少し我慢していると痛みが消えるので、気にしなかったとのこと。
やがて、その頻度が多くなり、痛み-改善のサイクルスパンも段々短くなってきたというものでした。
しかしある日、股関節に突然痛みが走り、歩くどころか、動くことさえ苦痛な状況になってしまいました。もうそのレベルでは膝の痛みなど忘れるくらいだったとも言っていました。
すぐさま、病院に行ったわけですが、レントゲン所見でさえ分かる股関節の変形があったというもの。医師の話によると股関節が内側に入り込みすぎて、大きく可動性を失っているということでした。
また、このままでは自力歩行が難しくなり、車椅子で過ごすか、それが嫌なら人工股関節だとも言われたそうです。
しかし、この段階ではまだ手術は時期尚早、少し様子を見ましょう、と言って、定期的な診察を薦められたということです。
それから、リハビリ的な運動療法やジム系トレーニングなどを取り入れながら、様子をみていたのですが、よくなる気配がないようでした。医師にその旨を伝えても、そんな焦ってはいけない、こういうのは時間がかかるものです・・・という返事。
たまりかねたその方、友人に相談したところ、たまたま、その友人の方が当院のクライアントさんで、ウチを紹介し、来院された次第。
話をよく聞いてみると、かなり小さい頃から、股関節が硬く、人より開かなかったと言っておりました。
それは幼少時の肉体的トラウマのせいなのか、出世時のものなのか、はたまた生まれつきのものなのかは分かりません。いずれにせよ、右股関節に何らかのトラウマを抱えていたことは間違いないようです。
そして、膝を傷めたのも重なり、その応力が股関節に転位して、さらに歪みを増悪させたものでしょう。
大体分かりましたので早速、施術することに致しました。
とりあえず、T150施術。
一回目の施術ではあまり改善した感じではありませんでした。
しかし、症状的にはかなり楽になったと言っていたのは救いです。
(これは足~膝~股関節~腰に集中して施術したほうが良いかもしれない)と思いましたので、フットマニピュレーション系施術90分に変えることにしました。
以降、本人の肩こりが自覚的許容の範囲であるならば、この施術が続くことになります。
紆余曲折がありました。ここでは書ききれないほどです。
あるときは膝の痛みが再発したり、ある時は腰痛(仙骨)が起きたり。また、大変調子が良くなったりと。(膝痛が気になるということは股関節違和感が軽減されているということで良いシグナルです)
いずれにせよ、どういう状態で来られても、施術さえすればほぼ完全に楽になる、というところまでくるのに10回はかかっていますでしょうか。
そして、現在、股関節のズレた感じは施術から施術の間まであまり感じなくなるところまできています。
定期的診察でも医師は「あなたはラッキーですね。悪くなっていません。むしろ股関節が正常な方向に向かっているようだ、希望が持てます、この調子で行きましょう」と言われているそうです。
よくある話ですが、この方、整体に通っている旨は医師に伝えていません。
(ほとんどのクライアントさんは医師には伝えないですね、だから医師も整体に対して正当な評価をしないのでしょう。それを伝えたら、怒り出す医師や、否定する医師も未だ数多くいますから仕方ないことなのですが、まじめに取り組んでいる整体師もいるということは分かってほしいものです。悪い例だけは聞く機会があるようです。整体で腰を傷めた、首を傷めた・・など。偏った情報しか整形外科医には伝わらないケースが多くてね)
施術の内容はフットマニピュレーション一式。
それを少しサジ加減します(このサジ加減が難しいのですが)
仙腸関節のズレは当然のごとく伴っておりますから、その施術も行います。
そして、腰椎骨の潤滑(応力転位が腰まで及んでおります)。
股関節の悪化は防ぐことが出来たようです。しかし、かなり長い間不自然な身体の使い方をしておりましたので、右のお尻から大腿部にかけて筋肉量が相当落ちています。
それをつけようとすると、まだ運動過剰になりますので、難しいところではあります。
正直言って、股関節の歪みがここまできますと、かなり難しい施術になると覚悟しておりました。
しかしこのクライアントさんの感心するところは粘り強く通ってきたということです。
週に一回、二週に一回、三週に一回と少しずつ間隔を空けながらですが、すでに7ヶ月通ってきております。
ここ一番、ここだ!ここで治しておかなきゃ!というカンが働く人なのでしょう。
こちらとしてしては、無理に通わせるわけにはいきませんので、説明だけして本人の意思に任せるより他ないのですが、中には、カンが働かない人もいて、折角来られているのに、ご縁のない人もいるわけです。これは施術家なら誰でも感じたことがあるでしょうね。
この方、ギリギリのところで間に合いました。
もう少し遅れていたら、私のところへ来ても改善は難しかったかもしれません。
そういうことを含めてのご縁なのでしょう。
いずれにしても自覚的にも他覚的にも改善しております。
まずはホッと一安心というところでしょうか。
※人工関節(膝、股関節)の装着者がここ最近、大変な数で増えてきているそうです。人工関節自体の性能がよくなっているというのもあるのでしょうが、その前にいくらでも手段があると思うのです。手技などはまさにその手段の最たるものです。もう少し、認識をあらたにしてもらいたいものと思っているのですが、現状はあまり変わりません。研鑽を積まれた整体師ほど悔しい思いをしているのではないでしょうか。
(事故などで止むを得ない場合は別です)
第33話(ギックリ腰)
人類は古来よりこのぎっくり腰には悩まされてきました。
他の生物ではあり得ない病態です。
命に別状があるわけではありませんので、『あら気の毒ねぇ』程度の同情しか得られず、本人の苦しみの割には、何か滑稽な印象さえ与えてしまう不思議な症状と言っていいかもしれません。
さて、このぎっくり腰。色々な種類があります。また、時間の経過によっても手技的観点からは病態が変化しており、こうやれば絶対という方法はありません。
私も数多くのぎっくり腰患者を診て参りましたが、上手く場合もあり、さほど変化しない場合もありで、中々、これは!と思う方法論の確立に至っておりません。
しかし、最近、立て続けに違う病態のぎっくり腰患者が来院し、そのいずれもが上手くいきました。
その二つの症例を挙げて、より危険が少なく普遍的な方法論を考察していきたいと思います。
まず、一つ目。30代後半の男性。職業は警備士。
もともと、腰痛者ではありましたが、ここ数年は問題なく過ごしておりました。
ところが同僚の中に、急な腰痛に襲われた者がいたそうで、その同僚の話を聞いているうちに自分まで腰が痛くなり、遂にはぎっくり腰様な痛みに至ってしまったというもの。
本人曰く、腰痛が感染してしまった!と。
ぎっくり腰はウイルスが原因ではないことはハッキリしておりますから、思わず笑ってしまうジョークに聞こえるのですが、同僚の腰痛の話は彼のぎっくり腰のキッカケになったことは間違いありません。ヒトとはことほど左様に心理的な動物なのです。
彼の腰はその負担の限界まで来ていたのでしょう。何かのキッカケさえあれば、また大きな症状を出す臨界点に達していたものと思われます。そのキッカケが同僚の話であっても、身心一如の立場から言えばなんら不思議なことではないのです。
それはともかくとして、来られたときは、身体が斜めに傾いており、ソロソロと庇うように歩いておりました。
仰向けに寝られるか?と尋ねたら、なんとか大丈夫ということでした。
こういう場合は仰向けから行います。
腹証で腹圧のバランスを取るのがファーストチョイスとなるわけです。痛くない程度にゆっくりとお腹を按圧し、まずは第一段階終了。続いて、股関節を中心としたフットマニピュレーション。これも入念に行いますが、運動法が入りますから、腰に響いて悪化させることがないように、慎重に行います。当然、声をかけて、大丈夫かどうかを尋ねながら施術することになるわけです。
慎重にやりましたので、思いのほか、大丈夫な様子です。
フットマニ終了後、いよいよ、本丸の腰です。
ぎっくり腰の場合、うつ伏せ施術で上手くいった例が極めて少ないものです。ですから、私は必ず横向きでの腰施術を行います。そうであっても、いきなり椎骨周辺へのアプローチはしません。あくまで、慎重に、周辺の(痛みの強くない)部分から緩めていきます。充分に緩んだと判断できたなら、椎間関節の潤滑です。
勿論、慎重に行うのですが、かといって思い切りも必要な大切な部位です。あまり恐る恐る過ぎると効きません。ここら辺はまさに「さじ加減」というべきものであって、どのような方法論を選んでも、直面せざるを得ない問題でしょうね。だから、経験が必要なわけなのですが・・・・
うまくハマッタようでした。特に痛みを訴えることもありません。ランバーロールをやるべきかどうか迷ったのですが、この度のケースでは大丈夫だろうと、最後それでフィニュッシュ。逆向きで同じことをやり施術を終えました。
まあ、うまく出来たのではないかな、と思いました。術後、随分楽になっている様子。
無理をしなければ、これで良くなっていくでしょう、と帰しました。
後日、連絡があって、予想通り、ほぼ寛解。経験上、完治に至るケースです。
続いて、同じく三十代後半ですが、今度は女性のケース。
この方、ぎっくり腰もちで、年2~3回はぎっくり腰で動けなくなるのだそうです。
よろしくないパターンですね。慢性腰痛症に移行し、中年以降は苦労しそうな方です。
最近は不定期ではあっても、当院に来院してきておりましたので、ぎっくり腰の発作(?)は陰を潜めておりました。しかし、仕事が忙しく(立ちっぱなしの職種)、無理が来たのでしょう。ある日、SOSの電話がありました。
来てみると、やっと歩いているような感じです。
痛くて仰向けにもなれません。
こういう場合は当然、横向きから始めます。
横向きで一連の施術を済ませ、「今度は仰向けになれると思いますよ」というと、あっさり仰向けになることができました。
こういう指示は心理的にも効果がありますね。
『あらまあ、楽になってるわぁ』
つづいて、腹証を含めたフットマニ一式。
この方、反応が良い体質なので、術後の楽チン感は良好です。
後日、連絡があり、あれから嘘のように楽になっているとのこと。
一回で寛解しました。
さて、この方々には違いあります。
男性の方は筋疲労が極限まできて、カチカチに固まってしまっていたのです。このことが原因でぎっくり腰様な症状が出ていたわけです。
一方、女性の方は一種のぎっくり腰癖ともいうべき体質から、骨自体がズレておりました。
骨自体のズレを伴うか、そうではないか・・・これにより、多少のさじ加減が要求されます。ズレを伴う場合は大概、仰向けに寝ることが出来ないのです。
そこで、施術の順番が変わります。
ノーマルでは仰向けから腹部を緩めるということになるのですが、それが出来ないわけです。しかし、これは仕方ありません。前述のように横向きで緩めると、仰向けになることが出来ることが多いので、心理的効果も大きいのです。
ですから、骨のズレを伴う場合は無理させる必要はなく、その人の一番楽な姿勢から始めれば良いのです。そしてそれは横向きであることが多いものです。
骨にズレがない場合は比較的楽な施術と言えるでしょう。筋硬化を除去すれば良いのですから、対応技法の許容範囲は広いものと言えます。
技術のないマッサージハウスでも、良くなることが多く、これを持ってぎっくり腰を治すのが得意だと喧伝してしまうのですが、後で酷い目に会うことになるでしょう。その時、気づいても、もはや勉強する意欲も失せておりますから、結局、半分は宣伝文句に嘘があることになります。
私が知る限り、ほとんどの流派はそれに該当するのではないか、と思いますね。
ズレがある場合はスラスト系技術で頓挫的に良くなることもあるのですが、どちらの方向にズレているのかを把握しませんと、かえって悪化することにもなりかねません。
一種の賭けみたいなもので習熟するまで相当な犠牲者を出すことになるでしょう。お奨めできませんね。
骨が元に戻りたがる自然の性質を利用すれば良いのですから、危険を冒してスラスト系を取り入れる必要はないと思うわけです。
骨がズレていようとズレていまいと筋断裂による炎症さえなければ、手技がかなり功を奏します。しかし、炎症が起きているような場合は早期の回復は見込めません。
この違いをどこで見破るか?
実はこれが難しい。一種の勘としかいいようのないものです。
勘で片付けられてはなんのヒントにもなりませんから、経験上、こういう場合は炎症を伴うことが多いということを付記しておきたいと思います。
それは痛む箇所が仙骨近辺であるかどうか、ということが一つです。
仙骨そのもの或いはそれに限りなく近いものであれば、仙腸関節炎を併発している可能性が高く、仮に仙骨のズレを収めることが出来たとしても、治癒が長引きます。
もう一つ、坐骨神経痛様な症状を伴っているかどうか。
伴っている場合はヘルニアからきている場合が多く、それがため炎症を起こし急性な腰痛に出ているとも言えます。
このようなケースでも頓挫的な治癒はまず見込めません。
以上、多少の例外はあるとは思いますが、見分けるヒントにはなるでしょう。
それに加え、もう一つ。
的確な手技を行い、楽になったとしても、日常、腰に負担をかけることを止めなければ、またすぐに戻ってしまうこともあります。
本人は生活がかかっていますから、無理せざるを得ないわけですので、アドバイスにも限度があるでしょう。こういうケースは仕方ありませんね。
何度も来てもらうより他ありません。
ぎっくり腰のような急性症状は施術時間があまり長いと身体に負担がかかりすぎます。
一時間が限度ではないかと思います。
急性症状が治まったのち、全身調整を行えば良いわけですから、初回は欲張らず、最小限の負担にすべきではないかと思う次第。
※アプローチの仕方は様々ですが、AKA療法を採用している施術者の中には腹圧バランスを否定する者もいます。何故否定するのか、納得いく説明がなされてはいません。江戸時代から言われ、現実に機能しているモノを否定するのは如何なものかと思います。例えば、前述の女性の例ですが、ぎっくり腰を起こすときは決まって、生理期であると言っておりました。お腹の張りが関係する端的な例ではないでしょうか。
第34話(ギックリ腰2)
30代前半の男性。体格が良く、90キロくらいはあろうかという方です。もともと、腰には問題を抱え、所謂“腰痛持ち”という状態でした。あるとき、その腰痛が悪化して、ぎっくり腰様状態になってしまいました。医師のレントゲン所見では「手術」する以外良くなる方法はない、と言われたとのこと。
レントゲン所見程度で、それが分かるのですから、かなりの変異があることになります。当然、普通には歩けず、腰に補助ベルトをしても体が斜めになったままです。
紹介で当院に来られたときは、ようやくやって来たという感じでした。この方もまた、仰向けには寝られず、横向きでのスタートです。しかし、横向きを一通りやった後は仰向けになることが出来て、まずは上々。
仰向けで、腹圧の調整、フット・マニでの下半身の調整を終え、施術はそこで終了しました。前にも書きましたが、急性の腰痛の場合は長い時間の施術は好ましくありません。
帰り際の姿勢を見ますと、斜めの身体は随分とまっすぐになっていました。しかし、まだ完全ではありません。
大変、お忙しい方で、重要な取引が続くとの事。腰は完全とは言えませんでしたので、次回も来て頂きたいのですが、時間の都合がつかないようです。
後日、電話で・・・ということになりました。
何度か電話があったのですが、こちらのスケジュールと合わず、何度かお断りせざるを得ませんでした。
あるとき、「もう限界!何時でも先生の都合に合わせるので施術してください!」とのSOSがありました。
あまりにも気の毒なので、9時半という普段はしないような時間に設定して来て頂きました。
その後の様子を聞いてビックリ。
実はこの方、当院へ来る前に別の整体院に行っていたのでした。
そこは検査ばかりで、実際の施術時間は全体の半分しかないと言います。(それはそれで悪いことではありません。施術者はどこを施術すれば良いか、確信を得るのが重要です。その整体院の先生は種々の検査でその確信を得るタイプの人なのでしょう)
そのやりかたがその方の感性に合わなかったのでしょうか。当院へ来られたという経過があったわけです。
当院での施術で改善したものですから、次回も当院ということになるのは自然な話です。しかし、述べたように、スケジュールが合わず、お断りしてしまったという現実があったわけです。
そこで、その方、前に行っていた整体院へ行ったそうです。
すると、その先生は特殊な検査及び特殊な感性で述べたものでしょう。
「驚いた!!凄く良くなっている!こんなに早く改善する例はあまりない!」と言ったそうです。勿論、他の整体院(ウチ)に行ったことは明かしていません。
その先生、どうも自信を持ったようで、結構過激な手技を施したらしいのです。
それで、すっかり腰が元に戻ってしまい再発したようです。
そこの整体院は有名なところで、随分と混んでいるとのこと。
いつも思うことなのですが、施術のウデと繁盛とは別に考えねばならないことが多いみたです(この業界も最終的には商売のセンスなのでしょうか、サービス業である限り仕方がないことではありますが、なんとも言えない気分にさせてくれる現実ではありますね)
また、よき教訓ともなります。クライアントは遠慮して本当のことを言ってくれないことがある、ということを。逆の立場だってあるわけですから、いつも謙虚でいなければならない所以です。
さてさて、一度良くなりかけて、悪化した状態の腰をなんとかするほど難しいものはありません。下手にいじっていますから、病態が複雑になっているのです。椎骨のズレが大きくなっているような感じでした。
炎症はさほど強いものではないようでしたから、施術はできますが、スラストはやはり危険です。
こういう場合は椎間関節の潤滑技法はとても便利です。
最初は物足りないくらいの柔らかな力で徐々にスタンダードな力加減に移していきました。椎骨が元に戻っていくのが分かります。筋筋膜もほぐれていきました。ここまでくればなんとか大丈夫です。
術後は大きく改善しました。
今度は、スケジュールを何とかやりくりして、週に一度のペースで4回ほどやりましたでしょうか。ほぼ、正常というところまで来ました。あとは母なる自然の力が働いてくれるでしょう。その旨を伝え、施術クール自体が終了しました。
日常生活を変えることができないようなので一抹の不安はありましたが・・・
後日談。
約半年後、またお電話がありました。
酷くはなっていないらしいのですが、また、異変を感じさせる予感がするとのこと。
早速、来て頂きました。
診てみると、腰からお尻にかけて痛みがあって張っています。
坐骨神経痛の初期症状です。初期とはいえ、坐骨神経痛を伴っているわけですから、横向き施術に時間をかけ、また、背筋から首、そして頭のコリも取り除きました。
フット・マニは立方骨の変位調整のみ(時間がないので)にし、クラニアルも入れました。
クラニアルは神経痛に適応する場合が多く、時間制限があると、入れるか入れまいか迷うところですが、今回はフット・マニを短縮し、クラニアルを入れたのです。
何故かと言われても困るのですが、勘みたいなものかもしれません。
術後、楽になったようですが、さらにその後、思いもかけずの連絡があって、勘が当たっていたことが分かりました。
実は酷い頭痛があって、定期的に割れるような痛みに苛まれていたとのこと。
本人は腰の申告しかしていません。喫緊の課題が腰だったわけで、それは責められないでしょう。
しかし、施術後はその頭痛は全く起きず、不思議だなぁ、と。
硬膜の歪みはしばしば頭痛のみならず腰痛として出ることも多く、クラニアルが治癒を促進するパターンもあるのです。
いずれにせよ、超お忙し氏のこの方でも治癒の方向にさほどの時間がかかることなく向かっていったのは基本的にまだ若く、しかもエネルギーに満ち溢れているタイプだったに他なりません。
※先のぎっくり腰の話(33話)で、ヘルニアを伴っている場合、坐骨神経痛を伴っている場合は早期の治癒は見込めないと述べました。また、不適応の場合もあるとも。今回のケースはこの両方が当てはまっているのですが、それでも施術を行いました。万人に共通するルールはなく、あくまで目安にしか過ぎません。経過やその人の「証」など総合的なもので判断することになります。それは相対した施術者しか分からないもので、極めて個別的なものです。文章化できない類のものもたくさんあるわけですから、治療話を書くのは難しいのです。その中から、ヒントを掴み(あくまでヒント)、実際の現場で役立たせるのは施術家個人の問題だということを念のため付記しておきます。
第35話(白血病の予後ケアー)
かつて白血病は不治の病の代表格でした。
特に妙齢な女性が罹ると命のはかなさを感じさせ、ある種の感慨に至る独特な響きをもつ病気の一つと申せましょう。
夏目雅子さんなどは私等の年代には強烈な印象を残しています。
最近では本田美奈子さんが、これからというときに命を落とされ、ショックを受けた方も多いのはないでしょうか。
しかし、今の時代、骨髄移植という方法が確立され、マッチングさえすれば必ずしも不治の病ではなくなったわけで、まことに医学の進歩とはありがたいものだと思いますね。
幸運にも骨髄移植が成功し(マッチングできた)、日常生活に戻ることが出来た女性二人の例を引き、予後の施術対応について述べたいと思います。
一つの例は失敗例です。
(悪化させたとか、再発させたという意味ではありませんよ)
30代前半で突然、白血病と宣告された女性です。
(そもそも白血病は突然宣告されますが)
何が失敗例かと言いますと、その方のトラウマに触れてしまったからです。そう、「トラウマに触れてしまった」という言い方は物理的にも正しいと思います。
骨髄移植が済んだあと、移植された骨髄が機能しているかどうか、ある期間、検査をせねばなりません。髄液抜き取り検査です。これはちょうど仙骨で抜き取りを行うものなのだそうです。
そのことを聞いたわけですから、仙骨部位の状態を通常より入念に観察触診したわけです。すると、フルフォード博士流に言うなら「骨盤が石のように硬くなっている」状態です。
頭蓋-仙骨療法の立場で言えば、これはもう生命力の減衰に他なりません。仮に白血病が再発することなく完治したとしても、他の病気で苦悩しなければならないことになってしまいます。
施術家としては何としてでもこの石のようになってしまった骨盤を解放すべく努力するのは当然です。
そこで私は仙骨を重点に押圧や潤滑などの方法を取り入れ、その当時持っていたあらゆる技法を試みました。
しかし、解放されたという実感はなく(やはり一回では無理か・)と諦め施術を終えました。
さて、施術後のカウンセリングにおいて、その方が言いました。
髄液抜き取り検査というのは耐え難い苦痛でしたと。
例えて言うなら、ワインオープナーでワインのコルクを抜くようにある種の器具を仙骨にあてネジネジと刺し込まれてくるような感じだとも。
それは、命の根源に土足で踏み込まれたような感じで単なる痛みではなく、魂の痛みみたいなものさえ感じるというのです。
そうした言葉のやり取りの中で、私が仙骨に対して行った操作の中の一つが、まさにそのことを蘇らせてしまったということが分かりました。
どうもある施術のやり方が検査と同じように異常なほどの嫌悪感を与えたようなのです。
こうなってはもうダメです。
(あ~この人はもう二度と来ないだろうな)と思いました。
そしてそれは当たりました。
悔やむのは、何故、もっと注意を向けなかったか?ということです。私はとにかく仙骨、骨盤のことで頭が一杯になってしまい、その人の反応を含めた全体像を見失っていました。
「木を見て森を見ない」という格言に倣うなら「骨盤を診てその人を診ない」状態だったわけです。
少しでも注意を払っていたなら、その嫌悪感のシグナルは必ずあったはずですから、見抜けたはずです。それを怠ったと言う意味で実に恥ずかしい。
何年やっても施術というのは難しいものです。
結局、耐え難いような嫌悪感を与えてしまったわけですから、継続的な施術はそこで断たれました。施術の目的である骨盤の解放は出来なかったということになり、その責任は不注意な私の施術にあるということになるわけです。
クライアントを失うという実利よりもむしろ、将来の異変を防ぐべき施術が出来ない状況に陥ったということのほうが、失敗なのです。全力を尽くしても役に立てなかったということはあるでしょう。これはどんな施術家にもついて回る宿命みたいなものです。
しかし、このケースでは、不注意が原因ですから、なんの満足感も得られません。そこには悔悟の念しかありませんでした。
その2年後、全く別の女性が先の女性と同じ状況で来院されました。
移植に成功され、退院も済ませました。現在は要観察期間だというのです。
天は挽回のチャンスを与えてくれたのでしょうか。
白血病の予後施術自体がレアーケースだというのに、同じような年齢の方で同じような時期で同じような状況で来られたのです。
内心驚きましたが、2度同じ失敗するのはバカです。
入念に観察しつつ、また声をかけながら体内浄化プログラムを行いました。
仙骨部位では、さらに注意深く、不快感があるかどうか煩瑣に声をかけ、またいきなりの操作ではなく、あくまで慎重に行ったのはいうまでもありません。
前回の失敗に学んでいますから、大丈夫な様子です。心地よく施術を受けている感じ。術後は驚くほど顔色が良くなり、笑顔も出ていました。
どうやら、施術が成功したようです。
それから2回の施術を終えた後(つまり3回目のとき)、嬉しいことを言ってくれました。
移植後の検査サイクルがようやく延びたと。
今まで、中々医師がOKサインを出してくれなかったようなのですが、(もう、元気じゃない!驚いたなぁ。そろそろ、検査期間を延ばしましょうか)と言って、3週間に一回の検査が2ヶ月に一回になったそうです。骨髄の定着もうまくいっているようです。
身体に力が戻ってきたみたいなのですが、動けるものですから、無理をして、疲れ切るようなこともあるそうな。
まだ普通人と同じ感覚で行動するのは無理というもの。かといって大事にし過ぎると、身体が運動不足となってナマってしまいます。この辺のバランスは難しいもので、公式を作ることはできません。本人の感覚で対処するしかないでしょう。
このような病気で手術に成功されても、とにかく再発の心配が常に脳裏をよぎります。
それこそ「神経系に悪い想念パターンが刷り込まれ・・・」というフルフォード博士が述べる悪循環になるわけです。
負のイメージから正のイメージに転換してあげることも我々の重要な仕事の一つだと思うわけ。しかし、我々は心理カウンセラーではありません。クライアント自身が「元気になってきている!」という実感を与え、自らイメージを転換させる方向にもっていければベストでしょう。おそらく、それは高度な心理学的テクニックを使う一流の心理カウンセラーよりもはるかに良い結果をもたらす場合が多いと思います。
(だからと言ってカウンセリングを軽視するものではありませんよ。クライアントによっては、むしろカウンセリングを受けてきたほうがいいのではと思うこともありますから)
いずれにせよ、2度目の例は1度目の例の失敗が生かされ、良い機転になっております。骨盤の解放も順調に進んでいます。
※失敗はどんな仕事にもつきものです。施術業においてさえ、例外はありません。むしろ施術業においてこそ大いにあり得るものだと思います。しかし、外科医のように失敗が即、その人の命に関わるというものではありません。その分、気が楽ではありますが、失敗に学ばないようでは、この仕事を続ける意味も価値もないでしょう。
第36話(脊椎狭窄症の興味深い例)
これは昔の話です。私がリフレクソロジーのみで施術対応していた時代のこと。
ある中年の男性(当時40歳くらい)が酷い腰痛を訴えて来院されました。
職業は救急隊員。救急車の乗組員です。
もともと、腰が悪く、我慢していたものだったらしい。
しかし、それが段々と悪化して、遂には担架を持つことも出来なくなりました。
場合によっては搬送される人よりも担架が必要なくらいだったと言います。
想像すると可笑しくて、不謹慎にも笑ってしまった記憶があります。
しかし、本人は笑い事ではありません。
仕事が出来ないわけですから、深刻な問題となっているのです。
休暇をとって、様々な医者巡りをしたことは言うまでもありません。
その地域の名医といわれる整形外科医の下で最後の宣告がなされました。
(そこはホントの名医達がいて全国的にも有名な病院です)
「○○さん、あなたの背骨の軟骨は全部が潰れかかっていて、これでは手術して意味がないかもしれません」
遂に最後の頼みとしていた医者にも見放されてしまったのです。
おそらくショックのあまり愕然としたことでしょう。
働き盛りの歳で、しかも家のローンを抱え、家族を養わねばならない身です。
一瞬、仕事を辞めたあとのことをあれこれ想像したと言います。
(家を売らねばならないのかぁ)と。
医者がダメなら、自分で治す!と思いなおしたらしく、ヒトから良いといわれることは何でも試したそうです。
そうした中、腰痛にとても効くという温泉があったそうで、そこは症状が楽になり、定期的に入りに行っていたそうな。
(本当の秘湯らしく、露天でしかも料金をとらない、つまり経営者がいない自然の温泉だということ。野生の動物が利用するような温泉なのかもしれません)
そこに通っているうちに顔馴染みが出来て、足の療法のことを聞いたらしいのです。
今でこそ、リフレサロンなるものはいくらでもあるのですが、当時は珍しいくらいのものでしたから、調べはすぐについて来院されたという経過です。
さて、一連の話を聞いているうちに本当に気の毒になってきました。
しかし、名医が見放したような腰痛に対応できるかどうか、とても自信がありません。
有給休暇が切れるまであとわずかです。
考えていても仕方ありません。遠いところからやってくるのですが、セオリー通り、週2回を2週、週1回を4週、計8回のクールを設定しました。
移動にバスを使うらしく、これだけでも腰に負担がかかりそうです。でもやるしかありません。
一回目の施術。腰、仙骨、前立腺などの反射区が強陽性(超痛がる)です。
(あ~反応が素直に出ているなぁ)と思ったものです。
予定どおりの回数をこなしているうち、4回目当たりから、症状に変化が現れてきました。
楽になってきたというのです。
これには私も喜びました。本人も希望が持てるようになり喜んでいます。
そして、遂に最後の回、8回目に来たときには、興奮して言ってくれました。
「痛くない!全然痛くなくなったんです!」
かがんでも、伸ばしても、回しても全然痛くないと言います。
(その場で踊ってくれました)
本人の喜びはいかばかりでしょうか?
仕事を辞めることまで覚悟させた腰痛が消えたのですから!
私は嬉しいのを通り越して驚いてしまいました。
実はこの症例によって、この仕事に深くハマルことになったのですが、ヒトが喜んでくれるというのはいかに嬉しいものか、ということを真実知った次第です。
一年後、電話がありました。
『わっ、再発か?!』と思ったのですが、そうじゃなくて、あれからとても調子が良くて、全く問題ないとのこと。ただ、腰になんとなく違和感が出てきたので、今度は早めの対応をすべく予約を入れたいのだ、と。
ホッとしました。喜んで引き受けました。
そして後日の施術後すぐに違和感も消え、安心して帰られました。
あれから随分と経って様々な経験をしました。しかしあれ以上喜んでくれた例というのはないような気がします。
今考えると、脊椎狭窄症からの腰痛ではなく、どうも前立腺からきたもののような気がします。或いは仙腸関節の不潤滑か。
本人が(絶対に治ってやる!)と強い決意で臨んでくれたのも著功を得た理由かもしれません。
また野生動物が入るような天然温泉の効果もあったのでしょう。
いずれにせよ、いくつかの要因が重なってのものであったのかもしれません。そして幾つかの幸運と。
このケースは私が施術者でなくとも良くなったと思いますが、「私」が体験したという意味において意味があったわけです。思わぬ失敗と思わぬ成功。様々な経験が重なりつつ、知識が深まり、考えることも出てきます。
※リフレクソロジーの施術クールは週2回を2週。週1回を4週。つまり6週間の間で8回の施術を行うのだと教わりました。これは案外、功を奏する施術クールだと思います。一回の施術時間は40分~50分。不要だと判断した反射区は飛ばしてよい。勿論、必要不可欠な反射区を完全に捉えているという前提の上ですが。
重点、若しくは重要だと思ったポイント、反射区はそこを長くやるというよりも、時間差で何回もやったほうが功を奏します。例えば、一通りやったあと元に戻ってもう一回やるとか・・・・基本的にリフレは刺激療法ですから、刺激の慣れというものを防ぐという意味でこのやり方は理に適っているものと思われます。